第8話

 勉強会の予定が、村上さんののろけ話を延々と聞かされたあと、僕と優香は帰路についた。

 今日は、瑠璃に言われた、帰りに手をつなぐといういかにもカップルらしい行為を試そうと思っていのだ。だから帰り道なのに、僕は気合が入っていた。

 さすがに校内では恥ずかしいので、校門を出てから、優香に声をかけた。


「ねえ、優香ちゃん」

「なんでしょう?」

「その……手、つないでみない?」

「ふぇ?」


 優香はびっくりして、僕の顔をじっと見た。


「嫌だった!?」

「いえ! せんぱ……航さんがそんなこと言うと思わなかったので、びっくりしただけです! 優香も手、つなぎたいです」

「そっか、じゃあ、つないでみるね」


 二人で立ち止まり、優香がおそるおそる、ゆっくりと手を差し出してきた。

 僕も、とても慎重に、優香の手を握る。

 優香の手は、とても小さい。あまり強く握ったら、潰れてしまうような気がして、とても優しく、軽く握手するような感じで。

 その小さい姿からは想像できないほど、優香の手は暖かかった。

 そんなことに感動していたら、お互いにじっと立ったままで、周囲の視線が痛くなってきた。


「い、行こっか」

「は、はいっ」


 こうして僕たちは、ゆっくりと歩きはじめた。

 やばい。暖かさと、手を繋いだことによる距離の近さで、思考回路が働かない。

 僕も優香も、しばらく無言で歩く。

 手をつなげたことには満足だが、どうにかこの空気を変えないと……


「て、手のつなぎ方って、これでいいのかな?」

「えっ?」

「ほら、さっきの村上さんと佐藤くんはさ、指と指を合わせてつないでたじゃん」

「えっと……優香は、航さんと手がつなげればなんでもいいです」

「そっかそっか、はは」


 実は、手のつなぎ方については事前に調べていた。村上さんがやっていたのは、貝殻つなぎとか恋人つなぎとか呼ばれるつなぎ方で、こちらの方が恋人どうしにはふさわしいと思われた。ただ優香と肌の接触は初めてだし、指の間というのは少し敏感なところなので、初心者にはハードルが高かった。

 優香が満足なら、今の握手のようなつなぎ方で、僕は問題なかった。


「村上さんたち、じっと見つめ合って何してたんだろうね? すごく顔近づけてさ」

「えっと……それは、その、恋人どうしが顔を近づけている、ということは……一つしかないと思います」

「何?」

「……き、キス、です」


 無神経な質問で、優香にそう言わせてしまったことを後悔した。優香の顔が真っ赤になっている。


「キス? 部室で? しかも佐藤くんにとっては知らない場所なのに、大胆だなあ」

「誰にも見られないところって、あまりないと思うので……どこでキスするか、とかって女の子どうしではたまに話しますよ」

「そ、そうだったんだ……僕たちは、僕の家にいれば誰にも見られないから気楽だよね」

「……」


 優香がくっ、と顔を下げて、黙り込んでしまった。

 理由は言った僕にもなんとなくわかった。僕たちはすでに誰にも見られない場所で落ち合えるわけで、キスや、その先の行為も簡単に行えるのだ。


「あっあっ! 今のは深い意味はないから! キスしようとか言いたい訳じゃないから!」


 優香はしばらく黙って、それからとても小さい声でつぶやいた。


「航さんは……優香とキス、したくないですか」

「え」


 いやまさかそんな。

 告白を経て、付き合う了承を得たとはいえ。そこまで急速に進展するとは思ってなかった。

 優香とキスしたくない、と言えば嘘になる。だがまだ現実味がない話であり、僕にはそれを実行に移す勇気もなかった。

 そんな時に優香の方から言われたものだから、僕は混乱してしまった。


「いや、したくない訳、じゃない、けどさ、ほら、まだ付き合ってすぐだし」

「……真里ちゃんも、最近付き合い始めたばっかりです」

「ひ、人それぞれだと思うよ、そういうのは」

「むう……」


 なんか、手をつないでから、話が過激な方向に暴走している気がする。肌が触れ合う、ということで意識してしまったのか。

 ちょっと、話題を変えないと。僕の息子が暴発してしまうわ。


「それにしてもさ、あの佐藤くんって男子はなかなかいい子だったね! 村上さんが悪いのに、全部かばおうと謝ってたのは立派だと思った!」

「はい。佐藤くん、一年ではけっこう人気者ですよ。しっかりしてて、頼りになるって」

「うん。うちの厳しいバド部で頑張ってるらしいし、僕とは違っていい男だよ」

「航さんも……いい人ですよ? 佐藤くんに負けないくらい」

「え? 僕はただのゲームオタクじゃん。陰の者じゃん」

「ゲームが好きなのはそうですけど、航さんは、優香が合唱部の部長さんに怒られてた時、何も関係ないのに優香を守ってくれたの、すごく嬉しかったです」


 合唱部の熊野さんから優香をかばったのは、本当に反射的な行為だったので、何かかっこいいことをしたという自覚は、僕にはなかった。

 それが、優香にとっては、自分を守ってくれた、と。そんな風に感じられているのは、少し恥ずかしいというか……


「優香、航さんのこと、出会った時から優しくていい人だなって思ってましたけど……あの時のことがきっかけで、優香は航さんのこと、本当に好きになっちゃってるって、思ったんです……」


 突然、告白に等しいような甘い言葉で、優香との距離が近いこともあって、僕はふらつきそうになった。

 そんな。さらっと好き、だなんて。

 今まで言われたことなかったし、これからも言われることはないだろうと思っていたのだ。


「は、はは、あんなのでよければ、僕はいつでも優香ちゃんを守るさ」

「……」


 優香は、なぜか返事をしなかった。

 やっと家について、僕は手をつないで歩くという刺激的な行動から解放された。

心臓も、下半身も、優香と別れてからもしばらくバキバキに興奮していた。優香に悟られていたらどうしよう、と不安に思いながら、自宅のソファに顔をうずめ、全身がクールダウンするのを待った。

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