第7話

 瑠璃は予定通り、日曜の朝に東京へ出発した。

 朝イチで家から出ていく時、隣の家から優香が出てきて、小さなタッパーを渡していた。


「あの、これ、途中でお腹が空くと思うので」


 サンドイッチだった。早起きして作ったのだろうか。


「えっ、いいんですか! ありがとうございます!」


 瑠璃はとてもごきげんだった。正直なところ、僕に彼女がいるとわかった瑠璃が、小姑のように優香を攻撃してこないか、という心配はあった。でもそれは杞憂だったらしい。そもそも優香を嫌いになれる人間などいないのだと、改めて思い知った。

 その日の午後は、またいつもどおり優香の作った昼食と、勉強会。

 

「瑠璃ちゃんがいないと、ちょっと寂しいですね」


 勉強会の途中で、優香が唐突にそんなことを言った。


「え? あんなのいない方がいいよ、昨日も今日もベッドがないからって僕のベッドで一緒に寝て暑苦しかった。いなくてせいせいしたよ」

「同じベッドで……?」


 あ、やばい。

 勢いで言ってしまった。

 きょうだいとはいえ女子である。優香という彼女がいる僕が、他の女子と同じベッドで寝ていたというのは、優香に知られるとまずい話だった。


「きょうだいだと、一緒に、寝る、のですか……?」

「あーいや! 普通この歳だと一緒に寝たりしないと思うよ! 瑠璃ちゃんがベッドで寝ないと嫌だって言って聞かなかったの! 僕もソファで寝るの嫌だったし! まあ、小さい頃は一緒に寝てたし、あいつが兄離れしてくれないんだよね!」

「そ、そうなんですね……?」

「うん! 別に一緒に寝たって何も気にならないから! むしろ暑いし、いびきがうるさいしで迷惑だから! 小さい子供を寝かしつけるようなものだよ」

「な、なるほど……」


 必死で弁明する僕をよそに、優香がぽてん、とソファで横になった。


「優香ちゃん……?」

「ば、ばぶー」


 親指をくわえ、赤ちゃんのような仕草をする優香。

 いやいやいや、いきなり何してるの。突然オギャりだしたらそんな。バブみが深すぎる。


「優香は赤ちゃんです。ばぶー」


 どうすればいいんだよ、これ……


「おー、よちよち、泣かないでね」


 とりあえず、僕も赤ちゃんになった優香に合わせて、子供をあやすようなマネをしてみる。


「……もういいです」


 優香はあまり気に入らなかったらしく、オギャるのをやめて体を起こした。


「あの……航さん」

「はい」

「優香……って呼んでください」

「あ、うん、ごめん、なんか優香ちゃん、に慣れちゃって」


 昨日からそういう約束をして、優香は僕のことを『航さん』と呼んでいるのだが、僕は『優香ちゃん』に慣れてしまって、時々間違えてしまう。

 それでも優香は反応してくれるので、あまり気にしていなかったのだが。優香にとっては、やはり気になることだったのだろうか。


* * *


 週明けの月曜日。

 この日、上尾さんは部活に来ないとの事だった。おそらく赤点の補講だろう。

 上尾さんが部活に来ないと、デジタルイラスト研究会は自動的に休みとなるのだが、この日は優香が、勉強と最近教えてもらったイラストの製作の続きをしたい、との事で、二人で活動する予定だった。

 ちょうど廊下で優香と会い、二人で部室に入る。

 そこでは、全く予想していなかった光景が広がっていた。

 最近顔を見せていなかった村上さんと、全然知らない一年生の男子がソファに座っていた。

 男子の方は、細身だが無駄がない体つきで、何かスポーツでもして鍛えているのが見ただけでわかった。

 二人は手をつなぎ、とても近い距離でお互いを見つめていた。


「えっ」

「きゃっ?」


 驚く僕と優香。


「え……?」

「なっ」


 村上さんと見たことない男子も気づいたらしく、僕たちを見て、固まってしまった。


「うわあああああ!!」


 しばらく沈黙が続いたあと、村上さんが飛び跳ねて、部室の一番奥に隠れた。

 

「す、すみません!」


 一年の男子は、逃げずに謝った。


「あー、えーと、うん、まあ落ち着いてくれ」


 村上さんが部室に顔を見せなくなったのは、僕と優香のことを気遣ってのことだと、勝手に思っていたのだけど。

 どうやら勘違いで、実際は村上さんにも彼氏ができたらしい。二人を見ればわかる。

 男子に事情を聞くと、あっさり村上さんの彼氏であると認めた。

 男子の名前は佐藤蓮という。バドミントン部で、村上さんとは中学時代から部活を通じて知り合いだったという。


「全部俺が悪いんです! 俺が部活でなかなか会える時間作れなくて、今日はこの部室に誰も来ないというので、誘惑に負けてしまいました! 真里は悪くないです! 怒るなら俺を怒ってください!」


 はきはきと、佐藤蓮は謝罪の言葉を述べた。

 勝手に男子を連れ込む村上さんには呆れたが、この佐藤くんの真面目で迷いのない態度を見ると、怒る気にはなれなかった。


「あはは。いいよ気にしないで。でもうちにいるもう一人の部員はめっちゃ怖くて、そういうことしてたらブチ切れると思うから、次からはやめてね」

「はい! すみません! 二度とここには来ません」

「えー、奥野先輩だって優香ちゃんと毎日ここでいちゃこらしてるくせに」

「部活だよ。いちゃこらじゃない」


 村上さんが間に入ってきたので、すかさず否定しておいた。


「真里ちゃん、せっかくだからお話聞かせてよ」

「えっ、お話ってなに?」

「ええっと……どっちから告白したの、とか?」


 優香がそんなことを言って、村上さんは嬉しそうにソファまで戻ってきた。いかにも女子の恋バナという感じだが、優香がそんなことを言うのは少し意外だった。


「それはねえ、わたしからです」

「真里ちゃんから? すごい!」

「えへへ。まあ仲良しのお友達って感じだったからね。ちゃんと言わなきゃ、って思って」


 こんな感じで、僕たちはしばらくの間、村上さんののろけ話につきあわされた。優香は真剣に聞き入っていたが、僕は途中で飽きて、聞き流していた。

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