第5話

 優香が僕の家から去り、妹の瑠璃と二人になった。

 僕の両親は仕事で帰りが遅くて、夕方から夜遅くまでは僕と瑠璃の二人で過ごすことが多かった。二ヶ月ぶりにこの状況になり、どこか懐かしい感じがする。

 瑠璃は夕食後、昔から好きなココアを淹れて飲んでいた。僕もリビングで一緒に、しばらく話をしていた。


「東京の生活には慣れた?」

「まあ、中学は家から近いし、スーパーとか全部歩いて行ける範囲にあるし。同じようなもんでしょ」

「そうじゃなくてさ、学校で友達とかできた?」

「……」


 瑠璃が急に暗い顔になる。この妹は委員長タイプというか、曲がった事が大嫌いなので、昔から他人と衝突しがちなところはあった。


「中三で転校だと大変だよね。もうみんな友達できてるからさ」

「別に……ぼっちじゃないし。お昼ご飯とか、みんなで一緒に食べてる」

「遊びに行くような友達はできた?」

「……うっさい、聞かないで」

「彼氏は?」

「死ね」


 僕と優香のことはさんざん聞いてきたのに、自分の事になるとこんな感じ。まあ、昔からこうだし、兄としては余裕をもって妹と話すべきだから、気にしないけど。

 もしかしたら、瑠璃は寂しくなってここに来たのかもしれない。いつもなら両親と行動するはず。両親がいなくても無理やりここに来たのは、歳の近い僕と話したかったからか。なかなか兄離れしてくれないんだよな。


「勉強は?」

「東京の塾通い始めてからめっちゃ点数上がった」

「よかったじゃん。高校も東京だろ? 大学行くにしても絶対都会の方がレベル高いし」

「そうするつもりだけど。でも航くんよりは全然、成績悪いし」

「そのうち追い越されるよ。僕なんか全然、勉強してないし」

「……疲れた。もう寝る」


 瑠璃がそう言ったので、歯磨きなど寝る準備をして、僕が自分の部屋に戻ったら、ベッドに瑠璃が寝ていた。


「待って。なんでここなんだよ。自分の部屋で寝なよ」

「私の部屋ベッドないじゃん。必要なものは全部東京に持っていったし」

「父さん母さんや瑠璃ちゃんが帰ってきた時のために布団だけ置いてあるだろ」

「床硬いからやだ」

「じゃあソファで寝なよ」

「航くんがソファで寝てよ」

「なんでだよ!」

「別に、一緒に寝ればいいじゃん」


 シングルベッドなので、二人一緒に寝るとかなり狭い。

 ただ、瑠璃は中学生になってからもたまに怖い夢を見るとかで、夜中に自分の部屋を抜け出し、僕のベッドに潜り込んでくることが何度もあった。優香と付き合っていることもあり、今後はもうやめなければと思っていたのだが。

 ソファで寝るのが嫌だったので、瑠璃の隣に入った。

 普通、女の子はお年頃になると父親や兄弟のことをキモく感じるものらしいが、瑠璃には全くそんな雰囲気がない。距離感がバグっている。ある意味心配ではある。僕としては一緒に寝るからといって興奮することなど一切ない。子守りのような感覚で、自分の場所が狭くなって嫌だなと思うくらいだ。


「……ねえ、航くん、あの秋山さんっていう彼女とどこまでしたの」

「ぶっ」


 電気を消した後、お互い背中を向けあっていたのだが、瑠璃がそんなことを話しはじめた。


「どこまでって何だよ」

「……エッチ、した?」


 妹からど直球で質問されるのはさすがにキツイ。母親にエロ本を見つけられた時のような。そんな経験ないけど。


「してないしてない。そういうことは一切ない。キスだってしたことない」

「ま、航くんはそんな勇気ないか」

「いや、彼氏もいない瑠璃ちゃんに言われても……ぐえっ」


 瑠璃が布団の中でヒップアタックをかましてきた。僕のお尻にヒットして、普通に痛い。


「じゃあさ、手はつないだ?」

「えっと……人混みの中とかではぐれないように掴んだことはあるけど。普段はつないでないかな」

「じゃあ、手つないであげなよ。デートしてる時とか、学校から帰る時とか」

「恥ずかしいな」

「女の子はそういうのに憧れるの。町中で手つないでるカップル見ると、私でもちょっとうらやましくなるよ」

「そういうものなの? 優香ちゃん、嫌がらないかな」

「付き合ってるのに手もつながないは変だよ。だったら付き合わないよ」


 なるほど、最近優香と進展がないな、と思っていたところだ。思い切って今度学校から帰る時、優香と手をつないでみようか。

 と考えていたら、いつの間にか瑠璃は寝ていた。


* * *


 翌日。

 瑠璃は土曜いっぱい家にいて、日曜の朝に東京へ戻るらしい。

 この日は勉強会と優香がご飯を作ってくれる日だ。瑠璃がいるから優香が敬遠するかと思ったけど、普通に来るとのこと。僕としても優香との関係が健全なものだと証明するのにちょうどいいので、いつも通り家に呼んだ。

 優香は家に来ると、いそいそと料理の準備を始める。瑠璃はリビングのソファでだらん、とその様子を見つめていた。


「そうだ、瑠璃ちゃん、優香ちゃんに料理教えてもらいなよ」

「え」

「瑠璃ちゃん、料理とかできないじゃん」

「ぐぬぬ」


 瑠璃は僕より料理が下手だ。僕が一人暮らしを始めることになって一時期母さんから一緒に習っていたが、すぐにやめた。


「優香ちゃん、いいかな?」

「はいっ、今日はカレーなので簡単です」

「カレーが簡単って……」


 瑠璃は憂鬱そうだったが、僕が背中をぱん、と押して無理やり料理に参加させた。

 僕はリビングで、優香が持ってきた教材の確認をしながら待つ。


「ああっ、瑠璃さん、それはお塩じゃなくてお砂糖ですっ」


 優香のとても不吉な叫び声が時折聞こえてきたが、僕が横槍を入れてもしょうがないので、耐えることにした。

 お昼になり、カレーが完成した。

 優香はいつももう一品つけるのだが、間に合わなかったようでカレーだけ。そのカレーも、以前食べたものより甘ったるいというか、しまりのない味だった。


「先輩、味はどうですか?」

「瑠璃ちゃんが作って、食べられるレベルに仕上がっただけマシだな」

「うっさい」


 瑠璃が足を蹴ってきた。すべての調味料の分量が適当なうえよく間違える瑠璃の料理は、本当に残してしまうレベルでまずかったのだ。


「最初は、優香もお砂糖とお塩間違えたりとかしてました。練習すれば大丈夫です」

「まあ……今日はうまくできたんじゃないかな」


 明らかに優香のことを敵視していた瑠璃だが、料理が終わった頃にはかなり丸くなっていた。これも優香の優しい人柄のおかげだろう。可愛すぎる優香に、親切にされて悪く思う人はいない。


「あの……瑠璃さん、ひとつ聞いてもよろしいでしょうか」

「何です?」

「優香のこと……親御さんに、報告しましたか?」


 僕もそれは気になっていた。うちの家族には『家族会議』というグループトークがあるのだが、そちらには発言がなく、瑠璃が親とダイレクトに連絡していると思われた。


「とりあえず、お母さんには言いました」

「なんて言ってましたか……?」

「夏休み、絶対会いに行きますって」


 うぇ、と僕は思った。妹にバレたうえ母親まで見に来るのか。恥ずかしすぎる。


「じゃ、じゃあ、悪くは思われてない、ということでしょうか」

「え? うちの航くんと付き合ってくれるだけで神様ですよ。彼女なんか作れる人じゃないんだから」

「おい」


 一応怒っておいたが、まあそれは事実なので返す言葉もなかった。


「そうだ! 一緒に写真撮ってください。お母さん、どんな子が見たいって言ってたので」

「えっ、あっ、はい」


 瑠璃がスマホで、なぜか自分も一緒に優香と並びながら写真を撮った。瑠璃は笑顔だったが、優香は緊張したのか、いつもより硬い表情だった。

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