第2話

 一度だけ、優香と一緒に学校から帰ったことで、僕の周囲の世界は大きく変わってしまった。

 次の日の翌日、朝イチで豊田(注:大地と同じサッカー部でチャラくて気さくな男子)に、


「ヘイヘーイ奥野クーン、あの優香ちゃんと一緒に帰ってたってまじかよ」


 と声をかけられた。誰かに見られていたとは思うが、たった一晩で伝わるとは。

 その後も廊下を歩いていたら、女子たちが輪になってひそひそ話していたり。

 極めつけは、普段は一切話さない同じクラスの女子が「奥野くん、一年の優香ちゃんと付き合ってるって本当?」と聞いてきたことだ。

 嘘をつくわけにもいかないので、「うん、まあ」と返事をしておいた。女子たちはえーっ、と声には出さなかったものの、肩をすくめて驚いた素振りをして、そそくさと逃げていった。

 この機会に僕は、優香がこの学校でいかに有名だったか思い知らされることになった。

 本人は、僕と同じクラスの友達、あるいは親交のある村上さんとしか話していないというのに、学年の違う僕たちの間でも話題になるほど、優香ちゃんは可愛くて、みんなのアイドルだったのだ。

 そんな優香に彼氏ができてしまった。しかも相手は大地のようなイケメンではなく、パッとしない僕。方方から悲鳴が上がっても仕方ないか。

 僕がどうこう言ってもこの手のゴシップは止められないので、いつも通り、ただ静かに学校生活を過ごして、放課後。

 デジタルイラスト研究会の部室には、優香と上尾さんの二人がいた。

 優香の定位置は部室の真ん中にあるソファなのだが、部屋の隅にあるいつも使っていないパソコンを起動して、優香がイラストを書いていた。

 僕は以前、上尾さんに優香へ絵を教えてほしい、と頼んだことを思い出した。優香への告白に勇気を使いすぎて、そのことは忘れていた。


「教えてくれたんだ」

「あんたが言ったんじゃない」

「まあね。えっ、上手いじゃん」


 優香は絵を書くことに没頭していて、こちらを振り向かなかったが、ディスプレイには少女漫画風の可愛い女の子の絵があった。


「私も驚いたわ。基本的な操作しか教えてないんだけど」

「優香ちゃん、絵書くの好きだったりする?」


 優香はペンを置いて、急にもじもじと、縮こまる。


「あの……怒らないですか?」

「怒る理由が全く見当たらないよ」

「中学の時、よくノートに落書きしてて」

「あー、なるほど」


 中学時代の優香はピアノに没頭していて、勉強についていけなかった。授業を聞いても理解できず、暇だから落書きをしていた、ということだ。


「今はしてないです、ちゃんと授業聞いて、ノートも書いてますっ」

「うん、知ってる。ノート見せてもらってるし、落書きなんか見たことなかったから。ちょっとびっくりしただけ」

「あの……上尾先輩、優香、いつもシャーペンで書いてたので、色の塗り方とかがわからなくて」

「そうだよね。教えたげるよ」


 上尾さんは、自分の作業以外には一切興味ないというタイプなのだけど、優香には甘かった。まあ優香が相手だからな。お願い事されるだけで可愛すぎて悩殺されてしまうからな。僕が相手の時とはわけが違うか。


「ありがとうございますっ! あっ、でも、奥野先輩を待たせてしまうので……先輩、今日は先に帰りますか」

「彼氏なんだから待つに決まってるでしょ」


 僕が返事をする前に、上尾さんが有無を言わさぬ雰囲気で迫ってきた。


「うん、待つよ」


 スマホをいじるか、本でも読んでいれば済む話だ。負担感はなかった。

 上尾さんは本格的に教えたらしく、夕方六時の完全下校時間までずっと待った。それでもまだ教え足りないらしく、明日また続きをやるらしい。デジタルイラストどころかパソコンを触るのも初めてだろうから、それくらい時間がかかるのは当然だ。

 先生に帰れ、と怒られないよう、僕と優香はいそいそと学校を出た。


「ねえ、村上さんは?」


 僕は、部室に行った時からずっと気になっていたことを優香に聞いた。


「えっと……優香が先輩と帰るので、邪魔になったら悪いので行かない、って言ってました」

「ほーん」


 ストーカーのごとく優香につきまとう村上さんのことだから、僕と優香が付き合うと言っても、執拗にブロックしてくるのかと思っていた。


「村上さんには、僕と優香ちゃんが付き合い始めたこと、ちゃんと説明したの?」

「はい……今日いろいろ話しました。先輩から告白されて、お付き合いすることになって……」

「なんか、文句言ってた?」

「いえ、優香が決めたのならいいよ、って言ってました。むしろ応援してくれてるみたいです」

「そうか。ならよかった」

「真里ちゃんは、他のお友達にも優香と先輩が付き合いはじめたこと、言っちゃったみたいです」

「あー、なるほどね」


 学校中で噂が広まった原因はあいつか。余計なことしやがって。


「クラスの友達とかから、なんか言われなかった?」

「いえ、特に……同じクラスのお友達は、おめでとう、って言ってくれました」


 ガチで学校内のアイドルである優香には、ただの陰キャである僕と違って凸するのもハードルが高い。今のところ、優香に被害は出ていないようだ。


「多分大丈夫だと思うけどさ、僕と付き合ってることでなんか馬鹿にされたり、嫌な思いしたら僕に言ってよ。なんとかするから」

「えっ……?」

「ん? なんかおかしなこと言った?」


 優香は、自分が学校の皆からアイドル的に見られていると気づいていないのだろうか。アイドルに彼氏ができたら、彼氏はファンから恨まれるし(もちろん、それを含めてファンとして応援するのが理想だ)、逆恨みでアイドル本人も恨まれるかもしれないのだ。『推しの子』という漫画で最近、読んだ。

 だから彼氏の僕としては、優香がそういう目に合わないよう、守る必要がある。


「優香ちゃんに何かあったら、僕が守るからね? 彼氏なんだからさ」

「……」


 優香は何も言わず、急にすたすたと歩くペースを上げた。

 小柄な優香が早歩きしたところで、僕は簡単に追いつけるのだけど。


「ど、どうかしたの?」

「優香の顔、見ないでください~」


 なぜそうなるのかは理解できなかったが、結局その日は家に着くまで、優香は僕に顔を見せてくれなかった。

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