第19話

 GWが明け、優香の中間テスト対策も佳境に入ってきた。

 驚異的なスピードで中学時代の復習を終え、高一初期の学習レベルにもついてきている優香。僕はもう、赤点の心配はしていなかったのだが、優香を不安にさせないよう、可能な限りの対策を行った。

 すでに先生から告げられた中間テストの出題範囲をもとに、重点的に勉強するポイントを僕が集約し、優香に教えて、ひたすら反復演習するように伝えた。

 この勉強方法は、出題範囲の決まっている定期テストにしか通用しないので、模試やその先の大学受験のことを考えると、あまり役に立たないと思う。

 ただ、今は自分の成績に劣等感がある優香の自信を取り戻すことが最優先だった。

 一度、赤点どころかクラスの半分より上位くらいの点数を取れば、自力でもなんとかやっていけるんじゃないか、と思えるだろう。僕が勉強を教えるのもいいけど、最終的には自分で身につけられなければこの先やっていけないし、ずっとご飯を作ってもらうというのも正直気が引けているのだ。

 デジタルイラスト研究会の活動時間を利用して、僕は毎日優香にそうやって勉強を教えた。

 そうしていたら、隣で聞いている村上さんもその方法をマネするようになった。


「僕、村上さんに教えてるつもりはないんだけどな」

「いいじゃないですか、減るもんじゃないし」


 僕が優香へ教えている間、村上さんが優香の隣に座って秘伝の方法を聞かれるので、防ぐ術もなかった。僕としては村上さんも言うとおり、減るものではないので、別にいいのだけど。


「村上さんは普通の入試で受かったんだよね? だったら自分でも勉強できるんじゃない?」

「できますけど、先輩の勉強法をマネしたほうが楽です。全然関係ないですけどこの前中野先輩と一緒に話してませんでした?」

「マジで全然関係ないな? 月曜日の昼休みでしょ、見てた人いたんだ。ってか、大地のこと知ってるんだ」

「あれだけイケメンで勉強もサッカーもできる先輩、女子なら誰でも知ってますよ。そんな中野先輩と陰キャラの奥野先輩が話してるのは意外でした。仲いいんですか?」

「そこは僕も不思議なんだよなあ。仲悪くはないと思うよ」

「じゃあわたしに紹介してくださいよ! 彼女いないんでしょ、あの人」

「やめといたほうがいいよ。あいつ巨乳好きでGかHカップないと嫌らしいから」

「うえ、三つくらい足りないですね。まあそこは将来に期待ってことで」

「無理がある」

「そんなこと言わないでくださいよー。っていうか、優香ちゃんなら大丈夫なんじゃない?」

「ふぇ!?」


 隣で黙々とメモをとっていた優香が、急にびくんと跳ねる。


「村上さん、優香ちゃんの露払いなんでしょ? 優香ちゃんのこと男子に取られてもいいの?」

「奥野先輩みたいな変な人に取られるのは嫌ですけど、中野先輩みたいにしっかりした人なら別にいいです。彼氏いたら他のやばい男は近づけませんし」

「なるほどね。優香ちゃん、明日から別の場所で勉強しよっか。村上さんに聞かれないところで」

「あー、ごめんなさい今の嘘です、奥野先輩は割とまともな人です」


* * *


 週末。

 僕の家にて、優香のテスト勉強の進捗を確認するため、勉強会が開かれた。

 優香は僕が示したテスト対策プランを問題なく消化できていた。赤点回避を最優先するため、三段階に勉強内容を分け、簡単な一段回目からマスターするように言っていたのだけど、すでに三段階目へ着手していた。

 これなら赤点なんか取る訳ないし、次からは僕が手伝う必要もなさそうだ。

 例によって、優香は僕のぶんの昼食を作ってくれる。今日はビーフシチュー。肉がとろとろに煮込まれていて、自炊どころか高いレストランじゃないと食べられないレベルの逸品だった。


「あの、先輩、一ついいですか」


 食べながら、優香が話しかけてきた。


「どうしたの?」

「この前、合唱部の熊野部長から優香を守ってもらったので、そのぶん新しいお礼をしたいと思うのですが」

「新しいお礼……?」


 料理をしてくれるだけでもありえないほどのお礼なのに、また何か増やすというのか?


「優香、先輩のお洗濯をしようと思います」

「え、洗濯? 自分でできるよ、一人分なら大したことないし。っていうか優香ちゃん、僕の服なんか触りたくないでしょ」

「べつに先輩の服には抵抗ないです」

「パンツも?」

「……っ、心を無にすれば大丈夫です」

「無にする必要はあるんだ……」

「パ……お父さんと住んでたときは、男の人の下着も洗濯してましたので」

「まあ家族はそういうの気にしないでしょ。でも本当にいいよ、何ならご飯だって作らなくていいんだから。この中間テストが終わって、優香ちゃんが一人でも勉強できるようになったら、もうご飯作るのはやめようね? 大変でしょ、いつも」

「大変じゃないです、優香、家事は一通り教え込まれているので、なんともないです。それよりお勉強をちゃんとできる自信が、まだないです」

「うーん」


 赤点をおそれ、僕のことを生き残るためのライフラインだと思っているような感じは、もう慣れた。しかしそれに対して、ことあるごとにお礼を提案されるのは、やはりおかしいと思う。

 村上さんなんか、優香への勉強会を盗み聞きして、なんの悪びれもない。本来ならあれが普通だ。いやちょっと図々しいとは思うけど、一応部活の後輩だしまあ許すか、というところ。

 僕は優香に、お礼のことなんか考えないで、自分のことを大事にして生きてほしいのだけど。

 

「とりあえず、中間テストのことだけ考えよ? 今、新しいこと増やしたら大変だよ。テストの点数に影響するかも」

「はい……わかりました……」


 優香はとてもしょぼんとした顔になる。

 洗濯なんて、許されるならやりたくないような仕事を、やらなくてよくなったのに。落ち込むのはなぜなのだろうか。

 僕は、優香のことが少し、わからなくなってきた。

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