第20話
テスト前の期間に入り、学校の部活は禁止になった。
放課後図書室で勉強している一部の生徒を除けば、皆下校して学校中静まりかえる。
そんな寂しい学校の雰囲気をものともせず、上尾さんはデジタルイラスト研究会の部室で、一人イラストを描いていた。
見つかったら先生に怒られるのだが、デジタルイラスト研究会の部室は校舎の端にあるうえ、電気を消せばどこからも中は見えない。だからいつも上尾さんはこうだった。
僕が部室に入っても、こちらを見もせずペンタブに没頭していた。
「勉強、大丈夫なの? 前の期末テストで赤点取ったんでしょ」
「赤点取ったって補講受けたら卒業できるし関係ない」
うちの高校、というか他の高校もそうだと思うが、赤点を取っても補講と再テストを受ければ、お情けで進級はできる。優香には、なんとしても赤点を回避したいという気持ちを折らないよう、言わないでおいた。
実は、この部で最も赤点に近いのは上尾さんだった。イラストにすべてを賭けているため、勉強の時間を全く用意していないのだ。一般入試で入学できているのだし、少し勉強すれば赤点なんか取らないと思うんだけど。
「補講受ける時間がもったないよ」
「私にとっては、勉強して点取るより補講受けたほうが時間かからないのよ」
「その発想はなかったわ」
「あんたみたいな天才とは違う。で、用事は何?」
冷やかしだけでこの部室には来ない。上尾さんと話す用事がある時だけだ。
優香や村上さんが加わってから、二人の時間がほとんどなかったので、少し懐かしい気持ちになる。
色々考えたものの、優香が過度に僕へのお返しをしようとする問題は、僕だけで止められそうにない。上尾さんなら僕と違って女子だし、違う視点でヒントをくれるかもしれないと思ったのだ。
「中間テストが終わったら、優香ちゃんに絵の書き方教えてくれないかな」
「別にいいけど」
「いいんだ。自分の作業の邪魔になるから嫌とか言うと思ってた」
「部活の後輩なんだから当たり前でしょ。それに優香ちゃん可愛いし、なんかいい香りするし。近くにいると癒やされる」
「それは僕も知ってる」
「けど、なんで急にそんな話するの?」
「いやさ、優香ちゃん勉強以外は家事くらいしかしてない生活しててさ。僕が思うに、勉強以外の趣味的な活動を持ったほうがいいと思うんだよね」
「ふうん……まあいいけど。あんた、本当にお人好しよね。優香ちゃんのこと、そこまで考えてるなんて」
「まあね。どうにかしないとご飯作られちゃうからなあ」
「ご飯?」
「あ」
そうだ、優香のへの勉強会と、ご飯を作ってもらう関係はまだ言ってなかった。
ただ、上尾さんは誰かに言いふらすような人ではないし、一年以上同じ部活で、信頼関係もある。この際だから、このところの僕と優香の状況を話してしまった。
「ふうん。あんたが女の子相手にそこまで気を使うとは思わなかった」
「うん。僕もびっくりだよ。でもさすがに女心はよくわからないから、相談したいんだよね」
「相談する相手、間違えてる」
「そう言うなよ。上尾さんは、どうしたら優香ちゃんが僕にお礼を求めるの、やめさせられると思う?」
「付き合っちゃえば?」
「へっ?」
「ただの先輩と後輩だから、貸し借りが気になるんでしょ。彼氏と彼女なら、お互い協力しあって当然なんじゃない」
「それは一理あるな……ただ、大きな問題がある」
「何よ」
「優香ちゃんが僕みたいなパッとしない男と付き合ってくれるとは思えない」
「そうね」
「否定してよ」
「パッとしないのは事実だけど、優香ちゃんはもうあんたの家に遠慮なく入るほど心開いてるんでしょ? それってもう付き合ってるようなものでしょ。改めて確認するだけ」
「うーん……そうなのかなあ……?」
僕と優香が、ただの友人という以上に仲良しなのは認める。ただ、あくまで勉強と料理という貸し借りの関係を続けてきたのだ。洗濯もしたい、とか優香が言い始めたのも、貸し借りの関係に留めるためではないか。
「それに、もし失敗して振られたら、気まずくなってこれ以上優香ちゃんへ近づけなくなるじゃん。そうすればあんたもゲーム中心の生活に戻れるんじゃない」
「確かに」
それはそうなのだが、二度と優香へ近づけなくなる、と思うと、急に体中がずしりと重くなり、視界が青くまどろんでいく感じを覚えた。
優香のいない生活なんて、考えたくない。
「それとも、あんたの中では、もうゲームより優香ちゃんが大事になってるのかもね」
「そう、かな?」
「あんたがそんな絶望の淵みたいな顔したの、初めてだけど」
「ううん……」
「早くしないと、他の男に取られてちゃうかもよ」
「それは嫌だな」
「早くしなさいって」
「……わかったよ。テスト終わったら告白してみる」
「よろしい」
「上尾さん、妙に乗り気だよね? 優香ちゃん取られて悔しくないの?」
「めっちゃ悔しいけど、私のものになるはずもないし。もし成功したら、優香ちゃんの手料理私にも食べさせてよ」
「それは多分、僕が告白なんかしなくても、優香ちゃんはやってくれると思うけど」
「あんたへの愛がこもった手料理じゃなきゃダメなのよ」
「なかなか複雑な趣味してるね」
僕は軽くお礼を言って、一度もペンタブから目を離さないまま話していた上尾さんの姿を少しだけ見つめてから、部室を出た。
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