第15話

 僕が熊野美晴のことを知ったのは、一年生の三学期だったと思う。

 熊野さんのことを気にしていた訳ではない。教室に忘れ物をして、放課後時間がたってから取りに戻ってきた時、偶然出くわした。その時まで、熊野さんの事はよく知らなかった。

 テスト期間中で、部活動も禁止だったから、教室には誰もいないと思って、思い切りドアを開けた。


「わわわ忘れもの~♪」


 鼻歌まじりでドアを開けたら、教卓の上に二人の生徒が座っていて、僕はびっくりして歌うのをやめてしまった。

 二人の片方は、中野大地。この頃から僕とはよく話す仲で、イケメンで成績もスポーツも優秀、女子にもてまくる。ただし本人は巨乳好きで、自分の趣味に合うカップ数の女子がこの学校にはいない、というキャラも同じだった。

 もう一人は、見たことがない女子だった。

 二人でいるだけならまだよかったのだが、この二人は熱い口づけを交わしていた。

 けっこうな勢いでドアを開けたのに、僕の存在には全く気づかず、数十秒の間キスを続けていた。大地と、その女子の唇どうしが混じり合う雲のようにふわふわと動いていて、最後口を離した時には、二人の口の間に糸が引かれていた。

 キスを終えた後もじっくりとお互いを見つめ合って、その後やっと、女子の方が僕の存在に気づいた。


「あ、あ、あ」


 その女子は、まあ誰でもそうなるだろうが、一瞬にして沸騰するように真っ赤になり、ダッシュで教室から出ていった。

 教室には、僕と大地だけが残された。


「大地……?」

「……すまん、見なかったことにしてくれ」


 大地が頭を下げ、さらに土下座までしようとしたので、僕は慌てて止めた。


「いやいや、僕がいきなり入ったのが悪いんだし、大地が謝らなくていいよ!」

「……」


 それから大地は、キスをしていた熊野美晴との関係を、僕に教えてくれた。

 実は中学の頃からずっと付き合っていたが、大地の親が厳しく、男女交際を認めていないため、秘密にしているのだという。


「じゃあ、巨乳好きっていうのは嘘なわけ?」


 初見だったが、熊野さんの胸は大きくなかった。というか男子とあまり変わらないように見えた。


「いや、巨乳は好きだ」

「そこはぶれないんだね」

「親に禁止されている、くらいでは告白してくる女子を止められないんだよ。禁断の恋っていうのに惹かれるんだろうな。秘密でいいから付き合おうって。だからこのスタンスを取ってるんだ」

「モテる男は大変なんだね……でも彼女は胸、小さくてもいいんだ?」

「胸の大きさで女子のことを判断するなんて最低だろ。中身が大事だ」

「言動と行動が矛盾してるんだけど……」

「お前も、好きな女ができればわかるさ。胸の大きさなんて関係なく、その女の事ばかり考えるようになるから」


 大地からは、こんな感じで熊野美晴の話を聞いていた。

 その後、僕にとっては大地と熊野さんの交際について、誰にも話すことはなかった。僕としては、大地と仲違いすることの方が怖かったし、そもそも誰かの色恋沙汰を雑談で話すようなキャラではなかった。

 僕から言いふらすことがまずないとわかっているからか、大地から再びその話題を振られることはなかった。

 その約束は、優香のために破ってしまう事になったけど。


* * *


「一体どんな手を使ったんですか……?」


 逃げていった熊野さんを見て、優香が不思議そうに聞いてきた。


「うーん、それは秘密」


 優香に大地と熊野さんとの関係までバラす必要はない。知ってしまったら、どうしても言いたくなるものだ。特に優香はいい子だから、断りきれずに誰かへ漏らしてしまうということも考えられる。


「多分だけど、もう熊野さんは優香ちゃんに話しかけないと思うよ」

「本当、ですか……?」

「うん。まあ、話しかけてきたらまた僕が撃退すればいいし、安心してよ」

「は、はい……わかりました……」


 優香はまだ落ち着かない感じだった。一発で熊野さんを撃退したことが信じられないようだ。理由を話せないので、こちらももどかしいが、これが最良の説明だと思う。


「さ、嫌なことは忘れて遊ぼうよ。まだ早い時間だし。どっか行く?」

「はい……あの、スーパーで晩ごはんの食材を買いたいのですけど」

「そっか。僕も付き合うよ」

「今日は、助けてくれた先輩においしいもの作ります」

「ありがとう」


 遊んだ後にまた料理とは、疲れてしまわないのか心配だったが、それで優香の気が晴れるのならまあいいか、と僕は快諾した。

 そうして二人で、夕飯のための買い物をした。

 村上さんのことを完全に忘れていて、買い物が終わって袋詰めをしているところで見つかり、めちゃくちゃ怒られたけど、大した問題ではなかった。

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