第14話

『太鼓の超人』の前では落ち着かないし、待っている人もいたので僕たちは場所を変えた。青柳モールは二階の売り場から外のテラスに出られるようになっていて、まだ五月で寒いからか誰もいなかった、僕と優香は人混みから離れたベンチに座り、話をはじめた。


「優香、西高へは推薦入試で入学したのです」

「推薦かあ。うちの学校で有名なバドミントン部とかは推薦あるって聞くね。でも優香ちゃん、スポーツはやってないよね?」

「はい。優香は合唱部への推薦です。ただ歌が上手いわけではなくて、ピアノ伴奏をするために推薦を受けたんです……でも今は……ピアノ、弾けなくなっちゃって」


 なるほど。これなら優香がほとんど勉強できなかったことや、合唱部とトラブルを起こしていることも説明できる。


「弾けなくなったって、指を怪我したとか? 腱鞘炎、ってやつ?」

「いえ、体は問題ないんです……でも……その……」

「待って、辛いなら言わなくていいから。そこまで教えてくれただけで十分だ」


 怪我だけでなく、精神的な理由でピアノが弾けなくなることもあるだろう。優香がこれまで頑なに僕へそのことを言わなかったのは、思い出すのも辛い理由があるからだと思う。僕は優香が元気に生きていてくれればそれでいいから、今多くを語らせて、無駄に辛い思いをさせてしまうのは危険だ。


「優香は、推薦入学なのに、推薦されたピアノが弾けなくなってしまったので……今までは、ほとんどピアノの事だけ考えてきたので……頑張ってお勉強して、赤点は取らないようにしないと……卒業も、できません」

「だからあんなに焦ってたんだ」

「はい……それに、もし赤点取ったら東京にいる両親のところへ転校させる、と言われているので……それも、嫌です」

「そっか。僕も、成績悪かったら東京に連れ戻す、って親に言われてるから。そこは同じだね」

「先輩とは、レベルが違います……優香は、先輩みたいにいい大学へ行けるほど頭が良くないので……勉強して、ちゃんと就職しないと……」

「それはまだ早くない? 三年間勉強してみないとわからないよ」

「いえ……せめて地方公務員くらいにはならないと……」

「高一なのにやたら現実的な目標だね……」


 優香が、病的なほど赤点回避に固執する理由もわかった。

 今の優香は、昔得意だったピアノをやめて、何かしら生きるための目標を手に入れる必要があった。それが何なのかはまだわからないが、とにかく足掻くしかない。そんな時に、合唱部との問題をぶり返してしまうと、優香のメンタルにはマイナスにしかならない。


「話、戻るけどさ。合唱部には、もうピアノ弾けないって説明してないの?」

「顧問の先生には、入学前に説明しました。お母さんと一緒にお話したので、先生は何も言いませんでした」

「じゃあなんで、あの合唱部のひとは優香ちゃんにあんなこと言ったのかな」

「西高の合唱部は名門で、毎年全国大会に出場するすごい合唱部なんです。コンクールで演奏する曲は、一年前から毎日練習しています。でも優香がピアノを弾けなくなってしまうと、他にピアノ伴奏できる人がいないので、今からコンクールで歌う曲を変えないといけないのです。そうなったら今まで練習してきた意味がなくなるし、短い練習期間ではコンクールで不利になります。だから、まだ優香にピアノ伴奏してもらうこと、諦めきれないんだと思います」

「なるほどね……向こうには向こうの事情があるんだ」

「はい。だから優香も、優香のせいでこうなってしまったので、合唱部の人たちには本当に、申し訳ないのです……」


 心優しい優香の性格を考えれば、命をかけている合唱コンクールで苦労することを想像してしまうと、申し訳ない気持ちになるのは自然だ。


「うん。優香ちゃんの気持ちはよくわかった。自分のせいで合唱部に迷惑がかかってるから、何も言い返せないってことだね」

「はい……」

「知るか、そんなの」

「はい……?」


 正直な気持ちを言うと、優香はおどろいて、ずっと下の方を向いていた視線を僕の目に合わせた。何を言っているんだろうこの人、という感じだ。


「合唱部の人たちがどうなっても知らないよ。僕と、優香ちゃんには関係ない」

「でも……五十人くらいいる合唱部の人たち、みんなに迷惑がかかるので……」

「五十人も集められるんだったら、ピアノ伴奏だってもう一人くらい見つけられるんじゃないの? 運動部で絶対エースが怪我するようなものでしょ、今の状況って。それを怪我してる人に責任押し付けるのはおかしくない? 抜けた人の分は、残った人たちでどうにかしなよ、って僕は思うね」

「それは……あっ」


 じっと聞いていた優香が、店への入り口の方を見て声をあげた。

 そこには、さっき優香を怒鳴りつけた、ツインテールの女の子がいた。


「どうしよう……」

「優香ちゃん、あの人の名前わかる? 僕、どっかで会った気がしてるんだけど思い出せなくて」

「熊野美晴さんです。二年生で、合唱部の部長さんです」

「くまのみはる……あっ、思い出した! 優香ちゃん、ここは僕にまかせて」

「えっ……?」


 ずかずかと歩いてきた熊野美晴を、僕がベンチから立ち上がって、進路を遮った。


「何よ、あんた。もしかして秋山さんと付き合ってるの?」

「そういうのじゃない。たまたまご近所さんで、仲が良いだけだよ」

「ふうん。だったらあんたには関係ないわ。そこをどいて」

「いや関係あるね。ご近所さんをいじめる人は、僕が許さない」

「いじめてなんかないわよ。私は合唱部に戻ってきてほしいと思ってるだけ――」

「ねえ、ちょっと」


 僕は小さく手招きして、熊野美晴に耳打ちした。


「キミ、大地と付き合ってる人だよね?」

「っ!?」


 熊野美晴は、先程までの毅然とした表情が嘘だったように、真っ赤で恥ずかしそうな顔になった。恥ずかしすぎたのか、ご自慢のツインテールが逆立っていた。


「いいの? これ以上優香ちゃんに迷惑かけたら、この事みんなに言いふらすけど」

「あ、あんた……最っ低っ……!」

「最低? 嫌がってる優香ちゃんを無理やり連れ去ろうとする人よりマシだと思うけど」

「っ……もういい、帰る!」


 熊野美晴はぴゅーん、と走って去ってしまった。

 僕は、何が起こったのかわからずぽかんとしている優香に、ぐっ、と親指を立ててみせた。

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