第13話

 その後、優香はすっかり気を落としてしまった。

 合唱部の演奏も終わったので、村上さんも含めて近くにあったよくある大手チェーンのカフェに入ったのだが、優香は「何もいらないです」と言った。

それでは困るので、紅茶だけ頼んで席についた。僕はコーヒーだけ。村上さんはカフェオレとチーズケーキ。

 いや、この状況で食うのかよ。しかもなんだその甘ったるい組み合わせ。見ているだけで胃が痛くなるわ。


「ごめんね、優香ちゃん。わたし、優香ちゃんが合唱部の人たちと仲悪いの、知らなかった」

「……」


 村上さんが優香へしきりに話しかけるものの、反応はない。

 いつもの優香は、怒っていてもどこか可愛さを感じるほどなのだが。この時は感情がまるごと消えてしまって、空っぽになっているような姿だった。

 見ている僕は、辛いというか、ある種の恐怖を覚えた。優香が優香でなくなったような感じがしたのだ。

 さっきの優香が怒鳴りつけられたイベントを考えても、優香が合唱部と何らかの軋轢を生じている、というのは疑いようのない事実だ。しかし、僕には全くわからない。


「先輩、ちょっと」

「ん」


 村上さんに目配せされ、席を立った。村上さんがどれだけ話しても、優香の気持ちを戻せないのは明らかだった。


「あの、気づいてるかもしれないですけど、優香ちゃん中学時代にいろいろあったんです」

「うん。何かしらあったんだろうね。何なのか、全く想像はつかないけど」

「わたしは同じ中学だから、一部始終は知ってます。でも優香ちゃん、その話題になると、今みたいに魂が抜けたような感じになるから、その話題は絶対言わないようにしてるんです」

「今みたいな優香ちゃんの姿は見たくないよね。わかるよ」

「絶対触れないようにしようと思ってたのに、こんな形で思い出させちゃって……わたし、もうこれ以上どうしようもないんです、助けてください」

「わかったよ。僕も、今みたいな優香ちゃんの姿は見たくないから。ちょっと、二人で話してもいいかな? 終わったらLINEするから」

「わかりました、お願いします。弱みにつけこんで口説いたりしちゃダメですよ」

「そこまで外道じゃないよ」


 僕は、一人で優香のいる席に戻った。


「ごめん、ごめん。村上さん、食べすぎてお腹壊してトイレ行ったから」


 村上さんはカフェオレとチーズケーキをすでに完食していた。お腹を壊したというのは適当な嘘だが、まあ壊してもおかしくない量ではある。

 優香はその話題に興味を示さず、返事をすることもなかった。


「優香ちゃん、さ」

「……」

「合唱部の人と、なんかあったんだね?」

「……」

「僕に話してくれないかな?」

「……」


 本当に、魂が抜けた人形みたいだった。

 僕が話しても、言葉がまるで優香に届いていない。人形に向かって話しているようで、独り言を言っているように感じた。

 ダメだ。言葉では、優香の心は動きそうにない。しかし、今の雰囲気のまま一緒に帰るのはよくない。明日から予定している勉強会も、この調子ではできるかどうか。そうなったら、せっかくここまで積み上げてきた学力が落ちて、中間テストで赤点を取ってしまう可能性もある。


「優香ちゃんってさ、ゲーセンとか行く?」


 ふるふる、と優香が首を横に振った。


「行ってみようか。っていうか、行こ」


 優香は乗り気ではなさそうだったが、先輩である僕には逆らえないのか、ついて来た。

 ゲーセン、といっても近くにある小規模なゲームコーナーで足を止めた。


「あれ、やってみようよ」


 僕が選んだのは、『太鼓の超人』という有名な音ゲーだった。

 とりあえず元気を出してもらわないと、会話ができない。でも格ゲーやレースゲームは馴染みがないだろうから、初心者でもすぐにプレイできる『太鼓の超人』を選んだ。

 優香は不思議そうな顔でバチを持っていた。僕が適当に曲を選び、いつもの難易度『きちく』にした。これは隠しモードで、デフォルトでは出ない。優香も僕の真似をして、同じにした。


「あっ、優香ちゃんはもっとやさしいのにした方がいいよ」


 僕の手で難易度を変更しようと思ったけど、時間オーバーで『きちく』のままスタートしてしまった。

『きちく』モードは、中学生の頃からやり込んでいる僕でもきついレベルなので、初見の優香がついて来れる訳ない、と思っていたのだけど。

 演奏が始まり、数秒後には『きちく』の超早いリズムについて来ていた。

 僕は必死に太鼓をたたきながら、たまに優香の顔を見た。真剣そのもので、そこには魂が宿っていた。しかしいつも見ていた、ふんわりした雰囲気の優香とはまた別の魂だと思われた。見ているこちらが圧倒されて、一歩引いてしまいそうな迫力があった。

 結局、僕は初見のはずの優香にスコアを逆転され、フィニッシュした。


「優香ちゃん……今の、初見でこれ……?」

「はい。面白かったです」


 正直なことを言うと、『きちく』を難なくプレイする僕の姿で、優香にかっこいいところを見せたいという気持ちはあった。しかし結果は逆である。汗だくになっている僕と、涼しい表情ですましている優香。


「他の音ゲーやってたの?」

「おと、げー、ですか? 優香、ゲームセンターはこれが初めてです」

「じゃあ、なんでそんなにリズム感があるんだ……?」


 僕が言うと、優香がしまった、という顔になる。


「僕に、教えてくれない?」

「……」

「絶対、誰にも言わないし。さっき合唱部のあの二年の子になんか言われて、困ってたでしょ? 教えてくれたら、僕はあの子が優香ちゃんに近づかないよう、協力するから」

「それは……先輩とは、関係ないです」

「あるよ! 毎日僕にご飯作ってくれるやさしい優香ちゃんの辛そうな顔なんか見たくない!」


 僕は、優香の手を握る……のはちょっと恥ずかしかったので、優香がまた両手に持っていたバチを握って、ぐっと迫った。

 優香は、観念したかのように、ゆっくりと話しはじめた。


「……優香は、昔、ピアノを習ってたのです」

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