第6話

 翌日。

 優香が、僕の出した課題を全部終えたというので、また僕の家に来た。

 課題をチェックして、また次の課題を出すことにした。優香は地頭がいいらしく、中学の内容を一から教えれば、すぐに理解できた。

 一通り課題を出し終わると、優香はまた、僕の家のキッチンで料理を始めようとした。今日はエプロンも持参していて、気合が入っている。


「あっ、優香ちゃん。ちょっと待って」

「はい?」

「毎日僕のための料理なんて疲れるだろ。その代わり、お願いがあるんだ」

「何でしょう?」

「優香ちゃん、部活はどこに入るか決めた?」


 僕が言うと、優香は急にぶるっと震え、すごく悲しそうな顔をした。


「……部活には、入りません。優香、お勉強しないと赤点取っちゃうので」


 本気なんだろうけど、そんな辛そうに言うセリフだとは思えなかった。部活なんて、ガチ勢からすれば勉強よりも大事なものだけど、そうでない者は沢山いる。まだ迷ってるんです、とか、部活は興味ないんですよねー、とか軽く言ってくれた方が納得できるんだけど。

 もしかしたら、過去に部活で何かあったのだろうか。中学時代に部活で目立った成績をあげると、高校でも勧誘されがちだ。ただ、優香はスポーツが得意なようには見えないので、その可能性は低いと思う。

 色々考えたけど、過去のトラウマへいたずらに触れるといけないので、とりあえず聞かないことにした。


「僕、デジタルイラスト研究会っていう同好会に所属してるんだけど」

「でじたるいらすと研究会、ですか?」

「うん。簡単に言うと、パソコンを使ってイラストを書く活動をしてる。まあ、僕はそんなに絵を描くのが得意じゃないから、もう一人の部員の上尾さんって子の活動が主なんだけど。優香ちゃんさえよければ、そこに入ってくれないかな」

「でも、お勉強の時間が……」

「大丈夫だよ。活動日とか、特に決まってないから。来たくなければ全然来なくてもいい。好きに使える部室があるから、そこで勉強を教えられれば、僕の家でするより全然いいでしょ。正直、他人の家にいちいち入って勉強するのって、なんか疲れるでしょ」

「優香は、別に疲れてないです。先輩が優しいので」


 不意にきゅんとする事を言われて、僕は極楽浄土まで昇天しそうな気分になった。

 いけない。ここは気を引き締めないと。同好会の存続の危機なのだ。


「でも、たしかに、先輩からしたら迷惑ですよね……」

「あっ、いや、僕は別に迷惑じゃないよ? 優香ちゃん飲み込み早くて教えがいがあるし、ご飯はすごく美味しいし、一緒にいたらなんか落ち着くし」


 今度は優香が不意にきゅんとする番だったらしく、急にあたふたしはじめた。特に最後の一言は、本音なのだけど、捉え方によっては告白みたいに誤解されかねない。


「えっ、えっ」

「いや、違う、違わないけど、とにかくデジタルイラスト研究会の存続のためなんだよ。入部届を出してもらうだけでもいいから、僕のためだと思って入部してくれないかな?」

「入部しても、今までみたいにお勉強を教えてくれますか?」

「もちろん!」

「……じゃあ、そうします」


 入部に関して、優香は最後まで何かを思案していた。とはいえ約束はできたので、これでデジタルイラスト研究会は守られた。

 ちなみに、この日は料理しなくていいと言ってしまったので、一人でパスタを茹でて食べました。塩パスタおいしい。


* * *


 翌日。

 僕は、優香をデジタルイラスト研究会の部室に連れて行った。

 涼子は、僕と優香が入っても全く反応せず、ひたすら画面に向かっている。


「上尾さん。新入部員連れてきたよ」

「ふうん」


「は、はじめまして、一年の秋山優香と申しますっ」


 優香はとても緊張していた。この同好会には強い上下関係があるわけじゃないから、そんなに改まる必要ないんだけど。


「……うっ」


 涼子は、優香を見て固まった。

 それから、両手をわきわきさせながら、とても怪しい顔で優香に迫ってきた。


「何この子、めちゃくちゃかわいいんだけど」

「うん。自慢の隣人だよ」

「さわってもいい?」

「いいわけないだろ」


 僕は優香の前に手をかざして、涼子からガードした。優香はさっ、と僕の背後に隠れる。そんな優香の反応を見て、涼子はショックだったらしく、肩を落とした。


「私、部長の上尾涼子。秋山さん、パソコンとかでイラスト書いたことあるの?」

「あっ、えと、ごめんなさい、優香、パソコンとかあんまり使ったことなくて」

「心配ないよ。そいつがパソコンの大先生だから、基本的なことは教えてくれるから」

「いや、部長なんだから上尾さんが教えなよ」

「私は制作で忙しいからいいのよ。それに絵を描くことはともかく、パソコンの操作とかはあんたの方が詳しいでしょ」


 かつて、僕たちより一世代上の高校生たちはパソコンを当たり前のように使えたという。インターネットをするのにパソコンしか手段がなかったからだ。今はスマホやタブレットがあれば事足りるから、パソコンを当然のように使える若者は減っている。父親から聞いた話だ。僕は父親の趣味もあってパソコンを昔から使っていたから、そのへんは問題ない。

 実際、涼子もパソコンを使った経験があまりなくて、電源の入れ方から僕が教えた。優香にも、同じように教えるだけだ。


「っていうか、優香ちゃん絵は描けるの? 僕、本当に人数稼ぎのために連れてきただけだから、そのへん確認してないんだよね」

「えっと……授業がわからない時に、たまにノートへ落書きしたりします……」

「いや、勉強しなよ」

「あふっ! ご、ごめんなさい」

「まあ、それ僕もよくやるから、他人のことは言えないけど」

「むー」


 優香はふくれてしまった。怒ってるんだけどかわいい。なんだこれ。


「あの、上尾先輩はどんな絵を書くんですか」

「んー……色々書くよ」

「上尾さん、こないだペクシブで日間ランキング三位取った絵でも見せてあげなよ」

「ああ……そうね。見るのが一番早いから」


 涼子がパソコンを操作して、イラストを表示させる。


「ぺく、しぶ?」


 優香が首を傾げている。ああ、オタク文化に興味のない層はこんな感じだよね。


「ネットでみんながイラストを書いてアップロードできるサイトのことだよ。上尾さん、日間ランキング取れるほどすごいんだ」

「すごいんですか……?」

「日本中で、その日のアクセス数が三位だったって事だからね」

「日本中で! それはすごいです」


 優香が画面を見ると、そこには壮大なイラストが描かれていた。

 巨大な積乱雲をバックに、麦わら帽子の少女が港町を歩いている。背景の描き込みがすごい。


「わあ……すごい、すごいです! こんなの優香だったら絶対書けないです! どうやったらこんな風に描けるようになるんですか?」

「んー、最初は無理でも、毎日地道に練習したらそのうちできるんじゃない」


 実際には、才能があるかないかの要素が大きいので、努力しても涼子のレベルにまで達するかどうか、微妙なところだけど。

 優香はその言葉を聞いて、なぜか固まっていた。


「……優香ちゃん?」

「あっ、はい、そうですよね、練習、練習が大事ですよね」


 なぜそんなことを言われて固まるのか、僕も、涼子もよくわからなかった。

 この日は優香に入部届を出してもらって、毎日ここで勉強する約束をして、優香と別れた。

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