第2話

 優香と名乗った少女をおぶって、この子が出てきた僕の家の隣で降ろそうとした。


「はい。今日はお父さんかお母さんに言って、ゆっくり寝てようね」

「……優香、一人暮らしなんです」

「……はい?」


 まさか同じ境遇の女の子が隣の家にいると思わなかった僕は、素っ頓狂な声を上げてしまった。

 冷静に考えたら、こんなに調子の悪い子を一人にするのはまずい。しかし、救急車を呼んで大事にするのも気が引ける。

 

「し、仕方ない。今日は僕の家に泊まって」

「えっ……?」

「僕も、一人暮らしだから。あっ、決してやましいことをしたい訳じゃないよ。流石に熱出してる女の子を襲うほどの外道じゃないからね!」


 僕は、優香を自分の家に入れた。

 他の家族が使っていたベッドなどの家具は、引っ越しで全て持ち出されている。だから唯一残っているリビングのソファに優香を寝かせた。

 コートを脱ぐと、優香は僕と同じ高校の制服を着ていた。


「あれ、西高の子なの?」

「はい……今年から、ですけど」

「じゃあ、僕の後輩だね」

「えっ……」

「あっ、今は気にしなくていいよ、ここで寝てて」


 僕は水分補給用のスポーツドリンクと、おでこに貼る熱冷ましを用意して優香に与えた。

 薬もあったけど、知らない子に飲ませてなにかあったら困るので、明日必ず病院につれて行くことにして、今日は休んでもらうことにした。


「そういえば、今日、入学式だったよね。だから制服なんだ」

「はい……あの……お名前は……」

「僕は奥野航。西高の二年生だよ」

「奥野先輩……その……西高で使ってる問題集、貸してもらえますか……」

「えっ、いや、勉強はいいって」

「来週、すぐにテストがあるので……優香、頭が悪いから、お勉強しないと……」

「そんなのどうでもいいよ。優香ちゃん、たぶん新しい生活にまだ慣れてなくて、風邪ひいちゃってるんだよ。今は治す方が大事だよ。そういう子、けっこういるから気にしなくていい」

「でも……高校では、テストで赤点をとったら、進級できないって……」

「あー、入学式の後のテストって、実力テストのことだよね?」

「はい……」

「それ、気にしなくていいよ! あのテスト、春休み中に生徒を遊ばせないための口実だから! そのテストで悪い点とっても赤点にはならないし、その後の推薦やクラス分けにも影響しないから! 経験者の僕が言うんだから間違いない」


 中三の春休みを全てゲームに費やし、昼夜逆転のためテスト中に意識を保てず、底辺クラスの順位をとった僕が言うのだから間違いない。あの時は両親にめちゃくちゃ怒られた。でも、それだけだ。


「そう、なんですか……?」

「うん。進級に関わるのは次の中間テストからだよ。毎日ちゃんと授業に出てれば、落第なんてしないから。それより、今体を壊しちゃったら、しばらく学校にいけなくなって困っちゃうよ。そっちの方が問題だから!」

「はい……」

「今は安心して、ゆっくり体を休めて! 勉強なら、あとで僕が教えてあげるからさ」


 優香は納得したのか、すうすうと静かな寝息を立て始めた。

 これで一安心だ。

 それにしても、入学してからいきなり赤点の心配するなんて。西高は進学校で、赤点なんか取ってたら大学進学は程遠い。まだ入学したてで何も知らないのだろうけど、少し気になった。

 この日は優香をどうにかするのに疲れてしまって、僕もすぐに自分の部屋でネタ。

 翌朝、土曜日。優香の熱をはかると、三十七度だった。本人曰く、だいぶマシになったらしい。

 その後、僕は引っ越したばかりでこのあたりの事を何も知らないという優香を、歩いていける病院まで連れて行った。ただの風邪だという診断で、薬をもらい、優香を家に帰した。

 根拠はなかったけど、優香がまた無茶をするのではないかと心配になった僕は、LINEを交換しておいた。学校生活でわからない事があったら何でも聞いてくれ、と言っておいた。

 病人の看護は大変だったし、一人暮らし初日から好き放題するという野望は達成できなかったけど、人助けをして悪い気にはならなかった。優香がしきりに「ありがとうございます」と言ってくれたのも高ポイントだ。

 さて、翌日。

 朝から晩までゲーム三昧。朝食も昼食もカップ麺で、気づいたら夕方五時。

 やばい。

僕は自炊をしていると親に証明するため、毎日夕食の写真を送ることになっていたのだ。昨日は母の作り置きのカレーでしのいだけど、今日は何も準備していない。

 どうやってこの難局を切り抜けようか考えていた時、LINEの着信があった。

 優香からだった。


《こんばんは。

 昨日はありがとうございました。

 お礼がしたいので、今、そっちに行ってもいいですか》


 お礼、だと……?

 あらぬ妄想へ走りかけた思考を理性で呼び戻し、僕は冷静に返事をした。


《お礼なんて別にいいよ。それより今は、体を休めて!》

《ありがとうございます。

 晩ごはん、作りすぎてしまったので、お礼にもらって欲しいんですけど》

《えっ、マジで! いただきます!》


 渡りに船とはこの事だった。

 すぐにインターホンが鳴り、優香がやってきた。


「あの、昨日はどうもありがとうございました……これ、どうぞ。簡単なものですけど」


 優香は小さな土鍋を渡してくれた。


「開けてみてもいい?」

「はい。料理、あんまり自身ないんですけど……」


 鍋の中身は、たっぷり牛肉が入ったすき焼きだった。


「えっ、いいの、こんなにいいもの貰っちゃって!」

「はい。一応、お礼なので」

「ありがたくいただくよ。優香ちゃんは、今日はちゃんと休んでね!」

「あ、あの、実はひとつお願いが……」

「何だい?」

「優香、まだ学校への道をよく覚えてないので、明日は一緒に学校へ行っていただけると……」

「なんだ、そんなのお安い御用だよ。朝八時にベル鳴らしてくれたら、一緒に行くよ」

「何から何まで、すみません……」


 優香はとても恐縮した様子だった。僕としては、後輩を助けることなんて当然だと思っているのだけど。まあ、遠慮深い性格の子なんだろうな。

 部屋に戻って、僕は一人で優香の作ったすき焼きを食べた。


「これ、は……?」


 具の味もさることながら、ダシの味に深みがあって、秀逸な味だった。

 すき焼きは、市販のすき焼きの素さえあれば誰でも作れる。僕だってやろうと思えば作れるレベルだ。でも優香が作ったすき焼きは、明らかに手の込んだ、甘すぎず辛すぎず、うまみの効いた味だった。

 感動して一気に食べてしまった僕は、約束していた親への画像送信を忘れ、あとで怒られた。

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