第3話
翌朝。
優香は約束通り、朝八時に家のベルを鳴らした。
日曜の深夜まで、月曜日という試練に抗うタイプの僕は、眠い目をこすりながら家を出た。
「おはようございます」
体調が回復して、制服をバッチリと着こなした優香は、地上に舞い降りた天使のようだった。
少し茶色がかった髪に小さな体は、まるでフランス人形のように可愛らしい。
あと、胸が大きい。西高の制服はブレザーなので、あまり体の線は出ないのだけど、それでも大きいとよくわかる胸だった。
看病していた時はそれどころではなかったのでよく見ていなかったが、優香は相当な美人だ。美人すぎて、一緒に行動していたら男子たちに嫉妬で殺されるレベルだ。
「お、お、おはよう」
こんなにかわいい子と一緒に歩くのか、と思うと、眠気が吹っ飛んだ。だらしない男が隣を歩いていたら優香の評判に関わると思って、僕は気合を入れて隣を歩いた。
学校への道を教えながら、二人でゆっくりと通学路をたどる。
「秋山さんは、どうして一人暮らしなの?」
何気なく聞くと、優香は少し暗い顔になった。なお彼女のフルネームが秋山優香だというのは、一昨日病院へ連れて行った時に知った。
「えっと……両親がレストランをやっているんですけど、東京に新しいお店を出して、優香はここへ残ることになったんです」
「へえ、僕も同じだよ。僕以外の家族はみんな東京にいるんだ。西高、このへんでは一番偏差値高いし、転校はしたくないよね」
「あっ、はい、そうですね」
優香の返事がそっけなかったので、一人暮らしをする理由はもっと別のことなのかもしれない、と感じた。高校生なら、両親が引っ越したらついていくのが普通だ。
でもいきなり他人の家庭事情を聞き出すのは野暮だから、これ以上は話さなかった。
「あの、昨日のすき焼き、お口に合いましたか」
「ん? ああ、あれね! すごくよかったよ。ダシまで手作りだったでしょ? 僕もたまに料理するからわかるよ」
「それなら、よかったです」
優香はふふん、と微笑んだ。子供っぽかったけど、それがまた可愛らしくて、きゅん、としてしまう。
「あの……先輩さえよければ、また晩ごはんを作ってもいいですか」
「えっ? いや、別にいいよ。僕なんかに料理するの、時間もお金ももったいないよ」
「優香は別にいいんです。その代わり、あの、お勉強を教えて欲しくて」
「勉強?」
「はい。優香、とても頭が悪いので……」
熱にうなされた時から言っていたことだ。優香は、とにかく勉強しなければ、と焦っていた。まだ学校の授業も始まっていないのに、自分はついて行けない、と決めつけている。
西高は進学校だから、赤点をとるかとらないかのレベルではとてもやっていけない。それより良い点をとって大学受験に備えるのが普通だ。でも優香は、入学当初から赤点ばかり気にしている。それは不思議なことだった。
「うーん。授業でわからないところがあったら教えてあげるよ。でも、とりあえず授業始まって、新しいことを教わってからでいいでしょ?」
「……そう、ですね。そうしてみます」
優香は納得していなさそうだったけど、学校に着いたので、そのまま別れた。
* * *
新入生が入るシーズンということで、放課後は部活の勧誘が盛んだった。
西高は文武両道を掲げていて、部活が盛んだ。『文』が学問なのはともかく、『武』が部活動になる意味は未だにわからない。
ちなみに勉強か部活に集中するためバイトは禁止。これ、地方の進学校にありがちな謎ルールです。都会の方は覚えておいてください。
僕も一応、部活に入っている。ただしガチの部活ではなく、部員は僕を含めてたった二人しかいない『デジタルイラスト研究会』という文化系の同好会だ。
この同好会は一つ問題を抱えている。三年の先輩(ほとんど部活に参加していなかったが)が引退した事により、同好会の最低人数である三人を満たしていない事になった。新入生を一人は入れないと、廃部になってしまう。
前々からそうなるのは明らかだったけど、その問題について真剣に考えていなかった。
だから、その相談のために部室へ行くことにした。
僕は気分次第で部室に顔を出すか、出さないかというレベルなのだけど、相方は毎日部室にいる。
上尾涼子。同学年の女子だ。
優香と違って、涼子ははっきり言って「パッとしない」感じの女子だ。
どこで見つけたのか、昭和時代の人がかけているような太い黒縁のメガネ。こだわりのないショートヘアで、前髪はいつもちょんまげにしている。僕はアホ毛と呼んでいるが、そう言うといつも蹴られる。
体は細い。スレンダー、と言えば聞こえはいいが、ちょっと心配になるくらいに細い。胸もなく、余分な肉は一切ない体つきだ。
部室に入ると、涼子は一心不乱にペンタブレットでイラストを書いていた。
「新入生、来た?」
「……来るわけないでしょ。勧誘してないのに」
非常事態なのに、我々デジタルイラスト研究会はビラ配りも、ポスター張りもしていない。それは涼子が「部員増えても面倒なだけ。機材は少ないし」と言って聞かないからだ。
ふらふらと遊んでいるばかりの僕と違って、涼子は生粋の『創作型オタク』だ。イラストを書くことだけが生きがいみたいな生活をしている。そんな涼子にとって、デジタルイラスト研究会にある高スペックな機材は生命線だ。
「でも、どうするよ? 廃部になったら機材もなくなるじゃん」
「誰でもいいから、籍だけ置いてくれる一年生、一人だけ見つけてきて」
「そんな都合のいい子、簡単に見つからないよ……」
言いかけて、優香のことを思い出した。
部活の話は何もしなかったので、優香がどんな部活をやりたいかはわからない。でも一人暮らしの優香が、毎日練習のある運動部に在籍するのは無理がある。体も強くなさそうだし。もし他に入りたい部活がなければ、誘ってみるのもアリかもしれない。
「何? 心当たりがあるの?」
「いや。まあ、まずは入部希望者を待つとしよう」
僕はそれだけ言って、部室を出た。
優香がデジタルイラスト研究会に在籍してくれれば、廃部の危機は解決する。でもあんなに可愛くて純真な優香が、サバサバした涼子と合うかどうか。そこが一番、不安だった。
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