お隣のちいさな女の子に勉強を教えていたら、お礼にご飯を作ってくれるようになった。ただそれだけの話。

瀬々良木 清

第一章 出会い、勉強、ご飯、告白

第1話

「イヤッッホォォォオオォオウ!!」


 僕こと奥野航は、誰もいなくなったマンションのリビングで歓喜の雄叫びをあげていた。

 少し長くなるが、僕が一人暮らしをするに至った事情を説明しよう。

 僕の両親は転勤族で、だいたい三年に一回は遠くへ引っ越す。転勤のたびに、僕は転校を余儀なくされていた。

 それまでは両親に従っていたが、僕が高一で両親の転勤が決まった時、僕は反対した。今の高校はかなり勉強して合格したところで、転勤先で別の高校に編入するとなるとどうしてもランクが落ちてしまう。だから僕は一人でここに残る、と主張した。

 両親は反対していたが、これまで僕が親の転勤によってどれほどの損害を被ってきたか、熱く語ることで納得してくれた。

 こうして、僕以外の家族全員は転勤先である東京へ写り、僕は両親の地元である小さな地方都市のマンションで一人暮らしを始めることになった。

 こんな感じだ。

 正直な話、親の転勤のせいで転校には慣れていたし、転勤先が東京なら地方都市より楽しい生活を送れるだろう、という気持ちもあった。

 しかし、僕はそれよりも一人でいることの自由を選択した。

 高校生にとって最も強力な存在である『保護者の干渉』を、排除したのだ。

 一人暮らしにあたっては、成績の維持、自炊、規則正しい生活などの取り決めを両親と行い、一つでも守れなければ東京へ強制送還するという条件付きではある。しかし、どれも守れないレベルではないし、正直抜け穴はいくらでもあるレベルだった。

 そんな簡単な事よりも、僕は一人暮らしの自由を選んだのだ。

 誰からも監視されず、ゲーム、動画サイト、読書など、気ままに過ごせる一人暮らし生活を、僕は何より望んでいた。

 大学生になったら絶対に一人暮らしすると決めていたが、その先取りみたいなものだ。

 

「イヤッッホォォォオオォオウ!!」


 僕はふたたび、歓喜の雄叫びをあげた。

 その時、壁の向こうからカタッ、と小さな音が聞こえた。このマンションの防音はかなり良いのだが、何かが壁にぶつかったらこちらにも聞こえてしまう。

 もしかして、僕の雄叫びにびっくりして、転んでしまったのだろうか。

 先程までうるさかった家族のツッコミもなく、無音空間で急に不安になった僕は、一人リビングで縮こまってしまった。


* * *


一人暮らし初日の夜、僕は午後九時に家を出て、コンビニに向かった。

食料は家を出る前の母親が買い込んでいて、保存食を含めると二週間は問題ない。だからコンビニに行く意味なんかないんだけど、開放感からつい、夜中の外出をやりたくなった。

深夜のコンビニにたむろして、無意味にファミ◯キとコーラをかき込みたい。そんな年頃なのだ……まあ、深夜というほどの時間ではないけど。

玄関を出ると、ちょうど隣の部屋の玄関ドアが閉まるところだった。

あれ、隣の部屋は空き家だって聞いてたんだけど。まあ三月末だし、新生活を始める家族が引っ越していても、おかしくはないか。

隣の部屋から、とても小さな女の子が出てきて、出口に向かって歩きはじめた。小学生くらいかと思ったが、髪が長く、腰くらいまで伸びている。小学生でここまで長くは伸ばさないだろう。背が低いだけで、同い年くらいの子かもしれない。顔が見えなかったので、そのへんはわからなかった。

その女の子は、廊下をまっすぐ歩かず、ビリヤードの球のようにふらふらと廊下の壁をつたいながら、ゆっくり進んでいた。

とても嫌な予感がした。

酔っぱらい? と思ったけど、そんな歳ではなさそうだ。もしかして、体調が悪いから病院へ向かっているのだろうか。でもこのあたりの病院、夜はやってないぞ。

そんなことを考えながら、僕はコンビニでファ◯チキを食べるという目的を完全に忘れ、コンビニと別方向へ歩く小さな女の子を追いかけていた。

案の定、外へ出てから五分もしないうちに、小さな女の子は途中にある公園のベンチに座りこんでしまった。

どういう事情が知らないけど、あんなに小さな女の子を一人で公園に放置するのは危険すぎる。

隣の家族と貸し借りなんか作ったら、僕の華麗な一人暮らしに干渉されるかもしれないし、最初は気が乗らなかったのだけど、さすがに放っておけなかった。


「あの、大丈夫?」

「あっ……はい、大丈夫です、休憩してただけです」


 近づいてみると、その子は童顔で幼い顔立ちだったけど、雰囲気からして中学生から高校生くらいだった。

 受け答えはできており、自分の体調がやばいという自覚もあるみたいだ。

 顔が真っ赤で、呼吸が荒い。どうやら熱があるみたいだ。


「ちょっとごめんね」

「んっ」


 僕は小さな女の子のおでこに手をあてた。僕の手を冷たく感じたらしい女の子は、小さく声をあげた。いやそんなことはどうでもいい。この子の額は、沸騰したやかんのように熱かった。


「すごい熱じゃないか! 駄目だよ、こんな所にいたら! すぐに帰って寝た方がいいよ」

「あ……大丈夫です……優香、本屋さんに行かないと……」

「本屋さん? 何を買うの?」

「入学式の後にあるテストのために、参考書を買わないと……」

「はい、それどうでもいい! 帰ろう! 今すぐ帰ろう!」


 テストがどうでもいい、は言い過ぎな気もするけど、この子の体調には代えられない。

 僕は、無理やり女の子の手を引っ張った。でもこの時、もうこの子は立ち上がるほどの体力も残っていなかった。

 優香と自分を呼んだ女の子は、まだうわ言のように「本屋さんへ……」と繰り返していたが、高熱を出しながら、四月のまだ寒い夜に行かなければならない本屋なんか存在しない。僕の独断と偏見で、この子を保護することにした。

 仕方なく、僕はこの子をおんぶして、自分の家まで連れて帰ることに。

 ……あ、コートでかなり着ぶくれしてたから、胸が背中に密着して興奮したとかそういう話は無かったです。僕はバキバキの童貞なので、そういう感触があったら絶対に興奮してたと思いますが、この時はこの子の面倒を見るのに必死なこともあって、何も感じませんでした。決してそのようなイベントを期待していた訳ではありません。全てはこの子の健康のためです。念の為ここに釈明しておきます。

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