第十一話 本能
「ハァ……ハァ……」
泰久は倒れそうになりながらも道を進む。
何故倒れそうになっているのか、その答えは簡単だ。
泰久は、昨日から水一滴飲むことが出来ていない。
既に喉の皮は半ば張り付いており、息を吸うことすら難しかった。
「あ……あ」
力を振り絞って首を動かし、周りに水が無いか探すが水場は見つからない。
ついに、泰久はその場に倒れ込んだ。
(お腹も……喉も……)
地面に伏したまま泰久は願う。
(誰か……水を……)
人が水無しに生きていられる時間はそう長く無い。
泰久はすでにその限界に近付きつつあった。
「み……」
そのまま泰久は気を失った。
――――――――――――――――――――――――
「……あ?」
気が付くと、泰久は地面に寝転がっていた。
(の……ど)
喉の乾きは、収まらないままだ。
再び地面を這って水を探す。
やはり、見つからない。
「……なん、で」
彼の声は、ほとんど誰にも届かなかった。
再び、泰久の視界は暗転した。
――――――――――――――――――――――――
「……あ?」
気づいたら、再び地面の上で寝転がっていた。
水が足りずに、気絶する。
――――――――――――――――――――――――
「……あ?」
水が足りずに、気絶する。
――――――――――――――――――――――――
水が足りずに、気絶する。
――――――――――――――――――――――――
水が足りずに
――――――――――――――――――――――――
水が
――――――――――――――――――――――――
何度、繰り返しただろうか。
『……』
とっくに精神の限界を迎えて諦めた泰久のことを見ていたナニカが、泰久に近付いてくる。
しかし、
泰久には、
(何だ……これ?)
既に回っていない頭でそう考える。
(黒い……風?なの……か、な?)
見ていると、黒いガスのようなものが泰久の身体に近づいてくる。
振り払うほどの力も残っていない。
体の中に煙が入ってくるのを泰久はただ見ているだけだった。
体内に黒い煙が完全に入りきったその瞬間
「っ?!」
泰久の体は跳ね上がった。
「……立てる。歩ける」
喉は未だに乾いているし、空腹感は消えないまま。
それでも、何故か神柱は歩くことが出来た。
そのまま、特に何を考える訳でも無くその辺りを歩き回る。
ある程度歩いても泰久が倒れるようなことは起こらなかった。
どうやら、泰久は餓死はしないようだ。
(けど……お腹が……)
死なないからといって、空腹や喉の乾きが無くなるわけではない。
未だに腹が減ったまま
(無い……ごはんも、水も……)
歩いて食糧を探すが、無機質な壁や床しか見つからない。
泰久は、ある壁の前で立ち止まった。
その壁の根元には、壁の一部が崩れたものと思われる欠片が落ちていた。
その欠片に、手を伸ばす。
掴んで、口元に持っていった。
歯を当て、挟み、力を込める。
パキリ、と音がした。
目だけを下に向けて見ると、細かく砕けた破片が地面に落ちていた。
(か……める?)
硬いはずの壁の欠片が、噛めた。
そのことに気が付いた泰久は、一心不乱に壁を食べ始める。
力を込めて噛み続けると、欠片よりも先に齒が限界を迎えた。
泰久の齒が砕けて、地面に飛び散る。
それでも泰久は噛むのを止めない。
泰久の齒が砕けてから約十秒後、新たな齒が恐ろしいスピードで生え始めた。
それに気付かず泰久は噛み続ける。
ついに破片の一つを砕き切り、飲み込んだ。
ほんの少しだけ、空腹感がマシになる。
だが、まだまだ足りない。
歯が折れても折れても破片を食べ続け、その度に歯が生え変わる。
歯の生え変わりを何回も、何十回も、何百回も繰り返す頃にはその場にあった壁は無くなっていた。
そこで、我に返る。
「え……あ、え?」
周りに飛び散る自分の歯の破片と口の中に残るコンクリートの味が泰久の頭の中に入ってくる。
(待って、ちょっと、いや、待て待て待て)
理解しがたい現実をやっと受け入れた。
「僕……これを、食べたの?」
齒を抑えながらよろめく。
「気色悪い……」
泰久は、恐らく生まれて初めて抱く感情を口に出す。
(僕がコンクリートを食べてたことも気持ち悪いけど……何より、自分がそんな行動をしたことに違和感の一つも抱かない自分の頭が気色悪い)
この瞬間から、泰久は自分自身を信じられなくなった。
理解も、出来なくなった。
その瞬間、自分の空腹感に変化が起きていることに気が付く。
(さっきより、ちょっとマシ……かな?)
少しだけ空腹感がマシになり、体を動かせるレベルになった泰久は、少しずつ歩き始める。
「誰か!誰か居ませんか?!」
歩きながら、カラカラに乾いた喉から必死に声を絞り出す。
返事は、無かった。
「見つけないと……誰か……」
(今こんな時にずっと一人で居たら、本当に頭がおかしくなりそうだ)
気を紛らわすため、そして何より、これがたちの悪い悪夢でないことを確認するために泰久は周りに人が居ないか探し始める。
暫く歩くと、視界の端に全身が真っ白な頭を三つ持つ犬を見つけた。
(あれは……
泰久は、自分の頭にも異変が来ているのでは無いかと疑い始めた。
(まっ……たく、怖くない)
元の世界に居た頃は小さな犬と出会ったときも少し驚くような精神をしていたのに、その数倍はあろうかという体躯の犬を見ても恐怖一つ抱かない。
それどころか『こいつ程度放置しても問題ないだろう』という余裕すら生まれ始めていた。
(何か……普通にペットみたいな感覚で接することが出来そうだな……)
泰久はそう思って近付く。
犬はビクリ、と一旦体を震わせると、三つの頭全てを使ってこちらを見上げてくる。
(……まあ、一人で居るよりは随分マシかな)
犬の表情が見えるくらいまで近寄ると、泰久は言う。
「あのさ……一緒に、来ない?」
犬はカタカタ震えながらも頷いた。
――――――――――――――――――――――――――
「う〜ん……ここだと食べ物を探すどころか、飲み物を探すことすら一苦労だな……ねぇ、ポコ太」
瓦礫の中を漁りながら、泰久は隣に居る犬にそう言う。
ポコ太と呼ばれた犬は首が外れそうになるようなスピードで首を縦に振る。
「やっぱりポコ太もそう思うよね?!どうにかして食べ物を探す……いや、もういっそのこと食べ物を作った方が良いのかな?」
泰久がそこまで言った直後、ぐる、と泰久のお腹が鳴る。
「あ……ごめんね。でも大丈夫。多分、今の僕は飢えじゃあ死なないから」
ポコ太の頭を撫でながら泰久は自分に言い聞かせるかのように言った。
「大丈夫、大丈夫だから」
ポコ太のことを熱の籠もった視線で見ながら泰久はそう言った。
ポコ太と呼ばれた犬は大急ぎで走って辺りをひっくり返す。
泰久は一瞬驚くが、すぐにその意図を察する。
「もしかして……僕の為に食べ物とか飲み物を探してくれてるの……?」
フラフラとポコ太の方に近寄って、抱きしめる。
「ありがとね……」
ポコ太の毛はやや硬く、触れている皮膚がチクチクとする。
それでも泰久は気にせずにポコ太のことを抱き締めた。
泰久が抱きしめている間、ポコ太は身動き一つ取らずに何かが過ぎ去るのを待つかのように体を縮めていた。
「あ、ごめん。抱きついたら邪魔だったよね」
泰久は自分の行動がポコ太の行動を邪魔していると思って一旦体を引く。
すると、ポコ太は何かから逃げ出すように急いでその場を離れた。
(そうだよね……僕は最悪食べるものがなくても辛いだけだけど、ポコ太にとっては食糧事情は死活問題なんだよね)
「僕も手伝いたいんだけど、どこを探せば良いのかな?」
泰久はポコ太に向かってそう言う。
その言葉が聞こえていないのか、それとも聞こえた上で無視しているのかは分からないが、ポコ太は泰久の言葉とは関係無しにそこら中をひっくり返して何かを探し回っていた。
「あ……ごめん。そんなにギリギリだったんだ……」
(気付けて、無かったな)
一心不乱に食糧を探すポコ太の姿を見て、ポコ太がどれほど腹をすかせていたのか気づけなかった。
「じゃ、僕も手伝うね」
泰久はポコ太に許可を取らずに周囲を探り始めた。
そのまま泰久は暫く探したが、食べ物も飲み物も見つからなかった。
「はぁ……結局駄目だったね、ポコ太」
泰久は座り込んでポコ太を抱きかかえながらそう言った。
「……お腹、空いたなぁ」
(まあ、僕は別に何も食べなくても生きていはいけるんだけど……食べ物がないとお腹が空いておかしくなりそうになるんだよね)
「大丈夫。次に見つけたらちゃんとポコ太にあげるからね」
心配そうな顔をしているポコ太に対して泰久はそう言った。
ポコ太は首を横に振る。
「ポコ太はさ、僕と初対面なのに優しいよね。どうしてなの?」
それを聞くが、ポコ太は黙り込んだままだ。
「……そうだよね。ポコ太は言葉を喋れないから答えられないよね。ごめんね」
泰久は申し訳無さそうにしながら言った。
そのままポコ太の方に倒れ込む。
「あ……ごめ……ん。何か……疲れててさ……」
泰久はポコ太の上に覆い被さるように寝転がった。
額を抑えながら泰久はこう言った。
「ちょっとさ……寝てても良いかな……?疲れちゃって……」
泰久の目は半ば閉じかけていた。
ポコ太は頷く。
その様子を見て安心したのか、泰久はそのまますぐに眠りについた。
――――――――――――――――――――――――
夜になった不可侵領域で、泰久は起き上がる。
「?!」
ポコ太が驚いて飛び起きる。
泰久は無言のままポコ太の方に向き直った。
「ウ、ウゥ……」
震える体で精一杯威嚇するように声を出した。
泰久は即座に喉を掴み、両手でポコ太を絞め落とそうとする。
「ウ……ア……アァ」
潰れた喉で最後の声を絞り出すと、ポコ太は息絶えた。
ポコ太の死体を地面に置き、泰久は素手でその腹を開く。
開いた腹から手掴みで内蔵を取り出し、そのまま口に入れた。
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