第9話
「すまない」
申し訳なさそうにメテスは頭をさげた。
「冷たい態度をとってしまった。彼を傷つけるようなことをしてしまった」
「いえ、大丈夫だと思います」
はっきりと口にしたが、僕の脳裏にはまだカクタスの姿が残っていた。こちらを見くだすあの憎悪のまなざし。その理由を考えてみたが、なにも思い当たるふしがない。
「それで、きみのこたえを聞かせてもらえるかな」
メテスがたずねてきた。
僕は黙りこみ、ややあってから口をひらいた。
「正直、わかりません。カクタスのいうとおり、僕は戦闘とか、体を使うことが苦手で、たぶん、ついていっても足手まといになると思うんです」
「しかし、きみは<邪悪なるもの>と戦い、撃破した」
彼女の目がまっすぐこちらを向いた。いっさいの濁りがない、純粋な光をたたえたエメラルドグリーンの瞳が僕を見すえている。おもわず視線をそらした。それから手のひらに目を落とした。
僕はいった。
「あのときは、必死で、なにも考えられなかった。ただ、クランとカクタスがやられたのを見て、なんとかしなきゃと思ったんです。ふたりを守りたい、守らなければいけないって」
「おそらく、その思いに<光のつるぎ>はこたえたのだろう。<オリハルコン>は気高い精神に反応する。きみの、守りたいという強い意思が<オリハルコン>に認められたのだ」
まもる、と僕は口のなかだけでつぶやいてみた。となりにいるクランですら聞こえないほどの小声だったのだが、メテスの長い耳はそのつぶやきをとらえていた。
そう、と静かにうなずき、話を続ける。
「この世界は平和に見えるが、深い地下の底では闇がうごめいている。それは着実に勢力を拡大し、破滅と混沌がおもてにあらわれようとしている。それらと戦えるのが、われわれ<星に導かれしもの>なのだ。<邪悪なるもの>を倒し、亜神を完全に封印する。これは平和を守るための戦いなのだ。そして、それができるのが、私やきみといった、特別に選ばれた人間だけなのだ」
彼女の言葉に、僕の心臓は大きく高鳴った。カクタスのことはまだ頭のなかにある。しかし、それとは別の感情があふれてくる。
同世代より劣っていて、平凡よりしたであることにコンプレックスをもっていた僕が、特別で、選ばれた人間。そのふたつの言葉に高揚し、興奮し、優越感に口もとがゆるんでしまう。
メテスが、テーブルのうえにある<光のつるぎ>をマントのなかにしまいこんだ。
いままでとちがう、すこしくだけた口調で言葉を続けてくる。
「ただまあ、無理じいするつもりはないよ。おそらく、長くてつらい旅になる。私としてはついてきてもらいたいが、きみがいやだというのならあきらめる。とりあえず、きょうはもう家に帰りなさい。そしてゆっくり考えるといい。家族にも相談する必要があるだろうし」
「あ、それなら大丈夫です。父さんも母さんも亡くなっていて、僕に家族はいませんから」
突然、乾いた音が響いた。
顔が横を向いていた。かん高い耳鳴りと、鋭いほほの痛み。ぶたれた、と気づいたのは、目のまえに指をひらいたクランの手の甲があったからだ。おどろき、彼女のほうに顔を向けると、そこには、いまにも泣きそうな子供のような顔があった。
下唇をかみしめ、まゆをあげ、怒りと悲しみの感情がまじりあう瞳が、あふれた涙で濡れている。ふと、目尻からひとすじのしずくがもれた。透明できれいな涙がほほを伝ってあごから落ちた。それを目にしたとき、僕は自分の失言を悟った。いってはいけないことを口にしたことを後悔した。高揚した感情が一気に醒めていった。
クランが立ちあがり、こちらをふりかえることなく前腕で両目をおさえながら小屋から走り去っていった。僕は唖然としてなにもできなかった。呼びとめることも、追いかけることも。ただ、とびちった涙のしずくが床にしみをつくるのをながめることしかできなかった。
「とりあえず、帰りなさい」
静かでゆっくりとした声にふりかえると、メテスはばつのわるそうな顔をうかべていた。
僕は力無くよろよろと立ちあがり、小屋をでようとして、足をとめふりかえった。
「ひとつ、聞いてもいいですか」
「なんだい?」
「あなたは、自分が<オリハルコン>に選ばれたとき、どう思ったんですか」
メテスが首をふった。
「なにも。最初から迷いはなかったよ。もともと亜神のことは聞かされていたからね。それが私の運命だと、すぐに受けいれた」
「そう、ですか」
「しかし、それは私の話で、きみは別だ。熱心に勧誘してしまったが、決めるのはきみ自身だ」
「もし、断わったら?」
彼女が苦笑した。
「かまわないさ。それが、私ときみの運命だったのだろう」
僕は、じんじんと熱をもって痛むほほをおさえ、小さく会釈をしてから小屋をでた。
家に帰ると、母さんはキッチンで昼食の準備をしていて、きょうは休みなのか、父さんはテーブルでひまをもてあましていた。
彼はこちらに気がつくと、柔和に微笑した。
「やあ、おかえり、サシク」
「ただいま、父さん」
「ところで、さきほどクランが泣きながら帰ってきたけど、なにか知らないかな」
口調は穏やかだったが、目の奥の光には鋭いものがあった。僕のほほにある赤いあざから、原因はこちらにあることを理解したのだろう。いまだ、じんじんと痛むほほに手をやったあと、父さんと向かい合うように椅子にすわった。
「大切な話があるんです。聞いてもらえますか、母さんも一緒に」
「どうしたの、いったい」
昼食の準備をいったんやめ、怪訝そうな表情をうかべ、エプロンで手をふきながら母さんは、父さんのとなりの椅子に腰をおろした。
僕は話しはじめた。
きのう起きたできごと。きょう聞いた話。亜神。邪悪なるもの。オリハルコン。すべてをつつみ隠さず語った。ふたりは途中で質問することなく、茶化すことなく、最後まで真面目な顔で聞いてくれた。
「なるほど」
すべてを話し終えたあと、ふたりはおたがいの顔を見合わせ、ややあってから父さんが口をひらいた。
「ずいぶんと壮大な話だね。それで、サシクはどうしたいんだい?」
「えっと、いまの話を信じてくれるんですか」
おどろき、逆に僕は問いかけていた。
正直、信用されるとは思っていなかった。まともに相手にされるとは思っていなかった。子供の妄想と笑われるかもしれないとさえ考えていた。だからこそ、父さんの真摯な態度におどろいたのだ。
彼は苦笑した。
「子供の話を信じない親はいないよ。しかも、きみはいつになく真面目だし、うそをいう理由もないだろう。それで、どうするんだい?」
僕はうつむいた。ひざのうえに置いた両手を強く握り、それから顔をあげてこたえた。
「旅についていきたいと、思ってます」
こたえると、母さんはおどろいたように両手で口もとをおさえ、父さんは予想していたのか、顔色ひとつ変えずにたずねてきた。
「理由を教えてくれるかな」
僕はふたたび、顔を伏せた。
拳をひらき、また握る。それを二度、三度とくりかえしながら、早いピッチで深呼吸をする。心臓が大きく脈打っていた。ひたいが汗ばんできているのがわかる。緊張していた。この家に引きとられてから、迷惑をかけないように生きてきた。子供心にそれはいけないことだと感じていた。成長してもそう思い続けてきた。だけれど、いまこのときだけは、変わらなければいけない。
大きく息を吐いたあと、意を決して顔をあげた。
「僕にしかできないことがあって、それがだれかの力になるのなら、それで大切なものを守れるのなら、僕はその道を選びたい。そう思ったんです」
「しかし、話を聞くととても大変な旅になるみたいだね」
「覚悟してます」
父さんの射抜くような視線が、まっすぐ僕の顔を見すえた。こちらの目を見つめた。僕は目をそらさず、真剣な光をたたえるそのまなざしを見つめ返した。
そこで気がついた。彼の瞳は明るく茶色がかっている。そういえば、こうして視線をあわせることははじめてのことだった。正面を向き合って話すことなんていままで一度もなかった。
僕は、自分が緊張している意味をやっと理解した。怖かったのだ。わがままをいって、迷惑をかけたら、捨てられるかもしれない。この家を追いだされるかもしれない。血のつながらない家族だからこそ、その恐怖がずっと心のなかにあったのだ。
ひたいから流れたひとすじの汗のしずくがほほを垂れたとき、ふと、父さんの顔がゆるんだ。
「サシク。きみがこの家にきて、どれくらいたったかな」
「えっと、十年くらいかと」
「そうか。もう、そんなにたつのか」
彼のブラウンの目にいままでとはちがう色がやどった。それは過去をなつかしむ遠いまなざしであった。
「きみは素直で、手のかからない子だったね。わがままひとついわず、僕らのいうことをなんでも聞くいい子だった。ただ、そこにさびしさもあった」
どういうことですか。たずねようとして、父さんのまっすぐな視線を見て、口をとじた。
彼はいった。
「きみはどこかで、僕らに線を引いていた。壁をつくっていた。そう感じるときがある。たとえば、十年も一緒にいるのに、いまだ敬語だったりね」
「それは」
「ああ、いいんだ、そのことは。ただ、きみが家族になったとき、僕らはひとつだけ決めていたことがあるんだ」
父さんが、となりで悲しそうな表情をうかべている母さんと顔を見合わせ、それからこちらに向き直った。
「それはね、きみがわがままをいったら、ひとつだけ叶えてあげよう。そう決めていた。それが些細なものでも、大変なものでも、最初のわがままだけは聞いてあげようと思っていた。それが、親としてしてあげられることだと思っていたんだ」
そこで彼は苦笑をうかべた。
「もっとも、最初のわがままが、旅にでたい、なんて想像すらしていなかったけどね」
「あの」
「いいんだよ」父さんは優しくほほえんだ。「きみののぞむようにしていい。それがどんなことであれ、僕らは支持する。親子だからね」
「ありがとう、ございます」
僕は、嬉しくて泣きそうになるのをぐっとこらえ、絞りだすような声で礼をいった。
自分のことを恥じていた。血がつながっていないというだけで、勝手に壁をつくり、距離をとっていたことを愚かとさえ思っていた。彼らはずっと手を差し伸べていたのだ。父さんも母さんも、クランでさえも、僕のことを、心から家族として受けいれてくれていたのだ。いまになってようやくそのことを理解し、嬉しさと、さびしさがこみあげてきた。
「それで、いつからいくの?」
心配そうに母さんがたずねてきた。
「なるべくはやく、できればあしたにでも」
「まあ、そんなにいそがなくても」
「うん。でも、決断が鈍るまえにでていきたいんです」
母さんが優しくほほえんだ。
「つらくなったら、いつでも帰ってきなさい。ここはあなたの家なのだから」
「ありがとうございます、いや、ありがとう、母さん」
僕に向けて、ふたりは微笑している。窓から差しこむ陽射しがそのほほえみを照らした。透明な光のなか、我が子を見守る両親の笑みがそこにある。十年まえのあの日、僕がこの家にきたときと同じ笑みを、月日がたってしわが増えたものの、それでも変わらない柔和で優しい微笑をうかべている。
母さんが立ちあがった。
「さてと、それじゃあ、ごちそうを用意しないとね」
「あ、手伝うよ」
「いいわ、休んでなさい」
「そう」と父さん。「それに、きみにはやらなければいけないことがあるだろう」
そういって彼は、扉の向こう、廊下の奥にある部屋を指さし、ウインクをした。
蒼い星 ヤタ @yatawa
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