第5話 注意事項

 時は遡り、闘技場にほとんどの冒険者が移動した後の組合受付にて。


「~~ッ!! 怖かったぁぁぁぁ!!」


 わあああんと闘技場の事務処理をした後輩受付嬢が先輩の受付嬢に縋りつく。先ほどの二人の圧力はまだ新人に近いような彼女にはきつかったのだろう。二人が出て行った後にやっとの思いで呼吸ができるようになったくらいなのだから。

 先輩受付嬢の方は軽いパニック状態の後輩受付嬢を見て私にもこんな初々しい頃があったな……なんて感傷に浸っているのだから、まあ、慣れと言うのが重要なのだろう。冒険者をやる人間は我が強いため、受付嬢たる我々も確固たる自分が必要なのだと先輩から教わった。

 ほとんどの冒険者が闘技場に向かった後、組合長の部屋からドタバタと慌てたように人が出てくる。日ごろのデスクワークで軽い猫背になってしまった背中と、何日寝ていないのか分からないほど眼鏡の奥にある深く深く肌にしみ込んだ隈。食事は本当にとっているのか?と不思議になるほどの女性に羨まれがるような細身な体に、病的なまでに白い肌。この人本当に冒険者組合の組合長なのか?と思われるような見た目をした彼が、子の冒険者組合の組合長なのである。


「ど、どうしました!?」


「あ~組合長、ちょうどいいところに」


 かくかくしかじかと言ったように現在の状況を簡単に説明する。なるほどなるほど、と頷きながら話を聞いていくうちにだんだんと顔が青くなっていく。ああ、また事務仕事が増えていく……と軽く絶望した顔を浮かべ、口から魂のようなものが抜けていく。いけないいけないと顔を振り、組合長としての顔に戻す。


「分かりました。もし、該当冒険者ないし該当者がこの組合に戻ってきた際には私に伝えてください」


 一瞬、背後に事務作業を増やしやがってという文字が見えた気がしたが目をこするとそんなことはなく、注意をするための組合長としての顔に戻る。新人の受付嬢に対して少し休憩室で休憩していてくださいと気遣った後、他に被害があったかを他の職員に聞くがとくには無かったようでそれは良かったと言いながらコーヒーを持ち部屋の中に戻っていく。この気遣いにどれだけの人間がやられたのかは分からないが、あの人が天然ジゴロの唐変木なのは間違いないと受付嬢の中では共通理解だ。




「ああ~!! 負けた負けた!」


「いーや! 惜しかったぞ坊主!! いいガッツだった!」


「そうだぞ坊主!! 俺達でも尻込みしちまうような魔術にも恐れずに向かってってよぉ! かっこよかったぜ!!」


 ガヤガヤとした喧騒を纏い屈強なおじさんに囲まれながら、先程闘技場の方に向かって行った片方……リュートが冒険者組合に入ってくる。その健闘ぶりに胸を打たれたのかおじさん冒険者たちは口々にすごかったぞ!と褒めそやしている。


「英雄になると言っていた時にはあんなに笑っていたのに……なんというか、単純ね」


 そんなことはよくわかっていたのだが、今回の一件で余計にそれが際立った。まあ、今ここにいる冒険者たちはピークを終え、今までの知識でリスクのない仕事をしている人たちだ。一度は英雄を目指した人もいるだろうが、それは逆に現在には夢が破れているという事を意味している。ま、単純なのもいいことかと納得する。基本的には気の良い人たちばかりだしね。もみくちゃにされているリュートを見ながら、あれは気に入られたわねと心の中で合唱する。


「そんで、坊主は冒険者になるのか?」


「ああ、そのつもりだけど」


「まだ申請はしてないのか。早くして来い!! 俺たちは歓迎するからよ!!」


背を押され、少しよろけながら受付の方に向かって行く。そういえばさっきヴェルメと話していた人がいないなと思い、受付の人たちの顔を見回す。後で聞いてみるかと思いながらとりあえず自分の目的を果たすために先程からリュートの方を見ている受付嬢に向かう。自分がこっちに来ると気付いた受付嬢のお姉さんがにこりとした笑顔を浮かべて対応してくれる。どこか母さんに似ていて少し安心してしまった。


「どうなさいましたか? 先ほど、闘技場の方に向かわれていましたよね? どうかなさいましたか?」


「あ~いや、そうじゃなくて俺、冒険者になりたいんだけど」


「……承知いたしました。それでしたら、あちらの個人情報記入書類に記入していただいて、そちらの書類を提出していただくことになります。書類を書くためのペンをお持ちでなかった場合は備え付けのペンを使用していただいてご記入ください」


 どこか威圧感を感じる言い方に萎縮しながらも必要なことを理解しましたという風に何度も頷く。これが、この人は怒らせてはいけないとリュートの心の中に深く刻み込まれた瞬間だった。


「えっと、今住んでいるところ……村でいいのか?」


初めて公的な文書を書くためどうすればいいか勝手の分からない状態だったが、四苦八苦しながら必要事項を記入していく。冒険者になるためには必要なことと言われれば辛いことでもできるがこういうことは別の意味で辛かった。


「とりあえず……これで、大丈夫か?」


 ざっと見直し、記入漏れがないか確認する。ひとまずは大丈夫そうで、こういったことを親から積極的に習ってこなかったことを軽く後悔する。げんなりとしながら先程の受付嬢のお姉さんに持っていく。


「これでできたと思う……」


「そう、一度確認するわね?」


「お願い、します」


「はーい。少しだけ待ってね」


 上から順に先程記入した内容を確認していくように目が動いていく。特に問題は無いようで、すらすらと読み進んでいく眼球運動に少し安心する。

 とりあえずは大丈夫そうだなとほっ、と息をつく。そういえば先程のおっさんたちに囲まれてからヴェルメがどこかに行ってしまったがどこに行ったのだろうかとちらりと周囲を見回すが、見つからない。もしかしたらクエストでも受けに行ったのかと一人納得する。


「とりあえず、書類に不備はないからこれは一度預かるわね。それで、ここからは冒険者になる人へ向けた簡単な説明よ。後で書類として渡すけれど、まあ、簡単に説明だけさせてもらうわ。一応こっちも仕事だからね」


「とはいえ簡単なものばかりなんだけれど……まず一つ目、冒険者には階級があるのは知っているかしら? 大まかには下位、中位、上位と分けられているけれど、細かく分けると一番下からブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナム、ダイアモンド、ミスリル、ヒヒイロカネの7区分よ。ヒヒイロカネくらいになれば世間からは準英雄として扱われ、次世代の英雄と言われるわ。現在は在籍者がほとんどいないけれどね。下位クラスはブロンズ、シルバー、ゴールドの3区分。中位はプラチナム、ダイアモンドの2区分。上位クラスはミスリル、ヒヒイロカネになるわ。ここからが重要なことで、基本的に下位クラスは魔窟に入る許可は下りないわ。このクラスの人たちは基本的に害獣だったり、市民の方々を助ける依頼を受けていることが多いわね」


「あれ? そうだったのか……昔読んだものだとクラスは関係なく等しく魔窟への挑戦権は持っているってあったはずだったんだけど」


「数年前に組合長が変わったのよ。その人の方針は一つだけ。『死者を出さないこと』の1点だけ。まあ、私たちとしても近年の冒険者の死亡者数増加は問題とされてきたしね。人が死んで嬉しい人なんていないもの。……ま、そんなわけで、ここ数年で改正されて明確な区分を行ってからその人が魔窟に行けるかどうかそれにたる実力なのかを判断されてから晴れていけるようになるってわけよ」


「じゃあ、もし俺が下位クラスだと判断された場合は……」


「まあ、その場合は少なくとも次回の更新までは魔窟に行けないわね」


 そんな……と頭を抱えるも、自分ならば大丈夫だと持ち直す。根拠のない自信はどこから来るのだろうかなんて受付のお姉さんに思われていることは知らないし、そもそもお姉さんはそれすらおくびに出さないだろうが。長年培ってきたポーカーフェイスは伊達ではないのである。


「まあそれに関しても規約として重要なところね。冒険者組合では2年に一度、契約更新があるの。正確には契約更新というより、ライセンスの更新って言った方が近いんだけど……一応、私たちの定める規約の範囲内で活動を行いますっていう申請書を出すってことになるわ。そのタイミングで自分のランクを上げたい人は申請を行えばその都度、テストを行うことができるわ。逆に自分のランクを落としたい人は申請さえしてくれれば許可が下りるから安心していいわよ」


「じゃあ俺は、ヒヒイロカネに挑戦すればいいんだ!!」


 ピンと電球が発光したかのような閃き顔に思わずポーカーフェイスが崩れ、吹き出してしまう。リュートが一瞬ぎょっとしたが、すぐに自分が笑われたのだと思いふくれっ面になる。先程のことがなかったかのようにポーカーフェイスを作り直し、説明を続ける。


「いい? 最初からヒヒイロカネにはなれないのよ。皆、一番初めは中位クラスでもプラチナムから始まるの」


「なんでだよ! 英雄になるためにはヒヒイロカネになるのが一番手っ取り早いんだろ!!」


「まあ、準英雄級と言われるくらいだから間違いなく最短ルートではあるわね……けれど、そもそもヒヒイロカネになるには特殊なルールがあるの。それ自体は特秘事項として情報を伝えることはできないけれどね」


「ええ~!!! 教えてくれよ!! いいじゃん、ちょっとだけだって!」


「そんなことしたら私の首が飛んじゃうもの。言えないわよ」


 くすくすと、今度は隠しもしないで笑い出す。冒険者になりたい。英雄になる。なんて言っているから中身はどれほどのものかと内心、ビクビクとしていたが年の離れた弟のようで少し可愛いと思えてきた。願わくば、この子はあんな感じにならないでほしいけれど……なんて期待してしまう。ああ、そういえばこの子に伝えていなかったと思い出す。この子にとっては絶望に近いかもしれない情報を。


「それに、あなたは今は無理だと思うわよ。プラチナムになれるのは13歳以上からなんですもの」


 冒険者組合に綺麗な大絶叫か響き渡った。

 そんなリュートを見て、受付嬢のお姉さんはまたもくすくすと笑っていたそうな。

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