第3-1話人を見た目で判断してはいけない
目を覚ますと、落ち着いた木目の天井が映った。レトロなペンダントライトから放たれた柔らかな照明の光があたりを照らし、ふかふかした布製のソファーの感触がハルトを包む。
「……あれ?」
手をゆっくりと動かすと、ふわっとした感触がした。茶色のブランケットが目の端に見え、それを
「あら。起きたみたいね」
横になったままブランケットの感触を確かめるように握っていると、カチャカチャ鳴っていた食器の音が止んだ。代わりに聞いた事のない落ち着いた声が聞こえる。ハルトは声の主を見ようと横を向いた。長い白衣と淡いベージュのスラックス、エナメル質の黒いピンヒールのパンプスがコツコツと床を鳴らして近づいてくる。
「大丈夫? 起きれる?」
やがて白衣の女性がハルトの顔を
その人は心配そうにゆっくりと屈んでハルトの
男性にはとても見えないのだが、おそらく骨格は女性のそれではないのだろう。しかしどちらにせよ
「うん。やっぱり熱は無いわね」
彼女は満足気に
「顔色も
上体を起こしてソファーに座ったハルトに視線を合わせて、その人はにっこりと
「あっ、いえっ! あの。ここは……?」
「友人のケーキ屋よ。時々手伝ってるの」
ケーキ屋、と復唱して、ハルトは改めて辺りを見回した。
「あたしはシルヴィア。隣でクリニックをやっているのよ、よろしくね」
中性的な美人はシルヴィアと名乗った。ケーキ屋と白衣はミスマッチだと思っていたが、医師だと聞けば納得だ。こんな色気のある美人がやっているクリニックなら、さぞかし
「あの。僕は……」
「ごめんなさいね。怖かったでしょう」
シルヴィアは
「あいつ、あれでも結構良い奴なのよ? 見た目はちょっと、いやだいぶ怖いかしらね……」
「悪かったな」
落ち着いた低い声が階段の方から響き、ハルトはびくりと肩を震わせた。公衆トイレで聞いたのと同じ声だ。あら聞いてたの、と隣でシルヴィアが悪びれもなく男を見る。ハルトもおそるおそるそちらを見ると、やはり気を失う前に会ったあの背の高い男と目が合った。
「目が覚めたようだな」
男はゆっくりと近づいてきた。ハルト達から入口までは距離があったが、彼は異常な脚の長さであっという間に詰めてきた。近くで見るとやはり大きい。天井の高さが先程より低く感じる。
「あ、あの……」
「驚かすつもりはなかったんだがな」
男はほとんど無表情でそう言った。ハルトは記憶を
「い、いえっ! すみません」
「この怖い顔見て倒れたんでしょ。無理もないわ」
「お前は黙ってろ」
「いえ、そんな。違いますっ!!」
シルヴィアが男を指差してふふ、と笑う。男は彼女に鋭い視線を送ると、慌てて否定するハルトに座れと
おそるおそるソファーに座り直したハルトの目の前に、一枚の白い皿が置かれる。桜色のシフォンケーキに生クリームが
「春の新作だ」
男とケーキが結びつかず、ハルトは混乱した。
「えっ! あの……これは」
「ここは俺の店、それは試作品。とりあえず食え」
「えっ!!!?」
「似合わないわよね。わかるわぁ」
「黙れと言ったろうが」
「すみませんっ!」
低い声で
シルヴィアは先程『友人の店』を手伝っていると言った。その友人というのは、この男のことなのだろうか。よく見ると、黒ずくめだと思っていた服装は黒いコックコートだった。
それに気がついた時、先程まで悪の組織の親玉のように見えていた男が急にケーキ作りが得意な
「じゃ、あたしはお茶でもいれましょうか」
シルヴィアが立ち上がる。高いピンヒールでかさ増ししているが、もともとの身長も高い方なのだろう、細身ながら男と並んでも
カチッ、とコンロに点火をして、紅茶の葉を棚から出したシルヴィアの隣に男が立つ。
「あいつのカウンターを見たか」
シルヴィアの耳にだけぎりぎり届く大きさに調節された低い声に、シルヴィアも同じく声を
「ええ。あんな数値なかなか無いわよ。何かの間違いじゃないの?」
「間違いでポイントは奪えんだろ…気を失う前に
「そうね。礼儀正しくていい子そうだし、何かに巻き込まれたとしか思えないんだけど……原因はわからないの?」
「あいつの最後のポイント履歴はマイナス百万、奪ったのはライアという悪魔だ」
「え」
シルヴィアは驚きにカップを温めていた手を止めた。ライアという悪魔の名前に覚えがあったのでは無い。一発逆転地獄行きとばかりの大きなマイナスの数字にだ。
天使はポイントを与え、悪魔はポイントを奪う。
「放火や殺人かとも思ったが、心当たりがない様子だった。あの気の弱そうな少年が出来るとは思えんしな」
「でも他に百万ポイントも減るなんて…自殺。ってわけでもないし」
自殺は大量のポイントを奪われる一発地獄行きの大罪のうちの一つだ。五百年前に
「生きているだろうが」
「だから違うって言ってんでしょ」
シルヴィアはシューシューとケトルが白い息を吐き出すのを見て火を止めた。茶葉とミルクと
「あんたは?」
「
答えを聞く前に二人分の豆を
「とにかく、事情を聞いてみないとな」
「素直に話してくれるかしら」
「さぁな。だが聞かないと何もしてやれんだろう」
「あんたって本当見た目で損してるわよね」
シルヴィアは男を見上げた。買い出しの帰りに偶然公衆トイレから聞こえた
少年の見た目ととても釣り合わないカウンターが気になったからと本人は言うが、純粋な親切心も大きいだろう。しかし、顔を見ただけで気絶されるような
「……別に。わかる奴にだけわかればいい」
シルヴィアの前に白い皿が置かれ、彼女は
「あら。新作ね」
「それで休憩してろ。少し話してくる」
「あんたが?」
シルヴィアは再び男を見た。さて、超がつくほど真面目で不器用なこの男が、果たして初対面の少年の心を開かせるだけの話術を持ち合わせているのだろうか。少年の元へ向かう大きな背中を見送りながら、シルヴィアはクッキーをひとつ
しかし、残念な事にこれを作った本人は爽やかさとは無縁の口下手だ。話が変に
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