第3-2話人を見た目で判断してはいけない


 二人がカウンターに向かう後ろ姿を見送って、しばらく春を感じる白い皿をながめてから、ハルトはフォークを手に取った。あわいピンクのスポンジを一口切り分けて口に運ぶ。ふわっとした感触に優しい甘さが溶けて、あっという間に消えていく。


「美味しい……」

「それは良かった」


 ひとり言のようにこぼした言葉を拾って、男の方だけが戻ってきた。自分のサイズと人に与える印象を自覚しているのか、男はハルトの真正面ではなく少し離れた隣のテーブルに座った。ハルトは内心ほっとする。男が意外といい人である事はわかったが、もしも正面に座られたら緊張してケーキの味もわからなくなりそうだ。


黒谷くろやだ。よろしく」

「あ、水島ハルトです。初めまして」


 男は座ってすぐに名乗った。ハルトもあわててフォークを置いて自己紹介をする。黒谷と名乗った男はハルトをじっと見て、しかしそれきり何も言わなかった。無言のまま考えるようにまゆを寄せている姿は初対面の時はおそろしく見えたが、彼の内面を少し知った今となってはそれほど怖くない。


「……最近、何か変わったことはなかったか?」


 黒谷はたっぷりの間の後、言いにくそうにそれだけ言った。何故なぜかは分からないがどこか気遣わしげな視線を受けて、ハルトは考える。


 確かに、ある意味最近変わったことだらけなのだが、それをここで言ったところで変人扱いされるだけだろう。ハルトは不自然にならないようにそっとカウンターを確認した。

−997443。やはり大きなマイナスだ。


「……いえ。あの、ちょっと……疲れていて」


 ハルトは数字がこれ以上減らないように、慎重に言葉を選んだ。昨夜母親に友人とばったり会ったと嘘をついて三点も減ったからだ。嘘ではない、とても疲れている。今日は一度死んだし、一度気を失った。心身ともにヘトヘトだった。


「そうか」

「なぁにやってんのよ」


 ぎこちない二人に呆れた視線を向けながら、シルヴィアが全員分のカップを持って戻ってきた。黒谷の前に珈琲コーヒー、ハルトの前にミルクティーを置き、そして自分用のカフェオレを持って迷わずハルトの真正面に座る。


「えぇと……」

「水島ハルト」

「ハルトくんね。よろしく」


 何故か黒谷が紹介し、シルヴィアが人好きのする笑顔でにこりと笑う。釣られてハルトもへらりと笑った。


「ハルトくんは高校生なのよね?」

「はい。そうです」

「高校は楽しい?」

「まだ始まったばかりなので……」

「そうかぁ。これからなのね。いいなー高校生」


 シルヴィアがうらやましそうにハルトを見る。大きなマグカップに入ったカフェオレを一口飲んで、背もたれに身体を預けた。


「あたしも昔は若かったのよ」

「誰でもそうだろうが」

「うっさいわね、そういうことじゃないのよ」


 横で静かに珈琲コーヒーを飲んでいた黒谷が呆れたようにシルヴィアを見た。外見も性格も全く違うように見える二人だが、並んで見るとこれ以上ないくらいしっくりくる組み合わせだとハルトは不思議に思いながらカップを持った。


 ふんわりと蜂蜜はちみつの甘い香りがして、一口飲むと手先からお腹の奥の方までぽかぽかと温まる。美味しい、とつぶやくと、シルヴィアがぱっと笑った。


「今日は高校は?」

「初登校でした」

「なるほどねー。早く終わったの?」

「いえ。五時間授業で」

「お昼ご飯美味しかった?」

「食べる前に落ちちゃったのでなんとも」

「落ちた?弁当がか?」

「いえ僕がおくじ………あ」


 しまった、とハルトは思った。ポンポンと弾む会話に返事をしているうちに、つい本当のことを言ってしまったのだ。もしもハルトが容疑者なら、シルヴィアの尋問じんもんのテクニックはプロ級といえるだろう。そしてハルトに詐欺さぎの才能は無い。


「……屋上から?」


 途中で言葉を止めたはずなのに、黒谷は綺麗きれいにそれを補完した。黒谷の目が鋭く光り、シルヴィアの瞳は不安げに揺れる。


「落ちたのか」

「あ。えーと、今のは……」

「なぜ落ちたの?」

「毛玉っ、あ、いや、その……」

「毛玉?毛玉が見えたのか?」

「なんか、たまたま……?」

「なぜ駅のトイレに?」

「羽根が……あ。なんでも、なくて……」

「羽根だと?」


 二人に交互に質問されて、しどろもどろになりながらハルトは答えた。もうボロが出たどころでは無い。


「わかった。ハルト」


 黒谷が真剣な声で言った。冬の空のような薄墨色うすずみいろの瞳が真っ直ぐにハルトを映している。


「どんなに馬鹿馬鹿しく現実離れしていると思っても、それが真実ということもある。全面的に信じるから全て話せ」


 でも話に天使とか出てきますよ、それでもいいんですか。と念を押したかったが、黒谷の真剣な顔を見てハルトは決意した。


 昨日から本当に色んな事があったが、誰にも相談出来ずに全て一人で抱えてきたのだ。頭がおかしいと思われてもいい、とにかく誰かに聞いて欲しいという気持ちは抑えきれないほどふくれ上がって今にも口からこぼれ落ちそうになっている。


「実は……」


 ハルトはゆっくりと、あの天使との出会いから今までの長い一日半を語り始めた。

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