第33話 絵の具のロジック
1
「今のところ、誰が犯人でもあり得るような気がするなぁ」
大和は腕を組んで小さく唸る。
「まぁ、しいて言えば腕を骨折していた十時聡は外してもいいかってぐらいだ」
「それでは次に被害者たちについてのおさらいを始めます。今回の事件の被害者は三人。藤宮高校に通う生徒、天馬満、月ヶ瀬道夫、星崎龍一。いずれも二年生で、彼らは各々の事情で藤宮高校を訪れていました。天馬先輩は先ほども言ったように中林の自主練に付き合うため、月ヶ瀬先輩は絵の制作のため、そして星崎先輩は推理小説の執筆のために。また、三人の死因は同じで首を縄状のもので絞められたことによる絞殺」
私は一呼吸おいて、
「まず天馬先輩から見ていきましょう。彼は中林と体育館で自主練をしていたものの、九時過ぎに夏期補講に参加するため練習を抜けています。その後の足取りは不明。夏期補講は欠席し、午後から予定されていたバスケ部の練習にも顔を出していませんでした」
「夏期補講が始まるのは九時半だから、九時過ぎから九時半までに殺された可能性が高いってことだな」
大和が言う。
「うん、ただ現段階でそれは断定できない。もうちょっと話を進めさせてもらうよ」
そして私は天馬についてさらに説明を付け加える。
「天馬先輩の遺体が発見されたのは西棟三階の男子トイレの個室です。遺体には水性絵の具を溶かした汚水を頭からかけられていました。これらは犯人が事前に用意したものだと思われます。次――月ヶ瀬先輩」
「首吊りの子だな」と狩谷警部。
「月ヶ瀬先輩は南棟四階にある美術室で油絵を描いていました。死因は絞殺であるものの、彼の遺体は天井にあるフックから吊り下げられており、狩谷警部がおっしゃったように首吊りに見せかけられていました。ちなみに、月ヶ瀬先輩は事件当日の十時二十一分から十時二十三分まで容疑者の一人である神崎先輩と通話をしていました。つまり、彼は十時二十三分の時点で生きていたのです」
月ヶ瀬が神崎とよりを戻したがっていたことなどは話さない。
「そして最後、星崎先輩。星崎先輩は北棟二階の推理小説研究会の部室で推理小説を執筆していました。彼の遺体は頸部がのこぎりで切断されていましたが、首は持ち去られておらず、首を切ることそのものが目的だったと考えられます」
「絵の具水、首吊り、首切り……やっぱり、絵の具水だけ浮いてるよなぁ」
大和が誰にともなく呟く。それを聞いて、狩谷警部は静かに頷いた。
いったい犯人がどういう理由からこのような異常な工作を遺体に施したのかは分からない。書き置きの通り復讐なのか、それとも他に理由があったのか。それは犯人に直接聞くしかないのだ。
だが、これらの工作に事件の謎を解くヒントが隠されていることもたしかだった。
「そう、大和兄さん。重要なのはまさに絵の具なんだよ」
「え?」
目を丸くして大和は私の方に顔を向ける。
「どういうことだい?」
「天馬先輩にかけられていた絵の具水は、水性絵の具を溶かしたものだった。でも他の遺体に付着していた絵の具はそうじゃなかったでしょ?」
「他の遺体……?」
「月ヶ瀬と星崎の遺体には……索状痕の付近に油性絵の具が付いてたな」
狩谷警部がつるつるの頭を撫でながら言った。
「ああ、たしかに」
「そうです。油性絵の具です」
「でもそれがどうだって言うんだい?」
狩谷警部と大和は純粋な目で私を見つめる。毎度毎度、このぽんこつたちを相手に推理を披露する青夜の苦労を、私はようやく理解した。
「三人の被害者の内、二人の首に絵の具が付いていた。ではそれはどうやって付いたのか」
「犯人がわざわざ付けた、わけないよな」
「絵の具は索状痕の近く、正確に言うと、月ヶ瀬先輩は索状痕の縁の少し上、星崎先輩は索状痕の中に、それぞれ付いていた。ということは――」
「首を絞めた縄に絵の具が付着していたのか」
「狩谷警部、お見事です。そう、犯人が凶器に使った縄には油性絵の具が付着していたんです。だから星崎先輩の首を絞めた時、縄に付着していた絵の具が首にも付いてしまったんです」
星崎の場合は索状痕の中に絵の具の汚れがあった。これはつまり、縄に絵の具が付着しており、その部分が首に食い込んだことを意味するのだ。
「ではこの凶器の縄に絵の具を付着させるそもそもの要因はなんだったのでしょう」
「犯人が塗った、とは考えにくいし……」
「……月ヶ瀬か!」
「そうです、狩谷警部。今回の事件で油性絵の具が登場する場面は一つしかありません。月ヶ瀬先輩は美術室で油絵を描いていましたね」
「そうか、そういうことだったのか」
狩谷警部は唸る。
「ちょっとちょっと、僕にも分かるように説明してくれよ」
「はぁ、いい? じゃあちょっと失礼して」
私は懐からロープを取り出した。直径二センチほどの普通のロープである。
「ちょっと大和兄さん、月ヶ瀬先輩の役やって。私は犯人役やるから」
そう言って私は大和の背後に回り、首にロープをかける。
「いい? 犯人はこうやって背後から忍び寄り、月ヶ瀬先輩を絞殺した。この時、月ヶ瀬先輩はどういう行動を取ったと思う?」
私はちょっとだけ手に力を加え、ロープが首に密着するように絞める。
「どう? 大和兄さん苦しい? 大丈夫?」
「ちょっと息苦しいけど、まあ大丈夫」
「じゃあ続きね。首を絞められた月ヶ瀬先輩はどういうふうに抵抗したと思う?」
「そりゃ、犯人に背中を取られてるわけだから抵抗なんてできないだろうし、首を絞められて苦しいから――」
言って大和は両手で首にかかったロープに指をかけて引き剥がそうとした。
「はい、大和兄さんそこでストップ。その体勢のまま動かないで」
「え?」
「大和兄さんは今月ヶ瀬先輩なの。月ヶ瀬先輩は事件があった時、何をしてた?」
「そりゃ、美術室で絵を描いてたんだろ?」
「そう、絵を描いていた。ということは、月ヶ瀬先輩は片手で筆を、もう片方の手でパレットを持っていた。当然、月ヶ瀬先輩の指には油性絵の具が付着していたはずだよね?」
「あっ」とようやく大和も得心したようだ。
「指に油性絵の具が付いていた月ヶ瀬先輩が首にかかったロープを外そうと試みたら、当然ロープに絵の具が付くだろうし、首の地肌にも絵の具が付くはず。そしてロープで圧迫されている部分の肌――索状痕にはロープが盾となるから絵の具は付かないわけ」
星崎に付着していた絵の具は索状痕の中、そして月ヶ瀬に付着していた絵の具は索状痕の外側にあった。その違いの謎がこれで解けたわけだ。
「そうか、月ヶ瀬を殺害した際に凶器の縄に絵の具が付着したということは、星崎が月ヶ瀬より先に殺されていた場合、星崎の首に絵の具は付着することはない。つまり殺害の順番は月ヶ瀬、星崎の順となるわけか」
「いやいや大和兄さん、もう一個大事なことを忘れてるっしょ?」
「え?」
「天馬先輩の遺体からは油性絵の具は検出されなかったんでしょ?」
もし天馬の遺体の首からも油性絵の具が検出されたならば、天馬は月ヶ瀬より後に殺されたことになる。そうではないということは……
「殺害された順番は天馬先輩、月ヶ瀬先輩、星崎先輩、ということになる」
2
「おお、あんなちょびっとの絵の具汚れから殺害の順番を推理するとは」
「青夜兄さんみたいじゃないか、すごいよ希望ちゃん」
「お世辞はいいから次行くよ。次に重要になってくるのが、星崎先輩の死の状況です。星崎先輩が殺害されたミス研の部室の横の部屋は私も所属している映画研究会の部室です。私たち映研は、事件当日の午前十時から午前十一時まで撮影の打ち合わせと準備をしていました。その間、私たちの部室の前を通った人間は一人もいませんでした。つまり、星崎先輩は午前九時から午前十時、または午前十一時から正午まで、どちらかの時間帯で殺されてしまったのです」
あの日、私たち映研と演劇部の部員たちは打ち合わせをしつつも撮影機材や小道具などを廊下に運び出したりしていた。誰かが私たちの部室の前を横切ってミス研の部室に入ろうものなら、絶対に見つかってしまう。
「そして最後に、月ヶ瀬先輩が神崎先輩に通話をしていた、という点です。先ほども言いましたが、月ヶ瀬先輩は通話を終えた午前十時二十三分の時点で生きていました。これらの情報を先ほど判明した殺害の順序に当てはめて考えましょう」
いよいよ核心に迫りつつある。
「まず、殺害された順番は天馬先輩、月ヶ瀬先輩、星崎先輩です。さっき星崎先輩は午前九時から午前十時、または午前十一時から正午までのどちらかの時間帯で殺されてしまった、と結論付けましたが、月ヶ瀬先輩が午前十時二十三分の時点で生きていたということは、星崎先輩が殺害されたのは午前十一時から正午までの一時間と断定することができます。つまり――」
私は缶コーヒーで喉を潤し、声を張る。
「犯人は午前十一時から正午までのアリバイが存在しない人間です!」
*
「これを容疑者候補たちのアリバイに当てはめてみましょう。まず中林紘一ですが、彼はバスケ部員たちが午前十時五十分頃に体育館にやってきて以降、ずっといっしょに行動を取っていました。つまり、彼は十一時から正午のアリバイが成立します。次、石村先生と神崎先輩。この二人はちょうど午前十一時から女子バレー部の部室で相談をしており、二人も午前十一時から正午までのアリバイが成立します」
大和の喉から生唾を呑む音が聞こえた。
「次、黒木先輩。黒木先輩は午前十一時に藤宮高校を出発してロケに向かった映研の後をついて回っており、私たちの後をずっと付いて回っていました。藤宮高校から首刈り山までは徒歩で二十分ほど。午前十一時二十三分の時点でカメラに映っていたため、彼にも犯行は不可能です」
「残るは二人……」
狩谷警部は渋い顔を作った。
「はい。残る二人、十時先輩と名田先生は二人とも午前十一時から正午までのアリバイがありません。しかし、十時先輩は利き腕を骨折しており、とてもこれらの犯行を成し遂げることはできないでしょう」
「ということは」
「残ったのは名田先生。この人こそが犯人です」
私は言い切った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます