第29話  黒木の話

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 地面を踏みしめ、坂道を登っていく。頭上に張り出した木々のおかげで日射しが遮られるのがありがたい。ロケがあった日は集団で登っていたのとちくいち撮影で足を止めていたためかなりの距離があったように感じたが、単独で登ってみると頂上までさほど時間をかけずに到達できた。


 そしてそこには私の予想通り、黒木武臣がいた。街を一望できる木々が開けた斜面に座り込んで、私が来たことに気づかずに彼はじっと眼下の街を眺めていた。


 その背中に声をかける。


「あのー、黒木先輩」


 その瞬間、黒木の大きな背中が大きく跳ね上がり、ギョッとした表情で彼はこちらを振り向いた。


「わっ」


「あっ、ごめんなさい。驚かせちゃいました?」


 ロケの映像に映り込んでいた顔と同じ顔が私を見据える。映像で見るより、生で見る方がよりごつい感じがする。身長は一七〇後半ほどで、Tシャツや短パンから覗く四肢にはがっちりとした筋肉がついている。


「君は?」


「申し遅れました。私、藤宮高校一年生の大紋希望と申します」


 そしていつものように親戚の探偵がらみの説明をぱぱっとすませる。


「なるほど。警察にアリバイ聞かれたもんなぁ。俺も容疑者の一人なんだね。それで、どうして俺がここにいるって分かったんだい?」


「探偵の勘ってやつです」


「ふぅん」


 黒木は値踏みするように私を見下ろす。お前は信用できるやつなのか、と彼の視線が聞いてくる。


「まず最初に一つだけ約束をします。私は黒木先輩から伺ったお話は、事件の解決に関与すること以外は他言しません」


「それはつまり、事件に関係ないことも聞くつもりってことか?」


「被害者の先輩たちの人間関係を正しく理解するために、黒木先輩と殺された先輩たちについてお聞きすることもあるかもしれません」


「知ってるってことか」と黒木は呟いた。


 彼は事件があった日の午前十一時から正午まで、映研をこっそりつけているので、その一時間のアリバイが認められる。しかし黒木は神崎と同じように、そのことを正直に証言せず、ずっと学校に一人でいたと嘘をついたのだ。


 たしかに同じ学校の人間をストーキングしていることは言いにくいだろうけど、警察はそんなことを映研の連中に言いふらしたりはしないし、正直に話した方が一時間分のアリバイが認められるのだ。


 それなのに黒木はそのことを隠した。


 何か理由があるに違いない。


「黒木先輩は殺された天馬先輩たちと中学時代に仲が良かった、という話を聞きました」


 そのことをまずぶつけると、黒木の顔に暗いものが一瞬だけ浮かんだ。すぐに表情は元に戻ったが、私の観察眼はそれを見逃さない。


「別にわけじゃない。、あいつらは俺の一番のだ」


「え?」


「たしかに今は距離を置いてるけど、それはあいつらの優しさなんだよ」


 ちょっと待て。


 聞いていた話と違うぞ。いや私も詳細を聞いたわけではないが、彼らを知る同級生たちの話では、天馬、月ヶ瀬、星崎の三人と黒木は高校に上がってからは疎遠になっていたということだった。


 何かしらの理由があって、疎遠になったのだが、その肝心の内容は誰も教えてくれなかった。だから私は彼らが疎遠になったのと同じタイミングで起きたと思われる黒木二郎の事件が関わっているのだと予想したが、高校に進学してからも彼らとの友人関係が続いていたというのはどういうことだ?


 考えられるのは、これが嘘の証言であるということ。


 死人に口なし。


 被害者たちはもう何も話すことができないのだから、つるむことはなかったけど仲は良かった、という黒木の弁に異議を唱えることができる者は誰もいない。


「なんであいつらがあんな殺され方をするのか、理由も分からないし、あいつらを恨んでるやつなんかいない。それは俺が一番よく分かってる」


「被害者の先輩たちについて知っている人たちは、みんな同じように『殺される理由が分からない』と言っていました。彼らとトラブルになったり、遺恨が残るような喧嘩があった人間に心当たりは?」


「さぁ。俺が知る範囲では一人もいないよ。あぁ、月ヶ瀬が神崎と大喧嘩して別れたって聞いたな。月ヶ瀬の方は未練があって、よりを戻す方法を相談されたっけ」


 月ヶ瀬と神崎のことも知っている……?


 しかも、フラれた月ヶ瀬がもう一度神崎を振り向かせようとしていることまで知っているということは、本当に今でも仲が良かったのか?


 まずい、このままでは黒木のペースになってしまう。一か八か、切り札をぶつけるしかない。


「黒木先輩、実は私、映研なんです」


 私がそう言うと、黒木の表情に若干の緊張が生まれた。


「事件があった日、映研はこの山で撮影をしていました」


「……」


 ここだ、ここを失敗したら黒木は完全に口を閉ざしてしまうだろう。私は緊張を悟られないように、声の調子を落とす。


「黒木先輩。あなたもあの日、あの時間、この山にいましたよね?」



 2



「は? 俺が?」


「はい」


「な、なんで俺がこんなとこに」


「映っていたんです。撮影した映像に黒木先輩が」


 黒木の喉から生唾を飲み込む音が聞こえた。


「黒木先輩、体が大きいからですかね、木の隙間とかからがっつり映り込んでいました」


「……」


「黒木先輩、もう一度だけはっきりお伝えします。私は藤宮高校で起きた事件に関すること以外は警察には他言しません。誰にも言いません。だから、正直に話してほしいんです。あの日、あなたはなんのためにこの山に来たのか、そして、あなたと被害者の先輩たちの間に何が起きたのか」


 黒木は押し黙ったまま、地面を見つめていた。


 握った拳から手汗が伝い、息が荒くなっている。


「私の想像をお話してもいいですか?」


 返事はない。


「黒木先輩には弟がいらした。この山で亡くなった、二郎という弟が」


 二郎という名に反応して、黒木は顔を上げた。しかし、そこから言葉は紡がれず、じっと私の目を見据えるばかりであった。


「二郎くんの事件があったのは三年前。黒木先輩が中学二年の頃です。聞いた話では、黒木先輩は事件があってから一年ほどこもりきりになったと伺いました。天馬先輩たちと疎遠になったのはこの頃ですよね。この山で首を切断された二郎君の遺体が見つかったものの、事件は迷宮入りし、解決には至っていない」


 そこでようやく黒木の口が開かれた。


「……天馬たちが二郎の死に関わってるって言いたいんだろう」


「あくまで想像ですが」


「違うよ」


 黒木の声に緊張や強張りは感じられなかった。


「間違っちゃいない、間違っちゃいないよ。でも根本的なところをはき違えてる」


「根本的なところ?」


「お前、このことは本当に他言しないんだろうな」


「はい」


 それはまるで許しを請うような目だった。黒木がその場に座り込んだので、私も膝をつく。


 そうして黒木は抱え込んでいたものを吐き出した。



 *



「たしかにあの日、俺は映研を尾行してた」


「それは、学校から直接?」


「あぁ。お前らが学校を出てすぐに、俺も後を追ったんだ」


「……それはいったい、何のために?」


「お前らがこの山で何かやるって聞いたからだ」


 この首刈り山に何か秘密があるのだろうか。


「二郎が死んだこの山は『首刈り山』なんて呼ばれ方をして、みんな気味悪がって入らない」


「私は最近引っ越してきたばかりなので詳しくはないのですが、そのようですね」


「だから、お前らがこの山に来るって聞いて、俺はいてもたってもいられなくなったんだ」


「それは、どうしてですか?」


「もしかしたら、お前らがこの山で二郎の事件を調べようとしてるんじゃないかって心配になって」


「いや、撮影をしようしてただけですって」


「又聞きだったから、ここで何かをするって話だけ伝わってたんだよ。万が一ってこともあるから、お前らを監視しようと思って」


 ならば映研の人間にその日、その山で何をやるのか聞けばいいではないか、というのは野暮だろう。そうすることができない事情が黒木にはあったに違いない。


「結果的にはただ自主製作の映画の撮影をしてただけだったから、杞憂に終わってくれた」


「つまり、二郎くんの事件には秘密があるんですか?」


「あぁ」


「それはいったい……」


 黒木は立ち上がり、街を望む斜面の方を向いた。


「二郎が死んだのは、俺のせいだ」



 *



「ちょうどこの辺に古い建物があったんだ」


 黒木は頂上から少し降りたところの開けた場所を案内してくれた。


「三年前、いやもっと前から、俺たちはしょっちゅうここで遊んでた」


 黒木の話によると、天馬、月ヶ瀬、星崎、そして黒木の四人はこの山を遊び場にしており、中でもここに建っていた廃屋を秘密の隠れ家にしていたという。トタンでできた工場のような廃屋で、周囲には鉄柵が巡り、いかにも怪しげな場所だった。


 後になって知ったことによると、その廃屋はかつてこの山で作業をしていた林業の業者の建物だったようだが、その会社は何十年も前に倒産し、建物だけが残っていたそうだ。


 思春期男子がそういう廃墟のような場所を遊び場に選ぶのは分かる気がする。秘密基地、というものは男の子のロマンだと聞いたことがある。


 黒木たちが中学二年になる頃、ようやく物心がついた黒木の弟――二郎も彼らについて回るようになった。お兄ちゃん子だった二郎を黒木は可愛がったし、天馬たちも自分の弟のように可愛がってくれたという。


 一緒にゲームをしたり、近くのショッピングモールに遊びに行ったり、公園でサッカーをしたり、買い食いをしたり、四人の秘密基地にも二郎を連れ込んだり……


「かなり古い建物だったから、いつ倒壊してもおかしくないような状態だったらしい」


 天馬や月ヶ瀬、星崎たちは二郎を廃屋に連れて行くのは危険だ、と黒木を説得したが、可愛い弟を除け者にはできない、と半ば強引に二郎を連れ込んでしまった。


 そして二郎を連れて、初めて廃屋の二階に上がった時だった。突然大きな地震が起こり、床は抜け、建物は大きく揺れながら崩れてしまった。幸いにも全壊はせず、一部の床や壁が崩れるだけで済んだ。四人にも大きな怪我はなかった。


 が……


「ちょうど二郎がいた場所に大きな穴があって、天井を見るとそこも崩れてたんだ」


 四人は最悪の想像を頭に浮かべながら、一階へ降りる。待ち受けていたのは、最悪を遥かに超える凄惨な……


「天井のトタン屋根がさ、


「立っていた……」


「床に深く突き刺さって、直立してたんだよ」


「……」


「で、そのトタンの両側にさ、二郎の首と胴体があったんだ」


「……」


 その表現で何が起きたのか理解できる。


 床が抜け、落下した二郎にさらなる追撃が加えられたのだ。天井から崩れたトタン屋根は何の因果か二郎の首元に垂直に落下し、彼の首と胴体を切り離してしまった。


「俺のせいだ。俺が二郎を連れてきたから、俺が……」


 その後、この痛ましい事件は四人だけの秘密となった。唯一、市議会議員である星崎の父に事情を説明し、この事故の詳細は隠蔽された。幼児が誘拐され、首が何者かに切断された猟奇事件としてすり替えられた。そしてそもそも犯人など存在しないため、事件は迷宮入りしたのだった。


 これ以降、黒木は自分のせいで弟を死なせてしまった、という罪を心に抱えることになる。天馬たちは誰のせいでもない、と慰めてくれたが、自分が無理に連れ込んでしまったという事実は黒木の心に大きくのしかかる。


 家に帰れば二郎の死を嘆く家族がいる。


 弟の死の原因を作ったのは自分だ、などと言えるはずもなく、黒木はそれから一年近く自責の念に苛まれ、家にこもるようになってしまった。世間から見れば、弟を猟奇事件で失ってしまった悲劇の兄だが、彼はどうしようもない罪悪感に圧し潰されてたのだ。


「あいつはまだ二歳だったのに。もう少しで三歳の誕生日を迎えるはずだったのに……」


 なんとか登校できるようになり、高校に進学しても彼の心の傷は癒えず、天馬たちとも距離を取るようになった。


「俺は自暴自棄っていうのかな、誰とも関わろうって気力も湧かなかった。あいつらと一緒にいたら、あの事故のことを思い出すし、あいつらもそれを分かって俺に気を遣ってたんだ」


 黒木は空を見上げて、


「直接会って話すと俺が事故のことを思い出しちまうから、ラインや電話でやり取りしてた。あいつらは俺だけの責任じゃないって慰めてくれたけどさ、二郎が死んだのはどう考えても俺が全部悪いんだよ」


 きっと黒木は、誰かに聞いてもらいたかったのだ。誰にも言えずに抱え込んでいた、墓場に持って行くべきこの禁断の情報を、抱え込むのが辛かったのだ。


 なるほど、たしかにこんな事情があるのならば、映研がこの山で何かをすると聞いた黒木は気が気でなかっただろう。隠れて様子を見る選択をしたのも頷ける。


 黒木が今回の事件の容疑者候補であり、被害者たちと仲が良かったことから、星崎の首切りと過去に起きた黒木二郎の首切り事件に何かしらの繋がりがあるのかも、と予想したが、全く無関係だったようだ。



 


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