第26話  最後の一人

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 私と神崎は部室棟の横手の日陰になる場所に座っていた。


「てかさ、結局正直に話したってあたしとかっちゃんのアリバイは十一時から十二時までの一時間しか認められないじゃん」


「ですね」


「おい!」


「しょうがないじゃないですか。九時から十二時までたっぷりじっくりいちゃラブしててくれていれば、お二人のアリバイは完璧だったんです」


「いちゃラブって」


「ただこれでお二人の行動は分かりました。捜査は一歩前進です」


「あたしらの他に、アリバイがないやつは何人いるんだ? その中に犯人がいるんだろ?」


「いや、それはちょっと捜査上の機密というか」


「あたしに聞くだけ聞いといて、自分は黙秘なんて通るわけねぇだろ」


 神崎がチョークスリーパーをかけてくる。


「ぐぇ、ギブギブギブ、分かりましたよ。でも神崎先輩にももっと聞くことはあるんです」


「なんだよ、事件の日のことは全部話しただろ」


「事件当日の行動は分かりました。聞きたいのは、被害者の先輩たちについてです」


 私がそう告げると、神崎の表情が曇る。


「神崎先輩は、天馬先輩、月ヶ瀬先輩、星崎先輩と一年生の時に同じクラスだったと伺ってます。彼らの人物像や人間関係などを教えていただきたいんです。これまでいろんな人に三人のことを聞いてきましたが、三人とトラブルがあった話や、誰かに恨みを買うような話は全く出ませんでした」


「そりゃそうだろ」


 神崎は中空をにらみつける。それから少しの間、彼女は口を噤んだまま、じっと周囲に広がる林を見据えていた。同級生たちの死に、彼女は何を思うのだろう。一人は憎んでいた元カレだというが、死んだら仏という言葉があるように、死人に対しての憎しみは消えているのだろう。


 通夜の場で見た彼女の涙がその証拠だ。


 しばらくの間、私たちの間では沈黙が行き交っていたが、神崎は不意に口を開いた。


「……あいつらはさ、悪いやつらなんかじゃなった」


 神崎は苦々しく言葉を吐き出していく。


「あたしにはあいつらが殺されるが分からない」


「神崎先輩の目から見ても、三人を恨んでいる人はいなかったということですか?」


「だな。あたしはあいつらと同じ中学だったから、けっこう長い付き合いなんだけど、あいつらが誰かをいじめたりだとか、一方的に攻撃したりだとか、そういうことはしなかった」


 神崎の口からいじめという言葉が出た。復讐を示唆する置き紙の報道がされてから、ワイドショーなどでは動機はいじめによるものではないか、という説を唱えるコメンテーターが多くなっていた。世論もそういう見方をしているのだろうし、舞台が学校であんな置き紙が見つかればそういう見方になるのは自然だ。


 しかし、被害者を知る人たちは口を揃えて「いじめをするやつらではなかった」と言うのだから、不思議である。いっそのこと、被害者の三人はとんでもない屑野郎で、弱い者いじめの常習犯という証言が多数あれば捜査はもっと楽に進むというのに。


 強い恨みによる事件のはずなのに、被害者の人間性は恨みを買うようなものではなかった。


 このあべこべさはいったいどういうことなのだろうか。


 よほど被害者の三人は人の目をかいくぐって悪事を働くのが上手かったのか、それとも……


「神崎先輩は月ヶ瀬先輩と付き合ってたんですよね」


「ああ、少しの間だけな」


「何が原因で別れたんでしょうか?」


「それ事件に関係あんの?」


「失礼なのは重々承知ですが、被害者の人間関係は正しく認識しておきたいので……」


 重いため息をついて、神崎は一言だけ、


「あいつが浮気したから」


「月ヶ瀬先輩が?」


「さっき、あいつらはダサいことするようなやつらじゃなかったって言ったけど、これだけは当て嵌まんねぇな。あの馬鹿はあたしと付き合ってるのに他のクラスの女と浮気してやがったんだ」


 割りとありがちな話のようだ。


「それで、別れた、と」


「あいつのほっぺた思いっきりビンタしてやったよ」


「あはは……」


「ま、その後その女と付き合ったけど、すぐに別れたって聞いたけどな。ははっ」


 なるほど、神崎があれほど私に敵意を向けていた理由が分かった気がする。過去に交際相手の浮気が原因で別れた苦い経験から、石村について回る私の存在が許せなかったのだ。


「別れてから謝ったってもう遅いってんだよ」


「月ヶ瀬先輩はよりを戻そうとしてたんですか?」


「あぁ。でもあたしはあいつのことは見るのも嫌になるぐらい嫌いだから、ずっと完全拒否してる」


「そうなんですね」


 これらの経緯から神崎が月ヶ瀬を嫌うようになったのは理解できるが、それはすでに終わったことで、神崎には石村という禁断の恋人がいる。そんな状況で月ヶ瀬に対し、殺意が湧くものだろうか……


 いや待てよ。


 禁断の関係だったからこそ、この二人はその関係を。もし月ヶ瀬がこの禁断の関係を知って、神崎とよりを戻すためのに使ったとしたら……


 今のところ想像の域を出ないが、動機としてはもっともそれらしいものではなかろうか。


 神崎にとっても石村にとっても、月ヶ瀬を殺害する動機になる。


「ん? ずっと完全拒否してるって言い方だとつい最近までよりを戻そうとしてたって意味に聞こえるんですが」


「そうだよ、あいつはずっとあたしによりを戻したいって言ってた。事件があったあの日も、月ヶ瀬はあたしに電話して『元の関係に戻りたい』って頼み込んできたんだ」


「え? えぇ!?」


「『君をイメージした絵を描いてる。これが完成したら、もう一度付き合ってくれって』。馬鹿だよあいつは……」


 その時、神崎の目から涙がこぼれた。


 絵。


 美術室で月ヶ瀬が描いていた油絵は、神崎とよりを戻すために、自分の気持ちを伝えるために描いていたものだったのか。あの油絵に描かれていた女性は妙齢の貴婦人だった気がしたが、月ヶ瀬にとって神崎のイメージはあんな感じだったのか?


 男子ってよく分からないな。


「大丈夫ですか?」


 私は神崎の背中をさすってやる。


「あたしにとってはクソ野郎だったけど、何も殺すことねぇのによ」


 これが演技ならたいしたものだ。この涙、鼻声、表情、どれをとっても三人の同級生を殺害した殺人鬼には見えない。


 神崎が落ち着いてから、私は質問をぶつける。


「あの、ちなみにその電話があったのっていつ頃でした?」


「たしか……十時ちょっとすぎだったかな。待ってろ」


 ポケットからスマホを取り出し、神崎は通話履歴を調べ始めた。


「あった、これだ」


 見ると、『月ヶ瀬道夫』という相手と八月四日の十時二十一分から十時二十三分までの二分間通話をしている。


「番号を控えていいですか?」


「いいよ」


 もしこれが月ヶ瀬の携帯の電話番号なら、月ヶ瀬はこの時点で生きていることになるのか。後で警察に確認を取ってもらおう。


「他に何か話したりしましたか?」


「別に」


「誰かと一緒にいた感じはありましたか? 声が聞こえたりだとか」


「たぶん一人だったと思うぜ。ああいや、断言はできねぇけどな」


 月ヶ瀬は午前十時二十三分まで生きていたとしたら、これは大きな進展だ。


「あとなんか聞きたいことはあるか? いや、その前に交換条件を貰うか。あたしら以外にアリバイがないやつを教えろよ」


「えぇ、本当に聞くんですか?」


「もしあたしの知ってるやつがいたら、そいつと天馬、月ヶ瀬、星崎たちの関係を思い出すかもしれないだろ」


「それはそうですけど、事件が解決するまでは絶対に他言しないでくださいよ」


「分かってるよ」


「事件当日のアリバイがない人は六人です。神崎先輩、石村先生、二年の名田先生、一年生の中林紘一、十時聡先輩、黒木武臣先輩」


「……」


「この中で神崎先輩がよく知る人は?」


「かっちゃんと名田先生だな。中林ってやつは顔も名前も知らないね」


「十時先輩と黒木先輩は二年生ですが、関わりはなかったんですか?」


「十時って野球部のやつだろ?」


「はい」


「同じクラスになったことねぇから話したこともないな。なんか怪我したとかで最近噂になったのを聞いたくらいだな」


「そうです、そうです。夏休み前に利き腕である右手を骨折したらしいです」


「そうそう。骨折だったな。じゃあ十時は容疑者リストから外していいんじゃねぇか?」


「そうしたいのは山々なんですが、なんせアリバイが不完全なので」


「片手を骨折したやつが三人も殺せんのか?」


「もしかしたら、ということもありますし」


「まあ、いいか。で、最後が黒木か」


「ご存知ですか?」


「中学時代から知ってるやつだよ」


「そうだ、中学時代といえば天馬先輩たちは聞いた話では四人でつるんでいたって――」


 私がそう言うと、神崎の表情が変わった。


「あんた、それ誰から聞いた?」


「え?」


 声に圧を感じる。表情はどこかもの悲しげで、憂いを秘めたような目だ。


「何か、あったんですか?」


「聞いてないのか? まぁ、許可なしに勝手に話せることじゃねぇか」


「な、何がです?」


「あたしの口からは言えない」


 神崎もまた四人目については口を割らない。


 この反応を見るに、被害者の三人の先輩たちとつるんでいたグループの四人目には事情がありそうだ。


「どうしても聞きたきゃ、本人に聞けよ」


「本人?」


「黒木だよ」


「へ?」


「お前がさっき言ったアリバイが不完全なやつらの最後の一人、黒木武臣が天馬たちと中学時代につるんでた四人目さ」


 神崎は静かにそう言った。

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