第23話  名田の話

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「えっとまずは名田先生の事件当日の午前九時からお昼の十二時までの行動について聞きたいんです」


「アリバイ調査ってやつかな。警察の人にも聞かれたよ」


 言って名田は不器用な笑みを浮かべる。少し白いものが交じった髪をかき上げ、目を細める。


「あの日はたしか、九時過ぎ……九時十分くらいかな、それまで職員室で仕事をしていて、九時半から補講の授業が始まった。終わったのは十時二十分頃で、その後は英語科準備室で仕事を続けたよ」


「あの、なんで職員室に戻らなかったんですか? あっ、失礼に聞こえたらごめんなさい」


「仕事を続けたなんて言ったけど、準備室なら他に人がいなければサボっていてもバレないからねぇ」


「サボってたんですか?」


「はっはっは」


 返事の代わりに、名田は乾いた笑い声をした。


「大勢いる場所より、一人の方が集中できるからねぇ。はら先生も佐藤さとう先生も部活の遠征でその日は一日中いなかったから、貸し切り状態だったしね」


 原先生は一年の、佐藤先生は三年の英語教師だ。


 今のところ、彼のアリバイは警察から聞かされたものと同じだ。


 名田の場合、職員室での仕事を終えてから補講が始まるまでの約二十分間のアリバイと、補講が終わってから正午までの一時間四十分のアリバイがない。


 天馬満が殺害されたと推測できる時間帯――九時過ぎから補講が始まるまでの間――に、名田はアリバイがないことになる。


 しかも天馬に施された死後工作は絵の具を水に溶かして遺体にかけるだけ。二十分もあればお釣りがくる。


「あの、天馬先輩は名田先生の補講に出る予定だったんですよね?」


 亜希がそれとなく話題に挙げた。


「うん、そうだね」


「天馬先輩って、ちょこちょこ補講をサボったりすることがあったんですか?」


「そんなことは全くなかったよ。あの子はとても真面目で、自分にも他人にも厳しい子だった。だからあの日、彼が来なかったのには本当にびっくりしたよ。休むって連絡もなかったし、部活も午後からだったからね」


 名田の口調には重たい響きがある。天馬の死を本当に悲しんでいるように見えるが、それだけで彼の容疑は晴れない。もしこれが演技だとしたら大したものだ。


「天馬先輩、月ヶ瀬先輩、星崎先輩。名田先生から見て、この三人はどんな生徒でしたか?」


「そうだな、天馬は今も言ったけど真面目な生徒だったよ。今年は僕のクラスでね、みんなをまとめるリーダー格でみんな彼を頼ってた。ちょっと頑固なとこもあったけどね。月ヶ瀬はなんというか、ちょっと斜に構えてるけど実は天然で、ぼそっと変なことを言ってそれがみんなにウケてたな。授業中なのに彼が何か言うと大爆笑がよく起きてた」


「いじられキャラって感じですか?」


「んー、クラスが違うから英語の授業でしか会う機会はなかったけど、いじられキャラっていうよりはここぞというところでセンスのあるボケをかます、昔の松本〇志みたいな感じだったな」


「……その例えはよく分かんないです」


「ははっ、僕と同じアラフォーのおじさんなら伝わると思うよ」


「私たちはZ世代なので……星崎先輩は?」


「星崎もクラスが違うから、あんまり詳しいことは言えないけど、授業中はちゃんと聞くし、課題も忘れたことないし、廊下ですれ違えば声をかけてくれる、うん、いい子だったよ」


「なるほど」


 名田の目から見ても、被害者の三人の人物像は悪いものではなかった、というものに落ち着く。


「あの、三人と誰かがトラブルを起こしたり、喧嘩をしてたなんてことはありましたか?」


 名田は大きく顔の前で右手を振り、


「ないないない、あの三人に限って、人を攻撃することなんてなかったよ」


「そうですか」


 だがここで引き下がるわけにはいかない。一つだけ確認しておかなくてはいけないことがあるのだ。


「あの、天馬先輩について、一つ確認したいんですけど」


「なんだい?」


「あの、これは天馬先輩のことを悪くいうつもりは全然なくて、純粋に確認を取りたいだけなんです。男子バスケ部の一年に中林って生徒がいるんですけど」


 そして私は天馬が中林に尋常でない自主練と自己管理を強要していたことを説明する。


「このことを、名田先生はか?」


 少し驚いたように目を開き、名田は言う。


「いや、知らなかったな。そうか、そんなことが」


「天馬先輩も悪意とかいじめとかではなく、あくまで中林のためを思ってやってたらしいんですけど、ちょっとやりすぎだったのかなって」


「そうだね、ただ彼の性格を考えたら、やりかねないことだと思うな」


「そうですね」


 これは大きな収穫だ。


 これまで被害者の三人の人となり、人物像は誰に聞いても悪いことは出てこなかった。恨まれる理由――すなわち動機の有無だが、裏で何をやっているか、本当はどんな性格か、なんてことはやはり分からない。


 私だって人に言えない性癖や趣味がある。


 つまり、名田が天馬のパワハラまがいの中林へのアドバイスを知らなかったということは、三人の裏の顔は他の人に知られていない可能性がある。


 昨日亜希が言っていたように、あの三人は裏で恨みを買うような何かをやったのではないか。その仮説の信憑性が高まったような気がする。


 別の教員に呼ばれ、名田がホールに戻っていく。私たちも買ってもらった飲み物を飲み干してからホールへ戻った。その道中――


「おめぇら、いったいいつになったら犯人を捕まえるんだよ!」


 怒声がロビーに響く。


 何事だろうと思って足を止めた。


 小太りの中年の男の人が三人の男相手に詰め寄っていた。


「ん?」


 よく見ると詰め寄られている三人の内の一人は大和だ。ということはあの三人は警察の人間なのか。


「申し訳ありません、我々も犯人を捕まえるために精一杯努力を―」


「御託はいいから犯人を捕まえたら俺の前に引っ張ってこい。俺がぶっ殺してやる」


 怒鳴り散らしている男は紙を金髪に染め、頭頂部の辺りだけ少しハゲていた。肌は日焼けしており、浅黒い。黒い喪服姿ということは通夜の参列者だろうが、あれほどの怒りを表に出しているところを見るに被害者の家族なのかもしれない。


「いや、そういうわけには――」


 大和が苦々しげに対応しているのを盗み見るのはなんとも気分がよくないし、怒鳴り声はそもそも嫌いだ。私と亜希はそそくさとその場を離れ、ホールに戻った。


 椅子に落ち着き、先ほどの名田の話を検討する。


「名田先生も天馬先輩が補講に来なかったのはおかしいと思ってたみたいだね」


「やっぱり、体育館を出てから補講の教室に行くまでに殺されちゃったんだろうね」


「その可能性が高まってる」


「それってさ、名田先生にもチャンスはあったってことだよね」


「名田先生は九時十分から九時半までアリバイがない。その二十分間でできたと思う」


 殺害方法は絞殺なのだから、殺すだけなら一分もかからないだろう。さらに天馬の遺体に施された工作は、トイレの個室に遺棄し、絵の具水をかけるだけ。夏休み中で校舎内に人が少ない状況なら、この二十分間で十分可能なはず。


「名田先生は要チェックだね。ただ教師の人が犯人だとすると、動機の問題が出てくる。大人が復讐するってなるなら、いじめ問題とかではなさそう」


 大人がまだ子供の生徒相手に殺害するまでの恨みを抱くのだから、そこにはとても大きなトラブルがあったに違いない。


「ねぇ、これちょっと思ったんだけど」


 亜希が顔を寄せてくる。


「何?」


「やっぱり、カモフラージュなんじゃない?」


「カモフラージュって警察の考えに賛同するの?」


「いやいやそういうことじゃなくって、警察の考えだと、犯人は本当に殺したかった一人の巻き添えとして、無関係の二人をカモフラージュのために殺して、動機を隠そうとした。遺体への異常な細工も置き紙も、それを補強するための犯人の工作」


「うん」


「私の考えはちょっと違ってて、高校生が殺されていて、動機が復讐ってなると、犯人も同じ高校生で、いじめとか、喧嘩とかのトラブルがあったって考えになるのは自然だと思う」


「うん、まあ特に異論はないよ」


「で、そう警察に思わせることで得をするのは――」


「教師ってこと?」


「そういうこと」


「ははぁ」


 なるほど、亜希は例の置き紙を高校生による復讐と見せかけるためのトリックだと考えたようだ。被害者が高校生で動機は復讐となると、犯人は同じ高校生の可能性が高い、と警察が考えることを期待したのではないか。


 となると、そんなトリックを仕掛けるということは犯人は高校生ではなく、大人。つまり、教師の中にいるのでは、というのが亜希の推理だ。


「じゃあ、あの遺体への細工は?」


「あれはそれだけ恨みがあったんだって思わせるためか、もしかしたら別の意味があったのかも」


「ここだけはよく分かんないよねぇ」


 これだけ大掛かりな犯行をやり遂げた犯人だ。無意味なことではなく、必要だったからやったんだろうけど、分からないなぁ。


「話は変わるけど、名田先生や石村先生は天馬先輩のパワハラまがいの指導を知らなかった。これは大きな収穫だよ。三人をよく知る人は目立ったトラブルはなかったって口を揃えてたけどさ、星崎先輩や月ヶ瀬先輩にもそれぞれ裏の顔があるかもしれない」


「とにかく聞き込みだね」


「うん」


 容疑者候補の人にもだけど、それ以外の人にも話をよく聞く必要がありそうだ。


「あっ、そろそろ始まるみたい」


 午後六時。


 予定通りに、通夜が始まった。



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