第18話 石村の話
【修正のお知らせ】
前話にて、アリバイが不完全な人間の数を五名と書いておりましたが、正しくは六名です。申し訳ありませんでした! 該当箇所はすでに修正済みです。
1
「おや、お姫様は帰っちゃったのか?」
「現場を見に行くって言って出て行っちゃいましたよ。それよりよかったんですか?」
ミス研の部室に戻ってきた狩谷警部に、大和は尋ねた。
「何がだ?」
「希望ちゃんですよ。青夜兄さんがいるならともかく、あの子を捜査に加えたりして」
「心配なのか?」
「そりゃ、可愛い従兄妹姪ですからね。心配は心配ですけど、何かやらかさないかの心配の方が大きくて」
「ふっ、好きにやらせてやれ。もう犯人の目星はほとんどついているんだ。後は証拠集めだけ。今さら希望ちゃんにちょろちょろされても何も進展は起きんよ」
「それはそうですけど」
「それより、希望ちゃんを邪険に扱って青夜さんとの信頼関係が崩れでもしたら問題だからな」
「あぁ、そっちですか」
狩谷警部が青夜に向ける信頼は確固たるものがある。希望を捜査に参加させなかったからといって、青夜がへそを曲げるなどということはまずあり得ないと思うのだが、狩谷警部としては青夜のご機嫌を少しでも損ねないように、と配慮したつもりなのだろう。
警察が頭を抱えるような難事件をいくつも解決してきた青夜。
それらの事件においてほとんどの場合、青夜が推理によって導き出した真犯人と警察がマークしていた被疑者は一致しなかった。
そのことに、大和は一抹の不安を感じていた。
2
石村と職員室の前で別れ、私は階段を上がる。ここ南棟の四階に事件現場の一つである美術室があるのだ。
それにしても、神崎友子は何をしに学校に来ていたのだろう。彼女とぶつかった肩に残る痛みを我慢しながら、私は警察から提供してもらったリストを眺める。
あんな事件があったばかりだというのに。
石村の話によると、彼女は被害者の三人と一年生の時に同じクラスだった。ということは、三人と何らかの関わりがあった可能性が高く、事件において重要となる被害者の人間関係について何か知っているかもしれない。
それに彼女もまた石村と同じようにアリバイが不完全な人間の一人だった。
警察に提供してもらった情報によると、神崎友子は八月四日の午前九時半頃に学校を訪れている。所属している部活動は女子バレー部で、その日は活動はなくフリーだった。本人曰く、「暇だったから来た」そうだが、自習をするでもなく、部活の自主練をするでもない。ぶらぶらと校内を散策したりすることもなく、女子バレー部の部室にこもってスマホをいじっていたそうだ。
帰路についたのは午後一時前。
そんなわけだから目撃証言もなく、アリバイは不成立。
先ほど会った感じだと、身長は一七〇センチ後半ぐらいで、女子にしては上背があり、力もありそうだ。首の切断や遺体を吊るすという重労働も、彼女なら可能ではないか。
話を聞いてみたいが、凄まれたのがちょっと怖い。
ちなみに石村の方はというと、八時半から九時二十分までは一年生の夏期補講を行っており――担当は日本史――、その後は社会科の教科準備室にて一人で作業をしていたそうだ。
どちらも被害者の三人全員と面識があり、アリバイは成立しない。容疑者としては中林よりも犯人に近い存在なのではないか。
ただ神崎友子はともかく、石村があんな恐ろしい事件を起こすなんて考えたくない。私にとっての彼は優しい担任の先生なのだから。
やがて階段を登り詰め、私は美術室の前に到着した。
入口の前に捜査員が数人いたが、特に何か言われることもなかった。狩谷警部から話が通っているのだろうか。一応ぺこりとお辞儀をしてから中に入った。
むっとする匂いが充満している。木の香りに、絵の具や埃、カビなどの匂いが混じってなんとも独特な臭気に満ちている。あまり好きではないが、嫌いな匂いでもない。
月ヶ瀬道夫の遺体が吊るされていた場所の前まで歩く。
天井を見上げると、銀色のフックが取り付けられていた。これは別に犯人がわざわざ遺体を吊るすために用意したものではなく、元々この美術室の設備として設置されているものらしかった。
おそらく作品を吊るして飾ったりするのだろうか。それとも部屋を区切るためにカーテンなどをかけるのだろうか。一か所だけではなく、一メートルほどの間隔を開けて天井にフックが一列に並んでいる。
月ヶ瀬が描いていた絵はそのまま残されていた。
北向きの壁の前にある巨大なキャンバス。閑静な林の中、大きな青い山を背景に湖畔が描かれ、そのほとりに髪の長い婦人が悠然と佇んでいる情景だった。
ずっと眺めていると、この自然の中に自分がいるかのような錯覚に陥りそうだ。夏の暑い日なのに、涼しげな風が吹き込むような気さえする。
月ヶ瀬の人となりは分からないけれど、こんな素敵な絵を描く人が人から殺されるほど恨まれるものなのか……
描きかけのこの絵が完成する日は永遠に来ないのだと考えると、犯人に対して怒りの気持ちが滲んできた。
それから私は最後の現場である西棟へ向かった。
この校舎の三階の男子トイレ。その個室が天馬の遺体発見現場だという。
「……」
あれ?
そういえば男の子のトイレに入っちゃっていいのかな。
別にやましい気持ちがあるとかじゃなくて、これはただ捜査のために必要なことだから。うん、そう。それだけ。
今は生徒もほとんど校内にはいないだろうし、大丈夫大丈夫。
「失礼いたしまーす」
男子トイレに初めて入っちゃったよ。
うわっ、これが小便器か。生で見るの初めてかも……じゃなくて、捜査しないと。
天馬満の遺体が発見されたのは一番奥の個室だった。
「うっ」
中はまだ掃除がされていないようで、便器や床、壁などに絵の具水の乾いたものがまるまる残っていた。先ほど目にした彼の遺体の写真を思い出す。天馬は便器の上に腰を下ろし、タンクにもたれるようにして死んでいた。
この事件だけ他の二つと比べて異質なのは死後に施された細工の程度である。月ヶ瀬が首吊り、星崎が首切りときて、天馬だけ絵の具水をかけられるだけというものだった。
もちろん絵の具水をぶっかけることだっておかしいといえばおかしいことなのだが、他の二件のインパクトが強すぎて、どうも印象がぼやけている。
いったい犯人は何が目的でこんな異常な細工をしたのだろうか。
先ほど大和が語ったことだが、警察の見解としてカモフラージュという説が出ていた。
それは一人を殺すために無関係な三人を巻き添えにし、動機を隠すというものだ。中林犯人説を採用したい警察の見解に乗るのは癪だが、このカモフラージュという着眼点は検討の余地がありそうだ。
何かを隠すためのカモフラージュ。
遺体へ猟奇的な工作をすることで、犯人は何かを隠したかったのではないか。そう考えても、結局絵の具水だけ浮いていることへの謎は残るのだが。
私は床に広がる泥水のような絵の具の跡を見つめた。
*
南棟に戻り、職員室へ。
「石村せんせぇ」
「どうした?」
「ちょっと、もう少しだけお話聞きたくて」
石村を職員室の外へ連れ出す。廊下で立ち話をするような内容ではないので、空いている教室に入った。
「変なこと聞きますけど、あの三人って誰かをいじめてるとか、そういうことはありましたか?」
「いじめ? そんなことあるわけがないだろ。ははぁ、あの置き紙のニュースを見たな」
「はい、あの復讐がどうたらってやつ」
「さっきも言ったが、少なくとも俺が見てきた中であいつらが他の生徒たちと喧嘩をしたり、問題を起こしたり、なんてことはなかったよ。いじめなんてなおさらだ」
「じゃあ、教師の人とかとは?」
私が尋ねると、石村は少し眉をひそめた。顎を隠すように右手で押さえ、唸る。
生徒とトラブルがなかったのなら、教師ではどうか。
子供相手に大人が本気で殺意を向けるほどの怒りを覚えるというのも内容によっては十分考えられそうだ。特に学び舎というのは生徒と教師の距離が近く、人によっては密接な人間関係で繋がることもあるのだから。
石村の反応は何かを知っているようなものだった。
「こんなこと生徒に言うことじゃないんだが」
そう前置きをして語り始めたのは、例の天馬満とバスケ部の顧問の話だった。
「天馬は今時珍しい熱血少年でな、部活の練習にひときわ真面目に取り組んでたんだ」
既知の話だが、教員の立場から見たそれはまた違う角度から二人の関係性にスポットを当ててくれるかもしれない。
「今年の春に別の高校に異動していった
今のところ石村が語った内容は大和から教えてもらったものと変わらない。
前任のバスケ部顧問を慕っていた天馬は、バスケ未経験の素人である新しい顧問の新崎先生と折り合いが悪く、衝突することが多々あったそうだ。
部活動において、必ずしも経験者の教員が顧問となるわけではない。無論、経験者がいれば優先的に任せられるだろうが、門口が別の学校に異動してしまったため、現在藤宮高校にバスケットボールを経験した教員はいないそうだ。
部活に積極的に取り組んでいる天馬からすれば、代わりにやってきたド素人の新崎は受け入れがたい存在だったのだろう。
「でもな、新崎先生もバスケの勉強をして、最近は天馬とも上手くやれてるって喜んでたんだ」
「え? そうなの?」
「ああ。最初は天馬も新崎先生のことを認めてなくて、練習をサボったりとか反抗したりとか……まぁ、いろいろあったんだが、未経験でもしっかりバスケに向き合って真剣に練習する新崎先生を見て、天馬も彼を認めたんだろうな。最初は門口先生がいなくなったことにショックを受けて、自暴自棄になってたのもあるんだろう。夏休みに入る前に二人きりで腹を割って話をして、至らないところもあるが頑張っていきたいんだって気持ちを伝えて、天馬に受け入れてもらったって新崎先生喜んでたんだ」
「じゃあ、その二人はもう和解してたってこと?」
「そういうことだな。だから事件の日、天馬が練習に来なかったって聞いてびっくりしたんだが、きっとその時もう殺されてたんだな」
天馬と新崎は和解をしていたのか。
たくさんの人の話を聞いて、天馬の人物像は今時珍しい熱血漢のスポ根という評価に落ち着く。
「話は変わりますが、石村先生は事件があった日の九時から十二時まで、ずっと一人でいたんですか?」
アリバイの再確認だ。
「いや、八時半から一年の補講があって、それが終わってからはずっと準備室で一人だった。な、なんだ? 先生のことを疑ってるのか?」
「そんなわけないじゃないですか。でも警察に聞いた話だと先生はアリバイがないから……」
「な、なんで大紋さんがそんなことを知ってるんだ」
この際だ、事情聴取を円滑に進めるために話してしまおう。
「実は――」
と私は親戚に一課の刑事がいること、もう一人の親戚はいくつもの事件を解決してきた探偵であること、そして今回の事件の捜査にも極秘に関わっていることを説明した。
「本当に? 信じられないな」
「本当です。だから先生のアリバイも知ってるんじゃないですか。それで、補講が終わった後は誰とも会わずにずっと一人だったんですか?」
「そ、それはだな」
その時、不自然な間が空いた。
半開きになった口から重苦しい息が漏れている。
なんだ?
十秒ほどぎこちない表情で固まっていた石村は私の方へ目を向けて、
「一人だった。うん、ずっと」
そう言った。
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