第17話  汚れ

 1



 私は再び遺体の写真の目を通す。このままでは中林が犯人だと決めつけられたまま捜査が始まってしまう。


 何か、ないか……


 じっくり一枚ずつ穴を開けるように視線を向ける。すると、先ほどは気づかなかったがあるものが目に留まった。


「ん、この汚れは何?」


「汚れ?」


「これ」


 それは星崎の遺体の首にあった。切断された生首。血で赤黒く汚れているのだが、それとは少し異なる色合いの汚れが付着していたのである。


 切断された場所の少し上に走る索状痕。その痕の中に苔のような色をした汚れが見えた。

 少なくともこれは血液が固まったものではない。


 他の二人の遺体写真も確認してみる。天馬の遺体はそもそも絵の具水で大部分が汚れてしまっているためよく分からなかったが、月ヶ瀬の遺体にも同じような汚れがあるのが確認できた。


 月ヶ瀬の場合は索状痕の縁の数ミリ上の辺りに星崎と同じような濃い緑色の汚れがある。


「ああ、これか。えーと、これはたしか絵の具の汚れだったかな」


「絵の具? なんでそんなものが」


「さぁ。天馬の遺体にかける絵の具水を作ってる時に犯人の手に付着して、それが残りの二人の遺体にも付いた、とかそんなとこじゃないか?」


「……じゃあこれは水性絵の具ってこと?」


「いや」


 大和は真顔になると、手帳をめくって、


「えーっと、報告によると油性絵の具だね」


「どっちにしろおかしいよね。中林はバスケの練習中だったんだから油性だろうが水性だろうが絵の具が手につくなんてありえない」


「それは分からないだろう。何らかの理由があって付着したと考えられる」


「何らかの理由って何?」


「それはまだ捜査中さ」


「……」



 2



 私は一人で校内をうろついていた。


 あの後、事件があった日に校内にいて、九時から十二時までのアリバイが不完全だった人間のリストをもらった。それによると中林を含めて六名の人間が完全なアリバイを持たず、容疑者として疑われているという。やはりアリバイのない人間は多くはなかった。


 その中で警察が最も関心を寄せているのが中林だが、それはもはや盲目的になっている気がしてならない。


 先ほどの絵の具の問題。


 遺体の首に絵の具が付着しているなんて明らかにおかしいのに、警察はそれを重要視しようとしない。それは中林が犯人説という前提の邪魔になるからではないか。誰がどう考えたって、バスケの練習中だった中林の体に油性絵の具が付着するなんて状況はおかしい。


 それを検討しようとすれば、中林犯人説の大きな障害になってしまうことは必至。だからあえて視界に入れないようにして、そのうち答えの方からひょっこり現れることを期待しているのではないか。


 そもそも今回の事件で油性絵の具が登場する場面といったら――


「大紋さん」


 背後から声をかけられた。振り向くと、そこには担任の石村が。思わず身が硬くなる。というのも、


「まだいたのか」


「へへ、ちょっとね」


 この石村勝彦もまた、今回の事件でアリバイが不完全な容疑者の一人だからだ。ちょうどいい。少し事情聴取といくか。


「石村先生、事件の犯人はまだ捕まらないんですかねぇ」


 石村と連れ立って廊下を歩きながら、私は探りを入れる。


「不安か?」


「まあ、怖いと言えば怖いです」


「安心しろ。警察の人たちが犯人を捕まえてくれる」


 だといいのだが。


「そういえば石村先生も事件があった日、学校にいたんですよね。何か気になることとかあります?」


「なんだいきなり。探偵ごっこか?」


「い、いえ」


 私って下手くそだなぁ。青夜ならもっとスマートかつ自然に容疑者の懐に忍び込んで話を聞き出すのに。いつも助手として彼の手際の良さを見てきたはずなのに、全く活かされてないや。


 しかし、石村は石村で今回の事件に思うところがあったのか、口が滑らかになる。


「犯人は本当に許せない。なんの罪もない子供を殺すなんて。あいつら、クセはあるし、やんちゃだけどみんないい子たちだったんだ」


 聞けば、石村は去年、彼ら三人が一年生の時の副担任だったという。


「殺された先輩たちって、三人とも仲良かったんですか?」


「んー、そうだな。中学も一緒で、部活は違うが教室にいる時はいつも三人でつるんでたな」


「そうなんですか」


 予想はしていたことだが、三人は仲が良かったということはこの三人には友人としての繋がりがあり、共通の人間関係が動機となってくるのではないか。


「ねぇ、変なこと聞きますけど、三人と仲が悪かった人とかはいました?」


「仲が悪かった……」


「トラブルがあったり、喧嘩があったり……」


「いや、そんなことはなかったなぁ。三人とも騒がしいけど根は真面目で、クラスのみんな、誰とでも仲良くしてたさ」


 教師の立場としてはそう言うしかないのか、それとも本当にいい生徒たちだったのか。


 これは偏見だが、そういう上の評価が高い人間に限って陰でこそこそ悪さをし、それを隠すのが上手いものだ。


「事件があった日は三人の誰かと会ったりしましたか?」


「会ってないな。あんなことになるんだったら、会いたかった……」


「あの、ちなみに先生はその日――」


 と曲がり角を折れたところで、ちょうど前から一人の女子生徒が現れた。


「おっ、神崎かんざき


「石村先生」


 神崎と呼ばれた女子生徒――一年生ではなさそうだ――は、私の方をじろっと見下ろした。気の強そうな美少女である。


 長い黒髪、シルクのような白い肌に少しつり上がった瞳。桃色の唇は薄く、高い鼻は彼女のプライドの高さを表しているかのようである。


 背も高いため、私は思わず身をすくませる。美しさの中に圧があり、その場にいるだけで相手に緊張を強いるタイプだ。


「邪魔」


 そう言って彼女は私の横を通り過ぎ、肩をぶつけてきた。


「あいたっ」


 その衝撃は思っていたよりも強く、私はバランスを崩して後ろに転びそうになってしまった。


「こら神崎」


 石村が注意するも、神崎は「ふん」と鼻を鳴らして廊下の角の向こうへ消えていってしまった。


「大丈夫か?」


「は、はい」


「ったく、あいつは」


「なんですか、あの怖い人」


「神崎友子ともこっていって、二年生だよ。あっ、そうそう、あいつも去年は俺のクラスだったんだ」


「神崎……友子。字は? どう書くんですか?」


「うん? 神の崎で神崎、友達の友に子供の子で友子だよ。なんでそんなこと聞くんだ?」


 神崎友子。


 彼女もまた、警察に提供してもらったリスト――アリバイが不完全な者の一人だった。


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