第16話  犯人の手記より抜粋 その3

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 二郎がいたから私はあの地獄のようないじめにも耐えられたのだ、と、そう言っても過言ではないだろう。いつの間にか私の心は守るべき存在であった二郎によって平静を守られていたのかもしれない。


 二郎がいるから、二郎の成長を見守るために、と。そういった心理が私の心をこの世に繋ぎとめてくれたのかもしれない。何度か自殺を考えたこともあるのだ。


 二郎は公園で遊ぶのが大好きだった。


 いつも私は学校から飛んで帰ると、宿題も放り出して幼い二郎を連れて近所の公園へと向かった。二郎はボール遊びが大好きだった。

 砂場で山を作っては二郎に壊されたり、ゆりかごブランコに二郎を乗せたり……


 もうこの頃には、私のへいじめはひどく残酷なものになっていた。


 二郎はまだ三歳だった。これからいろんなことをして私と遊ぶのだ、と。


 立派に成長していくのだ、と。


 私はそう信じて疑わなかった。三郎の分まで幸せになって欲しいという気持ちもあったから。


 事の発端は私の軽率な行動のせいだ。あの日、余計な冒険心など抱かなければ、今こうして己の心を燃やす復讐の火に焦がれることもなかったろう。


 これもまた私の罪の一つだ。

今も忘れはしない。


 私は中学二年生だった。


 その日は八月十八日。


 あの日、私はいつものように二郎を連れ公園へと向かった。


 しかし、どういった心境の変化かは分からないが、私は遊び慣れた公園を通り過ぎ、街外れにある山の前まで来ていた。


 二郎にいろんな世界を見せたいとでも思ったのだろうか。私は二郎を連れて山に踏み入った。


 ひとしきり遊んだ後、やがて四時の時報が鳴った。そろそろ帰ろうと私が踵を返したその瞬間、私の顔面に強烈な痛みが走った。


 あまりに突然のことだったから、訳も分からずその場にしゃがみ込んでしまった。痛みに耐えながら顔を上げると、やはりというべきか、そこには奴らがいた。


 天馬。


 月ヶ瀬。


 星崎。


 後になって知ったことだが、彼らは大人の目の届かないこの山によくたむろしていたらしい。


 ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべながら、奴らは私を取り囲んだ。


 当然私は蛇に睨まれた蛙の如く、そこから逃げ出すことも、果敢に立ち向かうことも出来なかった。

 ただ、これから行われるであろう奴らからの暴行をひたすら耐えるための心の準備をするだけであった。


 しかし、意外なことに奴らは私に近づくことは無かった。ああ、この時点で気付くべきだった。奴らは私を見ていたのではない。二郎を見ていたのだ。


 天馬が「おい」と声を投げ、顎で私の影に隠れる二郎を指した。それを受けて他の二人が私から二郎を引き剥がす。


 月ヶ瀬が私の体を拘束し、星崎が二郎を乱暴に捕まえた。


 私は抵抗しなかった。いや、出来なかった。


 言い訳になるかもしれないが、無駄な抵抗をしないことが奴らからの暴力を極力抑える術だと、情けない処世術が、くだらない負け犬根性が、この身に刻みこまれていたのだ。


 それに、さすがの奴らも二郎には手出しをしないだろうという甘い考えも同時にあった。甘かった。


 天馬は私の方を一瞥すると、にたりと笑って、躊躇なく二郎の腹を蹴り上げた。「あうううううう」という二郎の悲鳴が空気を震わせた。天馬は二回、三回、と連続して蹴りを入れ続けた。


 私はその光景をただ眺めることしか出来なかった。私は組み伏せられ、月ヶ瀬がその上にのしかかっていたからだ。二郎の悲鳴を聞きながら、圧迫による胸の痛みに耐えていた。


 いつの間にか星崎の姿が消えていた。もはや押さえなくとも二郎は逃げないと踏んだのか。二郎は息も絶え絶えで地面にうずくまっていた。


 天馬も息を切らし、やがて足を止めた。


 やっと終わったのか。警察を呼んで病院に行かなくては、と私は思った。


……しかし、その後姿を現した星崎を一目見て、私はその後行われる惨事の想像がついてしまった。私が奴らに抵抗をしたのは、おそらくあれが最初で最後だっただろう。


 渾身の力を振り絞り、月ヶ瀬をはねのけようとした。けれども、そこで火事場の馬鹿力なるものは発揮されなかった。天馬に頭を踏まれ、視線すら二郎から外れてしまった。


 今この視界の後ろで、星崎が歩み寄っている。足音がだんだんと近づいてくる。


ざっざっざっざ、と。


 さながらそれは死刑執行を待つ死刑囚のようであった。


 やがて足音が止まり数秒。世界が止まったような静寂が流れた。


「ふふん」と星崎の声が聞こえた。


 そして、この世のものとは思えないほどに苦痛に満ちた声が、後方から響いた。「おえぇ」と月ヶ瀬が呻いたのも憶えている。天馬と星崎の不気味な笑いが重なって私の耳に届いた。


 私は必死に動こうと踏ん張ってはみたが、完全に体が固定されていて、何が起きているのかを知ることすらできなかった。「やめろ」の一声も出せぬまま、私はただ、彼らが満足するのを待つばかりであった。


――数分後。


 月ヶ瀬が私から離れ、天馬も足を退けた。ようやく私は解放された。そして彼らはそのまま私に何かを言うこともなく、その場を去った。


 胸がひどく痛んだ。後で分かったことだか、肋骨の本が一本折れていたらしい。


 山の中には私しかいない。この時、まるで世界中の全ての「動き」が止まってしまったのかと思うほどに静かだった。


 一人残された私は茫然としていた。


 私は怖かった。後ろを振り向くのが。


 星崎の姿が脳裏に浮んだ。奴が持っていたのは……のこぎりだった。


 痛みに耐えながら立ち上がった。一瞬めまいに襲われたが、何とか踏ん張り、直立の姿勢をとった。そして、私は勇気を出してゆっくりと振り向いた。


 それは私の思い描いた惨事を遥かに超越した凄惨な光景であった。


 鮮やかな赤い色の中央に、首を切られた二郎が静かに横たわっていた。

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