笑顔を見せてよフィオリーナ

矢口こんた

第1話 砂浜のクロスオーバー


 玲司れいじは砂浜に続く階段に座り、揺れ動く海の月を見ていた。


 砂をでる波の音。

 春風が連れてくる潮の匂い。

 遠くに見える舟灯ふなあかり。

 海と同化した黒い空に、またたく星たち。


 なんにも変わらない、いつもの夜の海だ。


 少し違うのは、砂浜を歩く一匹の猫。

 トラ猫……にしては月の光のせいで、茶色ではなく、金色にも見える。

 いつもなら好きな猫を見て、にやけてしまうけれど、今はそんな気分ではない。


 三年前、玲司れいじが七歳のときだった。彼の大好きな父、十時とどき将吾しょうごは海に出たきり、帰ってこなくなった。


 玲司は父の命日としている今日、母と喧嘩して、家の裏の海に来た。

 上の妹に内緒で、下の妹の欲しがってた物を買ってあげてるのを、見てしまった。下の妹は、義父の連れ子だ。いつもそうなんだ。

 それが、なんだか悲しくて、悔しくて。――うぅっ、玲司れいじの見ている世界がにじむ。


 夜空を見上げる。「父ちゃん……」首から下げている珊瑚のお守りをギュッと握る。不思議な色をした貴重な珊瑚。玲司れいじのものと父自身のものの為に、二つに割って作ってくれたものだ。


 日本一の武闘派漁師と呼ばれた筋骨隆々の父を思い浮かべる。


 カチリ! 頭に音が響いた。なにか部品と部品がきっちりと組み合わさるような音。


 パーカーの袖で、いまだ目を覆う液体をゴシゴシ拭いとる。

 大きく息を吸い込み、ふうっと、悔しい気持ちも一緒に吐き出す。滲んでいた世界が、再び輪郭を取り戻した。



 砂をでる波の音。

 春風が連れてくる潮の匂い。

 遠くに見える舟灯ふなあかり。

 海と同化した黒い空に、瞬く星たち。

 近くには、上から下に木の棒を何度も何度も振ってる女の子と、それを見守る男の人。


 ん? なんか、さっきと違うものが目に映っている。

 もう一度、袖をまぶたに当て、目尻までよーく水分を吸わせ、目を開いた。


 玲司れいじと同い歳ぐらいの女の子。

 棒を降るたび、銀色の髪が青い光沢を帯びて、揺れる。

 月明かりを受けた銀色の髪が、揺られるたびにキラキラッ、キラキラァッと光の粉を散らす。


 女の子は、ずーっと棒を振っているだけだけど、振る度に、髪の揺れ方、細やかな光の散り方が変化して、玲司は、ふわぁ、と、なんだか胸がドキドキして、夢中で見ていた。


 小さな顔に、青の光沢を持つ銀色の髪。透き通るような白い肌。外人さんかな?

 春に似合うワンピースに薄手のロングジャケット。変わった服だけど、可愛いな。


 ずーっと見惚れていて、――そんな自分が可笑しくて、ふふっ、と思わず笑みが溢れた。


 棒を振っていた女の子の動きが止まった。

 こっちを不思議そうに見てる。

 口元に指をあて、首を傾げたのち、ばぁっと笑顔が咲いた。


 しかし、すぐに彼女は、眉尻をあげて、口をへの字にして、きっ! と、玲司れいじを睨んだ。

 棒を持ったまま、女の子はズカズカと砂を踏み締め、玲司れいじに向かって歩いてきた。


 な、な、な、なんだ! 棒で殴られるっ! 玲司は前屈みに小さくなって、頭を腕で隠した。


「貴様っ! もしかして、――我のことが……見えておるの・か?」


 へっ? 最初は強気な女の子の声が、だんだん困っているような響きになっていった。


 おかしなことを言われて、玲司は恐る恐る顔をあげる。腕の隙間から片目で女の子を見た。


 木の棒が玲司に向けられている。


 眉尻を下げ、うるおう紫色の瞳が、玲司を見下ろしている。柔らかそうな白い肌、ぷっくりした唇。

 風に揺れるしなやかな髪が、月明かりに照らされて、サラサラ光の粉を舞わせている。

 

 青い夜が映し出す、幻想的な光景を見た瞬間……玲司れいじはキュッと胸の奥を摘まれたように、呼吸をするのも忘れた。ドキドキだけが、どんどん速くなった。玲司れいじを置いて時間が過ぎ去っていく。


 女の子は木の棒を下ろし、ふっ、と、少し寂しそうに笑った。


「なんだ……聞こえてはいないのか」


 その言葉が、玲司れいじのこころを、この世界に引き戻した。


「えっと、あっ、ごめん。聞こえてる! それに……見えてる、よ?」


 玲司れいじは自分が何を言っているのか、途中でわからなくなっていた。

 ――この女の子の質問の意図を、ボクが理解してないのかな? もしかして、すっごーく深い意味で聞いていた? だとしたら、もっと、よーく考えて喋らなきゃいけなかったのかな。


 でも、この子、外国人だろうけど、日本語が上手だな。もしかしたら日本で生まれて育ったのかな。何処の子だろう? えっと……、


「名前はなんて言うの? どっから来たの?」


「無礼者っ! 貴様から身分を明かさぬか! 我はフィオリーナ・リノセント。ロッテルメイヤー王国から来たのじゃ!」


 木の棒を砂に突き刺し、胸を張って女の子は名乗った。


 その女の子の隣に、すうっと音も立てずに人が現れ、耳打ちする。あ、さっき棒を振っていたこの子を、見守っていた人だ。少し笑っているように見える。


「姫さま……先に名乗ってしまっていますよ」


 フィオリーナと名乗った女の子は、大きな目を更に開けた。はっ! と短い声を出して棒を手放し、両手で口を塞いだ。


「よろしく、フィオリーナちゃん。ボクは早瀬玲司、レイジって呼んで」


「無礼者! わたしに指図だと? レイジ。貴様は何様のつもりだ! わたしのことはリーナと呼ぶのだ」


「姫さま……レイジ君の指図通り、レイジって呼んじゃっていますよ」


 リーナは、目を大きく開けて、はっ! と、口を両手で抑えた。

 そして、うぅ、と涙を浮かべて玲司れいじを睨む。柔らかそうな頬っぺたが赤くなった。


「レイジッ! 貴様、一度ならず二度までもっ! 我を罠に嵌めるとは良い度胸だ、勝負せいっ!」


 そう言って、何も握っていない右腕を玲司れいじに向けた。


「ん?」リーナは小声を漏らし、砂に落としていた木を「んしょ」と、しゃがんで拾った。


 あらためて、玲司にピシッと、木の棒が向けられた。

 ――多分、リーナなりのカッコいいポーズなんだと思う。


「…………」


 隣の見守りの人に、目だけを動かして、ひそひそ声で尋ねた。

(ナイアン、これ、もう一回レイジに、言った方が良いヤツか?)


 ナイアンと呼ばれた男の人が、ひそひそ声で答える。

(姫さま……その必要は、ごさいませんよ)


 玲司れいじも、ひそひそ声で伝える。

(リーナたち、そのひそひそ声、ボクにも聞こえているからね)


 リーナがひそひそ声で(無礼者っ、盗み聴きとは……)と言いかけ、はっ! と言葉を飲み込んだ。


 そして、あらためてリーナが普通の怒ったトーンで話す。


「なぜみなが、内緒の声で話さなねばならぬのだっ!」


 リーナは形の良い眉を上げ、むぅ、と頬を膨らませている。

 ナイアンさんはリーナの隣でうつむき加減に、グーの手を口にあてている。両肩がヒクヒク上下していた。

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