第44話 白い世界の中で
--せい、へいきか?
ぼんやりとした意識の中で、有声は誰かが話しかけてくる声を耳にした。心配しているような、そんな声色に大丈夫だと安心させるために腕を伸ばす。
感覚があやふやなので、きちんと動かせているか分からない。しかし、動かせている前提で撫でた。
「おれは、へいきだよ」
ふにゃっとした声しか出せないが、相手には伝わった。安心した雰囲気とともに、頭がふわりと温かくなる。
--心配した。
「ごめんごめん。考え事していたら、つい入りすぎてた。この年でのぼせるなんて、さすがに格好悪いな」
--そういう問題ではない。見つけるのが遅ければ危険だった。
視界は白く染まっていて、相手の声が聞き分けられない。
ルビのような、違うような。誰かに言われたわけでもないのに、有声はこれが夢だと考えた。悩みすぎて、こんな夢を見ているのだと。
夢ならば隠したり、ごまかしたりする必要は無い。むしろ夢だからこそ言えることもある。
「だって、ルビが俺を悩ませるから。考えてたら、時間が経ってた」
--何を悩んでいた。一緒にいるのが嫌になったのか?
「そうじゃないよ。むしろ逆。いつまで一緒にいさせてもらえるのかなって。いつか離れなきゃいけない時、俺は素直に認められるかなって」
--どうして離れる必要がある。そんな考えに、何故なった。
「……俺が番じゃないから」
--は。
拗ねたような、迷子のような弱々しさに、相手は息を飲んだ。そして、有声にぐっと近づく。
--番ではないと悩んでいたのか。それはどういう意味でだ。なりたくないと思ったのか。
有声には見えなかったが、彼の一挙一動を見逃さないといったばかりに、距離を詰められているのは感じていた。
息が顔に当たっていて、くすぐったさに有声は笑う。
--笑っている場合ではない。早く答えろ。
「はは。本物みたいに横暴で俺様だな」
--本物? …………ああ、これは夢だ。醒めないうちに、早く答えてくれ。
急かしてくることに疑問を感じなかったわけではないが、夢だからそういうものだと勝手に納得した。
だから、伸ばして触れていた手を動かしながら答える。
「もし、ルビに番ができたら、俺なんて不必要になる。おっさんだし、なんの取り柄もないし、契約を交わしたとはいえ一緒にいるメリットが……ルビには無い」
--メリットで傍にいると思うのか。気に入られているとは思わないのか。
「うーん。追い出されてないから嫌われてないかもしれないけど、ずっと一緒にいてくれるのかなあ」
--お主はどうなんだ?
「俺?」
--お主は、どう思っている?
有声は考えてみた。ルビのことを、どう思っているのか。
右も左も分からなかった自分の面倒を、ここまで見てくれた。恩を感じているのは間違いない。
しかし、それだけではなかった。
「そうだなあ、俺が番だったら良かったなって思ったぐらいは好き、かも」
内緒だけど。
そう言って笑う有声に、しばらく反応は無かった。
--その話は、また今度しよう。今は休め。
「またって、また夢に出てくるの? いつ見られるか分からないのに」
--大丈夫だ。機会は必ず訪れる。近いうちにな。
「そう言うなら、またね」
有声の視界が、白から黒に変わっていく。全てが黒く染まる前に、彼の唇に何かが触れる。それが何か知らないまま眠りについた。
「ふわあ……よく寝た」
大きく伸びをした有声は、あくびをしながら状況を確認する。
起きた場所は、自分のベッドだった。見慣れた光景に、どのぐらい寝ていたのだろうかと考える。時計は無いので、すぐに時間が分かる術がないのだ。
「確か、温泉でのぼせて……そのまま寝ちゃったんだよな。なんか、夢を見ていたような……」
そこで、有声は自分が何を話したのか思い出した。夢で無ければ、どれほど恥ずかしいこと言ったのかと。
「ああ、夢じゃなくて良かった」
ほっと胸を撫で下ろし、有声は心配をかけただろうルビやオルとロスの様子を確かめるために部屋の外に出た。
いい匂いを嗅ぎ取り、その方向へ進んでいく。体が反応して、空腹を感じお腹が鳴る。
ぐーぐーとうるさいお腹をなだめながら、食堂に辿り着いた。
中から、オルとロスがはしゃいでいる声が聞こえてくる。その声に、自然と笑みが浮かんだ。楽しさが扉越しでも伝わってきた。
オルとロスに翻弄されているらしいルビが、困っているのも面白かった。有声の気配に気づいているが、中に入るまで待っていた。何故様子を窺っているのかと、疑問に思っていたが好きにさせていた。
もしかしたら、あれが夢ではなかったと気づき、顔を合わせづらいのかと考えた。逃げたら捕まえに行けばいい。そんな物騒なことも考えていた。
有声は、別に顔を合わせづらいなどとは考えていなかった。ただ、楽しそうなところを聞いていて、扉を開けるのを忘れていただけ。
早く入らなくてはと、そう思い出して扉を開ける。
そして、こちらに視線を向けたルビの顔を見た有声は、無意識に言葉をこぼした。
「すき……」
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