第18話 未知との遭遇


「うわっ!?」


 それが有声に届く前に、ルビがはたき落とした。べしょっという音を立てて、地面にのびる。有声は一体何だったのだと、ルビの腕の隙間から覗いた。


「あれって」

『気にするな。取るに足りない存在だ』

「わんこっ!」

『お、おい』


 気絶しているそれを視界に入れると、ルビが止める前に目を輝かせて駆け寄った。まさかそんな行動をするとは思わず、彼を行かせてしまう。

 ぐったりとしている子犬みたいな生き物に、有声は抱きあげようとした。しかし、伸ばした手に影が飛んだ。


「え」


 予想しなかった場所から、頭が現れた。いや、元々あったのだ。その生き物は、頭が2つのオルトロスだった。黒い毛並みに、真っ赤な瞳。その牙は、鋭く尖っている。

 オルトロスは、有声から見えないように片方の頭を隠し、気絶したふりをして待ち構えていた。油断していたところを、噛みちぎるために。

 そのまま行けば、有声は手首から先を失っていただろう。大惨事間違いなしだった。

 しかし、それをルビが許すわけが無い。


『きゃんっ!』


 尾を一振り。それだけで、オルトロスは甲高い声をあげて吹き飛んだ。手加減なしだったせいで、今度は本当に地面でのびている。目を回し、舌を出している2つの頭。

 さすがに有声も危機感を持つかと思われたが、見た目だけは可愛い子犬の姿に未だ絆されていた。


「ま、まさか死んでないよな?」

『別に死んでもいい。お主、何をされそうになったのか分かっているのか?』


 自身よりも害をなそうとしたオルトロスを心配する言葉に、ルビが呆れと警告を混じらせる。


「ちょっと、じゃれただけかもしれないだろ。まだこんなに小さいから、加減とかが分からなかっただけで」

『加減が分からなくても、手を噛みちぎったりはしない。それに狙っていた。完全にわざとだ』

「怖くてパニックになっただけとか」

『絶対に違う』


 ルビには、オルトロスの狙いをすませた好戦的な表情が見えていた。わざと頭を隠したのも知っていた。だからこそ危険だと教えているのに、有声はありえないと信じない。

 何故、小さいだけのよく知りもしない相手を庇うのか。

 ルビは歯ぎしりをして、有声の体を尾で包む。巻き付けないが、拘束するには十分だった。近づくどころか、見るのも出来なくなる。

 さすがにここまでされれば、ルビが本気で警戒しているのが伝わった。


「というよりも、心配しているのかな」


 相手がまだ子供だからと、有声は油断していた。しかし小さいからといって、殺されないという保障はどこにもない。可愛さに目がくらんでいたと反省する。


「……ごめん。守ってくれたお礼を言わず、何か文句みたいなこと。近づくのは止めるから、その子を湖で癒してあげて」

『本当に分かったのか?』

「うん。警戒すると約束してもいい。でもその子は、きっと事情があって襲ってきただけで、もしかしたらここは縄張りなのかもしれない。そうだったら、俺達にも悪いところがあるだろう。だから、お願い」

『……今回だけだ』


 じっと下から見つめられて、ルビはため息を吐き折れた。まだ気絶している首根っこをつまむと、そのまま湖の真ん中付近まで放り投げる。


「あっ、何しているんだよ」


 岸の辺りで浸からせるとばかり思っていた有声は、責める声を上げたが、ルビは涼しい顔をしていた。


『あれぐらいで溺れはしない。少し頭を冷やす必要があるから、ちょうどいい』


 これ以上は譲歩しない。そんな訴えが伝わってきて、無理なお願いをした自覚はあるので文句を言えなくなった。


『全く、しばらく来ないでいると変なのが湧く。いちいち相手していたら、おかしくなる』

「それなら、もう帰るの?」


 1人だけの特別な場所に、他の存在が入ってきたのが許せない。聖域を土足で踏み荒らされた気分だった。こんなことならば、誰も入らないようにシールドでもはるべきだった。

 そう後悔するルビに、有声は残念そうに言った。湖に来て、ほとんど時間が経っていない。満足するほど探索もしていない。

 次はいつ来られるか不明なのに、もう帰らなければならないのが嫌だった。しかし、ルビが決めたなら仕方ない。また来られる機会があるだけ、恵まれていると考えよう。

 それでも、もっと楽しみたかったと落ち込む有声の心の動きを、ルビは感じ取っていた。


『帰るとは言ってない』

「え、でも」

『こちらの滞在を、あんな些末な存在のせいで変更させられるなんて納得いかない。ようは、邪魔されなければいいのだからな』


 そう言って、ルビは口の中で呪文を唱えた。有声とルビの周りを、しゃぼん玉の膜に似たシールドが包む。

 虹色のそれは、ルビが消すか、ルビよりも強い力で攻撃されない限りは壊れない。触れれば団子みたいな弾力があり、中からぶつかっても痛くない。しかし、外から攻撃された場合は違った。攻撃は、倍になって跳ね返る。


『外からは気配を感じられないようにした。これなら邪魔されず、ゆっくりと過ごせるだろう』

「凄い! ありがとう、ルビ!」

『このぐらい、我なら簡単にできる』


 パッと顔を輝かせた有声に、ルビは微笑んで擦り寄った。

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