第17話 休憩と


「う、わあ……」


 湖に着くと、感動の声を出した有声は、そのまま走り出した。


『はしゃぎすぎて転ばないようにな』

「大丈夫だって、うわっ!」

『全く……言ったそばからこれか。お主からは目を離せない』


 ルビが注意し、それに大丈夫だと返事をした途端、石につまずいて転びかける。顔から地面に突っ込む前に、ルビが体を支える。

 はしゃいだ自覚のある有声は、体勢を立て直すと照れながら頭をかく。


「ご、ごめん。凄く綺麗だったから」


 謝りながらも、有声の意識は湖の方向にあった。彼の知識では、湖の色は透明、青、緑、珍しいもので赤ぐらいしか無かった。

 しかし、ルビが連れてきてくれたところは違った。光の反射や、風の流れ、その他もろもろによって次々と色が変わっていくのだ。まばたきした間に変わったり、かと思えばしばらく同じままだったり。その様子を眺めているだけで、時間を潰せる。

 ここまで綺麗な場所が、今まで誰にも知られずにいたという事実が、有声には信じられなかった。


『気に入ったか?』

「当たり前! こんな凄いところに、俺を連れてきて良かったの?」

『この景色を、お主と見たかった』

「そ、そっか」


 まだ体に手が添えられている。大丈夫だと言って転びそうになった手前、有声から離してほしいとは言えなかった。

 そっと触れ、湖を見る。太陽の光が反射して今は、薄い水色になっていた。透き通っているので、中で泳いでいる生き物まで分かった。

 思わず見とれる有声の横顔を、ルビがそっと見守っていた。慈しむような視線に、彼は気づいていない。


「どういう仕組みなんだろう。もしかして、これも魔法?」

『我もその辺りは知らない。調査がされたこともないからな。しかし何百年も変わらずにいるのは、魔法とは別の力が働いているのだろう』

「……何百年も」


 その年数を聞いて有声が感じたのは、驚きではなく悲しみのような胸が苦しくなるものだった。

 何百年、1人で過ごしていたのを間接的に聞いて、彼が孤独を感じてしまう。それが普通だったルビが可哀想だと、勝手に思ってしまった。ルビは同情をしてもらいたくないとしても。


「こういうのは、写真にはおさめられない美しさだな」

『写真?』


 気まずい空気を消すために言ったのだが、ルビには写真が何か分からなかった。この世界にはそれが無いと知り、有声はどう説明したものかと考える。


「こう、一瞬を切り取って残す機械って言うのかな。それをこのぐらいの紙にうつして、思い出として取っておくんだ」

『そのような面白い機械があるのだな』

「うん。でも、ここは写真じゃなくて、実際に目で見ないと感動が伝わらないな。本当に綺麗だ」


 頭に焼き付けるように、有声は湖を眺める。しみじみと呟き、もう少し傍で見たいと歩き出した。ルビは邪魔にならないように、手を動かした。それでも離さなかったのは、転んで怪我をされたら困るからだ。

 近くで見る水面は、距離を置いてみるよりも違った魅力があった。キラキラと輝くので、そっと触れようとして、有声はルビの方を窺う。


「触っても大丈夫だよね?」


 色が綺麗だと、実は触れない劇物なのではないか。硫酸みたいに、手がドロドロと溶けてしまうのではないか。確認しなければ駄目だと、本能よりも先に理性がブレーキをかけた。


『ああ。触れても平気だ。泳ぐのもいいと言っただろう。この湖は癒しの効果がある』

「良かった。うわ、冷たい。いい感じにひんやりだ。癒しの効果まであるなんて、もしかしてポーションみたいな?」

『そうだな。器に入れておけば、かすり傷ぐらいなら癒せる』

「凄いな!」


 大丈夫だと言われたので、すぐに水面に手を入れる。ひんやりとした温度、感触は水と変わりない。両手でそっとすくい上げれば、そこには透明な液体がたまる。色が変わる様子は無い。そこは水と変わらなかった。


「飲むのは平気?」


 すくいあげたまま、また有声は尋ねる。まるで雛鳥のように、自身に最大の信頼を寄せている姿が、ルビの庇護欲を誘った。守りたい、そう本能が訴える。

 ルビは抗うことなく、目を細めて優しく答えた。


『ああ、平気だ。試しに飲んでみればいい』

「そうする」


 何も疑わず、有声は液体に口をつける。もしルビが嘘をついていたら、毒や麻痺の効果があればただでは済まない。しかしためらう様子もなく口をつけたので、完全に信頼している証拠だった。


「ん、甘い。なんか……どこかで飲んだことがあるような味」


 濡れた口元を舐め、有声は記憶の中から似た味を探す。果物のような、人工的な甘さのような、絶対に味わったことはあるのに、すぐには思い出せなかった。


「んー。なんだったかな」


 腕を組み首を傾げて考えるが、引っかかるものもない。すぐには思い出せそうにないと諦めて、もう一度飲んでみる。


「甘いけど、くどくなくてさっぱりしているから、ずっと飲んでいられる」

『気に入ったようでなにより』

「うん。これは、容器に入れて持ち帰りたい美味しさ」

『望めばいつでも連れてくる』

「本当に?」

『ああ』


 ルビの言葉に頬を緩めた有声は、また水面に手を入れて左右に動かす。波を作って遊び始めたのを見守っていたが、どこからか気配を感じる。


『誰だ!?』

「え?」


 気づいていない有声を包み込むように守りながら、ルビは気配に向かって吠えた。

 草むらの中、カサカサと動くもの。それは勢いよく、有声達の元へと飛び出した。

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