第16話 別の目的地


「え。これだけじゃ駄目なの?」


『エルフの涙』を手に、有声は目を見開いた。ルビは、そんな彼に寄り添い頭を擦り付ける。


『ああ、他にも必要なものがある』「そんな話、聞いていないけど」

『言ってなかったか?』


 とぼけるルビに、有声は一瞬追求しようかと考えたが、無駄な時間になりそうなので止めた。その代わり、大きなため息を吐く。


「だから大変だって言ったのか。一度始めたら、止められないって」

『そういうことだ』


 ほんの少しだけ騙しうちされた気分になる。しかし正直に教えてもらっていても、同じ選択をしただろうと文句を飲み込んだ。


「で? 次はどこへ行くつもりなんだ?」

『いや、まだ行かない』

「え? 何で?」

『お主のメンタルケアが優先だ。ちょうどいい場所を知っている』

「俺は別に大丈夫」

『ではない』


 バッサリと言いきられて、有声は言葉に詰まった。まだ本調子では無いのは確かなので、嘘をつけなかった。


「でも、悠長にしている時間はあるのか?使用期限とか、そういうのは」

『使用期限などない。だから休憩する時間は、たっぷりとある。それとも、我のことが信じられないか?』

「その聞き方はずるい。ルビを信じられなかったら、他に誰を信じられるって言うんだ」

『ぐ、ぬ』


 ルビは有声の言葉に、変な声を出してうつむく。緩んだ顔を見せたくなかった。小さなプライドである。そんな考えは露知らず、有声は突然の動作を心配する。顔を覗き込みそうな気配がして、さらに隠そうとしたが余計に心配させる。


『っとにかく! お主に今必要なのは休息だ! 何を言おうと、休ませるからな!』


 これ以上は隠せないと、ぐわっと吠えながら顔を上げた。同時に休暇が決定された。気遣ってのことだと分かったので、有声は提案を受け入れる。


「それじゃあ、甘えさせてもらおうかな。ルビのおすすめの場所に連れて行ってくれ」

『う、うむ。そんなに言うのなら、これからすぐにでも行こう』

「ちょっと待った」

『む?』


 勢いよく飛ぼうとしたところで、待ったをかけられ急ブレーキを余儀なくされた。何故止めるのか、そんな目でルビは有声を見た。


「一応、どこに行くか教えてくれないか? 疑っているわけではないけど、念のため聞きたくて。いや、これまでの経緯を考えると、聞いておくべきかなって思ったんだ。特に深い意味はないよ。本当に」

『そこまで言われると、信用されていないみたいに聞こえてくるから不思議だな』

「き、気のせいじゃないか?」


 ジト目を向けられた有声は、こめかみに汗を伝わせながらごまかした。ルビは意地悪をしたい気持ちもあったが、嫌われたくないので鼻を鳴らすだけにとどめる。


『我しか知らない美しい湖がある。そこで泳いでもいいし、釣りをしてもいい。……ただ見ているだけでも、心が落ち着く』

「それは、ルビの体験か?」

『……ああ』


 どこか言いづらそうにしている姿に、有声はルビがこれまでどのような生活をしていたのか、少しだけ分かったような気がした。


「一緒に行けるの楽しみだな」

『……ああ、楽しみだ』

「ピクニックしない? 食べ物とか持っていこう。湖を眺めながら、食べるのもいいと思う」

『それなら、途中で食料を調達するか。ユーセイに、食べさせたいものがたくさんある』

「ルビのおすすめなら楽しみだな。止めてごめん。連れてってくれ」


 有声が手を伸ばせば、ルビが頭を下げた。自身をのせるための慣れた動作に、有声は胸がぎゅっと苦しくなる。これが嬉しい気持ちだと実感して、ムズムズと口元を歪めながら背中に乗った。まさかドラゴンに乗るのが当たり前になるなど、数日前だったら思いもしなかった。そもそも、いい年齢になってファンタジーの世界に来ることから、ありえない話だった。

 しかし、こうして空を飛んでいる現実がある。体に感じる風や、景色を楽しめる余裕が出来て、有声は完全に空の旅の虜になっていた。まるで鳥になった気分で、背中から手を離し両手を広げたりもする。怖くなって、すぐに止めるのはご愛嬌だ。

 子供のようにはしゃいでいるのを、ルビは背中で感じていた。誰かを背中に乗せ、自分だけの場所に連れていくことは、決して起こらないと思っていた。同種族と出会ったことは一度だけでは無いが、共に行動する気にはなれなかった。番になろうとアピールされても、食指は動かなかった。欲を感じず、むしろそういうやり取りが煩わしいとさえ考えていた。

 一生孤独に生きていく。別にそれが、寂しくはなかった。誰かに合わせて我慢するぐらいなら、自由に生きる方がマシだった。

 しかし、もうその考えは捨てた。楽しませたくて、綺麗な景色の場所を通るように遠回りする。昔の自分だったら、時間の無駄遣いだと絶対にしなかった。それは全て、ただ1人のために行われている。そうしている自分が、昔よりずっと幸せだと実感していた。


『……全部、お主のものだ』

「ん? どうした? ごめん、よく聞こえなかった」

『この辺りに、いい果実がなっているから一度降りると言った』

「ん、分かった」


 ぎゅっとしがみつく有声に、まだこの気持ちを伝えるのは早いとルビは飲み込んだ。

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