第15話 自信


「『エルフの涙』って、凄く綺麗なんだな」


 手に持つガラスの器を空にかざしながら、有声は言った。器の中には液体が入っており、動きに合わせて揺れていた。中身はもちろん『エルフの涙』である。

 あれから、すぐに長から押し付けられるように渡されて、目的が達成されたのだから早く帰ってくれという雰囲気になった。長居する理由もなく、引きつった顔に見送られながらルビの背中に乗り飛び立った。

 手に入れられたとはいえ、これで良かったのかと微妙な気持ちになっている。罪悪感に襲われないように、現実逃避として綺麗さを感じていた。


『ふん。その美しさを、例える言葉もあるみたいだからな』

「それなら、やっぱり貴重なものってことだよな。……結局、脅してもらったようなものだし……」


 ガラス瓶のせいではない、透き通った水色の液体が、どれほどの価値があるのか有声は知らなかった。それは、彼を憂鬱な気持ちにさせる。話し合いが上手くいかなかったのは、自分にも責任があると落ち込んでいるのだ。


『何故、落ち込む? 欲しいものは手に入ったのだから、喜べばいいではないか』


 ルビには、有声が落ち込む理由が分からなかった。これまで望むものは武力で勝ち取ってきて、それが当たり前だと思っていた。こんなふうに、両者の間には大きな価値観の違いがあった。


「俺は、ルビから見れば甘いんだろうな。でも今まで争いごととは無縁に生きてきたんだ。だから……俺は臆病ってことだよ」


 有声には、前の世界の常識を押し付けるつもりはなかった。郷に入っては郷に従え。生きていくためにも、自分が合わせる必要があると頭では理解していた。


「自分のせいで傷つけたりするのが怖い。責任を負いたくない。そんな感じで、自己中心的に考えているんだよ。決して誰かのためじゃない」


 エルフ村での一件も、その象徴に近かった。訪問が争いの火種になれば、その原因となった有声に世間の非難が集まる。

 エルフ達に文句を言わせないように、口止めさせるしかない。どこかで話し合いだけでは無駄だと考えていたのに、建前で交渉すると口にした。


「……俺のこと、軽蔑してもいいよ」


 有声は言いたいことだけ言うと、脱力するように体を背中に預けた。不甲斐なさを目の当たりにして、ネガティブな思考に蝕まれていた。


『軽蔑するわけがない』


 ルビは飛ぶ速度を緩めた。そして安全な場所を探し、見つけると着地するために降下した。

 選んだ場所には、白くて可愛らしい花が咲いていた。何者かの手が加えられたような整った美しさではなく、自然に辺り一面まで広がったものである。

 その花畑へ、痛くない程度に振りおろされ、有声は背中から着地する。


「うわっ、ぷ」


 衝撃で、何枚かの花びらが舞う。とても綺麗な光景だが、有声に楽しんでいる余裕は無い。しかしルビは、彼がネガティブなことを考える前に、その大きな手で押し倒す。もちろん力の加減はしている。そうでないと、有声は簡単に潰される。

 腰を覆うように手を乗せられていて、彼は身動きが出来なくなった。殺される恐怖はなくても、怒られるのではないかと身構えた。

 ルビは有声を押さえつけたまま、静かに話し出す。


『ずっと思っていたが、どうして自分の価値がそこまで低いのだ』


 ルビには、有声の思考が不思議だった。確かに強いわけではない。容姿もルビには好ましいが、世間一般に称賛されるレベルでは無い。しかし同じレベルの人間でも、有声よりは自信に満ち溢れてた。実力より自信の方が大きい人間もいた。

 そういうタイプはルビを倒すと息巻いて、無謀にも戦いを挑み、簡単に散っていった。自分のことを冷静に分析できないから、命を無駄にする。人間は愚かだと呆れていたのだが、有声は正反対だった。どうしてそこまで卑下するのかと、不思議で仕方なかった。


「……何で、って……だって、俺は普通の、何も無い人間だから……一緒にいて、ルビだって分かっただろ」


 唯一自由にできる腕で、有声は自分の顔を覆った。どれだけ酷い顔をしているのか自覚しているので、それをルビに見せたくなかった。

 ぐすぐすと鼻を鳴らす有声に、ルビはしばらく観察すると、大きな口を開けて舌を出す。そしてべろりと勢いよく舐めた。


「!? な、何するんだ。や、止めろって!」


 腕をどける強さのせいで、有声は顔を隠していられなくなった。止めるように叫んでも、ルビは止まらない。むしろ、しつこく舐め続ける。

 まるで毛繕いをするかの勢いに、有声は段々と叫ぶよりも、くすぐったさで笑いへと変わった。酸欠になるほど笑わされると、ようやく舐めるのを止めた。


「はっ……はぁ、なに……」


 先ほどとは違う生理的な涙をにじませて、息を切らしながら有声はルビを睨んだ。しかし、潤んでいるせいで恐ろしさはない。

 ルビは無意識のうちに、ゴクリと喉を鳴らした。有声は、それに気づかず息を整えようとする。

 ルビは膨れ上がる気持ちを抑えて、そっと有声の頬を舐めた。


『お主は、そうやって何も考えず笑っていろ』

「何だそれ。俺が馬鹿って言いたいのか」

『そうではない』


 ルビにとっては気持ちのこもった言葉だったのだが、有声には全く伝わらなかった。まだ先は長そうだと、ルビは大きく息を吐いた。

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