第8話 契約とは


「契約? どんな内容なんだ?」


 有声は、ゆっくりと起き上がった。そして、ルビの鼻先を小突いた。もう、遠慮などするつもりはない。怒っても、別に構わないといった気分だった。しかし相手にとっては、ただのじゃれあいにすぎなかった。


『そう怒るな。お主にとっても、悪い話では無い』

「悪いかどうかは俺が決める。人の了承を得ずに勝手に決めるなんて、最低な行為だからな」

『ぐう』


 すっかり落ち込んでしまったルビは、契約について話そうとしなかった。しかしそれでは困ると、有声は小突くのを止めて軽く撫でた。


「もう、交わしたのなら仕方ない。許すかは、内容を聞いてから決める。話してくれないなら、絶対に許さないからな」

『……この契約は』


 観念したルビは、顔を隠すように有声に擦り寄りながら告白する。


『簡潔に言えば、我とお主を繋ぐものだ。……生涯をかけて』

「生涯? それって、かなり重い契約なんじゃないのか?」

『そうでもない。ちょっと寿命が延びるぐらいだ』

「ちょっとって、どれぐらい」

『せいぜい500年ほど』

「それはちょっとじゃない! どうして、そんな契約なんか結んだんだ。俺は了承していないのに、どうやって……」


 そこで、ふと有声は考える。契約による光と苦しみが始まる前、自分は何をしたのか。とても重要なことを任されていた。


「まさか……名前をつけるのが、契約の条件なのか」

『そうだ』

「相談もなしに、なんてことをさせたんだ!」


 有声は、とにかく怒りを抑えられなかった。勝手に重大なことをさせられた事実を、簡単に受け入れられるはずがない。


『そうは言ってもな。前もって伝えたら、契約を結んだか?』

「それは……」

『絶対に拒否しただろう。結ぶには、これしか方法がなかったのだ。黙っていたことは、すまないとは思っている。だが、契約を結ぶのは決定事項だった』


 罪悪感は抱いていても、行動を後悔はしていない。むしろ堂々と決定事項だと言い放つ姿に、有声が折れるしか無かった。いくら文句を言ったところで、すでに事は終わっている。どうしようもないなら、早めに受け入れてしまえという気持ちもあった。


「それで? 契約を結んで、これからどうするの?」

『そうだな……まずは食事だ』

「は?」


 ルビの思考回路についていけず、有声は間抜けな声を出す。もっと、重要なことをするのかと身構えていた。肩透かしを食らった気分である。


『そろそろ腹が減ったのではないか?』

「言われてみれば減っているけど……ここで何を食べるって言うんだよ」


 視界の範囲内に、食べ物と言える存在は無い。もしかして草が食べられるのかと、小さくちぎって口に入れようとしたら、変な目を向けられた。


『それは草だ。腹が減っていたとしても、いくらなんでも食い意地が張りすぎだ』

「ちがっ、濡れ衣だっ」


 否定しても、ルビの中では有声は食いしん坊キャラになってしまった。いくら言っても印象を変えそうにないので、諦めて食事の話に戻す。


『いいところがある』

「ちょっと待て。また飛ぶのはごめんだって--」


 首元を再び咥えられ、止めろと言う前にルビは飛び立った。再び始まった空の旅に、有声は声にならぬ悲鳴をあげることしか出来なかった。



「し、ぬかとおもった」

『すまん』

「反省しているなら、もう二度としないでくれ」

『……』


 承諾しないルビは、先ほどのようにぐったりと地面に横たわっている有声を置いて、どこかへ行く。ズシンズシンと、地響きのような振動を全身で感じながら、これは捨てられたのだろうかと有声は考えた。さすがに軟弱だと呆れたのかもしれない。

 人の話を聞かずに、飛ぶのが悪い。そうルビを悪者に仕立てたが、1人になると不安な気持ちが現れる。

 生涯をかけた契約を結んだが、それがどんな効力を発揮するか彼は知らない。物理的に距離が離れても問題無いとすれば、ルビは帰ってこないだろう。

 降り立った場所は高所ではなくなったが、人気の無い草原だった。モンスターは今のところ姿を見せないとしても、完全に安全とは言いきれなかった。様子をうかがわれている可能性があると考えれば、命の危険まで出てきた。

 今すぐルビを追いかけるべきだ。頭ではそう思っても、体は全く動かない。それに移動速度を考えれば、今さら動いたところで追いつけるわけがないと冷静に判断してしまった。


「……置いていくなよ」


 いい歳にも関わらず、じわりと有声の目に涙がにじむ。この世界に来てから、見ないようにしていた不安が一気に襲いかかってきた。

 --このまま放置されたらどうしよう。1人で生きていくと、最初は決めていたはずなのに、今はその選択肢が嫌だった。

 自分が思っていた以上に、ルビの存在が大きくなっている。離れ難いと、そう思ってしまうぐらいには。自覚してしまえば、後は認めるしかなかった。


「……戻ってきて、ルビ」


 鼻声で、微かな音量。近くにいなければ、絶対に聞こえないはずだった。


『どうした?』


 しかし、ルビは一瞬のうちに有声の元へと戻ってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る