第6話 連れていかれた先で


「……死ぬかと、思った……」

『随分と軟弱だな』

「運ばれる獲物の気分を味わうなんて、人生で経験するはず無かったんだ。スカイダイビングをやる人の気が知れなかったのに、それ以上のことをするなんて……気絶しなかっただけ凄いって褒めてほしい」

『何を言っているか分からん』


 地面に下ろされてぐったりとしている有声を、ドラゴンは鼻でつついた。加減はされていても、元々の体格差があるので痛みがあった。しかしそれを指摘する元気すら、今の彼には残されていなかった。

 空中旅行を楽しめれば良かったが、あいにく軽度の高所恐怖症だった。しかも心の準備をする時間もなかった。あったところで、恐怖は無くならなかっただろうが。それでも心構えが違ったと、有声は恨めしげにドラゴンを見た。今は敬語を使うことも出来ない状態だ。

 しかし不遜だと怒ることなく、むしろドラゴンは楽しげに彼に構っていた。いじめっ子気質なのだ。そして彼の反応は、ドラゴンにとって新鮮だった。


「……ここはどこ?」

『我の拠点の一つだ。人が来るには険しい場所だから、煩わしいことは起こらない』

「へー。それなら、ここにずっといれば良かったのに。あそこに現れたから、警戒されたんだろう?」

『……たまには場所を変えたい時もある』


 それ以外の理由がありそうだと有声は気づいたが、あえて深くは聞かなかった。話したければ自分から話す。無理に聞き出すほど、両者の関係は深くはない。


「そうだ。まだ自己紹介もしてなかった。……俺の名前は有声、よろしくな」


 名字を名乗らなかったのは、この世界では平民には名字がないのをダンから教えられたからだ。別に隠すことではないが、ドラゴンとは短い付き合いになると考えていた。詮索されるのも面倒なので、あえて言わなかった。


『ユーセイ、か。妙なお主らしい、妙な名前だ。我の名は……特には無い』

「え。勝手に自己紹介を始めたのはこっちだけど、教えてくれないの?」

『無いから教えられない。ただそれだけだ』

「……名前が無いって」


 そんなことがありえるのかと疑問に思ったが、この世界を知り尽くしているわけではない。自分の知らない常識があるのだと、有声はモヤモヤとしながらも納得する。


『……特に不便はなかったからな。名を呼ぶものもいない』

「家族はいないのか?」

『産まれた時から、ドラゴンは群れ合わない。例え親だとしても。例外は番だけだ』

「そんな……」


 それはとても悲しいことではないか。そう口にしようとして、結局言えなかった。同情はされたくないだろうと思ったからだ。


『そうだ。お主が名前をつけろ』

「は?」


 何を馬鹿なことを言い出したのだとドラゴンを見たが、からかっている様子はなかった。しかし本気だとしても、到底快諾できるような頼みではない。


「いや、何言ってるの。さすがに無理だって。名前なんてつけられるわけないよ。よく考えてくれ。俺みたいな一般人につけられるのは嫌だろ?」


 この世界で一生を過ごすことになったとはいえ、名付け親なんて重圧のかかる役目を背負うつもりはない。ましてやドラゴンなんて、考えるだけで恐ろしい。遠慮ではなく全力で拒否していたのだが、ドラゴンは目を細める。


『ユーセイとやら、お主はこの世界の人間ではないな?』

「っ」

『やはりな、匂いが違う。それに、今身にまとっている服の形を見たことがない。別の世界から来たのだろう?』

「それは……」


 服の件は、有声も気になっていた。しかし召喚された国では、買う暇もなく追い出されてしまったので、次の国で買う予定だった。召喚されて一日も経っていないので、匂いが馴染んでいなくても当たり前である。


『別世界から人を喚ぶ国があるのは聞いていたが、まさかこうして出会うとはな。長く生きていたつもりだが、まだまだ知らぬことは多い』


 誤魔化すことも出来ず、有声は認めるしかなかった。嘘をついたところで、すぐに見破られる。機嫌を損ねる危険は冒せない。

 小さく頷くと、ドラゴンはさらに目を細めた。そして鼻先で、また有声の体をつつき始める。


『名前をつけないと言うのなら、ここから帰すわけにはいかないな。1人で帰れるのか? ん?』

「そ、れは卑怯だろ。ここがどこか分かっていて、言っているのか?」

『我はどちらでも良い』

「……誘拐の次は脅迫か」


 ジト目を向けられても、ドラゴンは涼しい顔をしていた。

 有声は、現在自分がいる場所を確認する。横になっているところには、かろうじて草が生えていた。しかしそれ以外は、むき出しの岩である。ゴツゴツとしていて、鋭い部分もあるので転んだら大惨事になりそうだ。

 そしてなんといっても、位置がありえなかった。標高何メートルか、考えるだけでも恐ろしい高さだ。体をつつかれているのも、実は生きた心地がしていなかった。

 人が登れるとは到底思えない険しさに、ドラゴンの要求を呑まなければ死ぬと、有声は諦めた。それでも抵抗するように大きく息を吐き、しばらく時間が欲しいと伝えた。


『いい名を期待しているぞ』

「ハードルをあげるな」


 妙に嬉しそうにしているドラゴンを横目に、有声は名前を考え始めた。

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