読書
ペラッ…ペラッ、と紙を捲る音が静かな部屋に木霊する。
読書とは人類史において最もメジャーな教育法の一つだ。
先達の方々の過去に生きた証が綴られたそれらを読めば、人は長い長い人類の軌跡を辿ることができる。
紙を束にして一つにすることを思いついた人はまさしく天才であろう。
珍しく1日だけ有休を取ることに成功した俺は現在絶賛読書中である。
態々有休取ってすることがそれなのか、と思う方もいるかもしれないが、家でゆっくりできること自体少ないのでこうやって優雅に本を読むだけでも休日を謳歌していることを実感できるのだ。
「フェルスー」
前世では読書の季節と言えば秋、なんて風潮もあったが俺は年がら年中読んでいたように思う。
特に好きだったのはミステリーやホラーといったジャンルで、気に入った小説があればその著者の作品を調べてよく購入していた記憶がある。
あー、またあの人の作品が読みたくなって来た。
「おーい」
ある時期になって少しジャンルを変えてみようと思い至った結果ラノベといったものにも手を伸ばしていたが、ターゲットとしている年齢層が違うからかあれもまた小説とは違った面白さがあった。
何というか、青臭さを感じるドキドキや少年漫画的なワクワク感が良かった。
惜しいことにここにはそんなラノベなんて物は存在しないが、小説は一般に売られている。
「聞いてるのかー、フェルスー」
魔術や魔物なんてものが当たり前に存在しているからか、前世のものと似ているようでどこか違うんだよね。
特に多いのは恋愛もので、貴族や王族の華やかな恋模様を描いたものもあれば、平民達の質素でありふれた恋愛を綴った物もある。
意外だったのは平民が貴族の恋愛に憧れて貴族同士の小説を買うだけでなく、貴族が平民の恋愛に憧れて買うなんてこともあるということだ。
きったない大人同士のドロドロした思惑が入り混じる政界に嫌気が差しているのかもしれない。
「聞こえているのだろうー?」
しかし悲しかったのはミステリーやホラーといった俺の好みのジャンルがあまり見当たらなかったことだ。超常現象が日常化してしまっているこの世界ではそんな『不可解さ』というものも楽しめないのかもしれない。
まあ、それでも面白いものはたくさんある。
例えばこの世界特有の———
「無視す———」
「うるさいですね殴りますよ。」
何で休日にまでコイツの相手しないといけないんだ。
有休だって言ってるだろう。
俺の世界に雑音をねじ込んでくる国際犯罪者兼ギルド支部研究員を睨みつける。
…いや、分かっているんだがな。
依頼派遣兵ギルドヴィキタス支部研究員、セラ。
彼女は先日、支部長との正式な契約の下晴れて我等がギルドの一職員となった。
そんな彼女が今俺の家に居るのは彼女がギルドに所属している間の拠点が存在しないため、取り敢えずは此処を使うということになってしまったからである。
早い話、居候だ。
元々彼女を引き込むと提案したのは俺だし、マルケスさんはギルド支部の部屋を一部使っても良いと言ってくれたが、コイツが俺の家が良いと駄々を捏ねるので責任を持って俺が引き取ったのだ。
ただ一人の時間が好きとは言え仕事として割り切りるつもりであった。
だがそんな選択をしたことも早々に後悔し始めている。
「暇なのだ。構え。」
「暇とは素晴らしいことですよ。噛み締めなさい。」
「嫌なのだっ、そんなことを言うのはフェルスくらいなのだっ!」
「貴女もギルド職員として働き始めれば直ぐに分かることです。」
そうして労働が何たるかを知るがいい。
と、まぁ見ての通り彼女は非常に煩い。
まるでじっとしていられない小学生を見ているような気分だ。
初めて話した頃からわかっていたことだが、彼女は肉体年齢と精神年齢が一致していない。
それは後から彼女にも確認している。
何でも、「実験を繰り返していたらこうなった」とのことだ。
肉体年齢が変化しているだけらしいので、彼女の容姿の良さ自体は生来のものなのだろう。
要は彼女の精神年齢は十分に高いはずなのだ。
にも拘らず見た目相応の行動や言動ばかりなのは何故なのか。
大人なら自制してくれ。
俺はパタンと本を閉じる。
しおりを挟むことも忘れない。
そうしてセラ嬢の方へと体を向ける。
「あのねぇセラさん。俺は今日態々有休を取ってまで休んでるんです。決して子守りをするために有休を取ったのではありません。」
「誰が子供だっ!私は立派な大人なのだ!天才なのだ!」
「立派な大人は人の趣味を邪魔するなんて言う無粋な真似はしません。天才なら尚更です。」
まあ天才であることは否定しない。
彼女の功績は間違いなく世界に大きな進歩をもたらす。
だからと言って無闇矢鱈に言いふらすつもりもないが。
しかしそれとこれとは話が別だ。
如何に天才といえど俺の休息を邪魔する者は仕事以外は許さん。
「というか、そんなに暇だと言うなら貴女も本でも読めば良いんじゃないですか?」
相手をするのも面倒になってきた俺はそんな提案をする。
すると彼女は少し難しい顔をして「うぅん…」と唸る。
「…本かぁ…私は論文と研究資料以外読んだ記憶がないのだ。」
「小さい頃に図鑑とか読まなかったんですか?」
「あれは読書と言っていいのか?」
「子供が真剣に活字を目で追えばそれはもう読書と言えるのでは?」
「文字を読む事が大事、と言うことか。」
「内容を理解できれば上等でしょう。」
人類が飛躍的に進化し今日まで生き残ることができた要因の一つとして言語の存在が挙げられる。
人は言葉が無ければ会話ができず、考えることすらできない。
逆に言語があればより鮮明な思考が可能であり、それとともに脳の発達を促す。
そう言った意味では言語に触れるという行為自体が子供の思考をより柔軟かつ複雑なものへと昇華させることに繋がるのではないだろうか。
「うぅむ…読書か…。」
顎に手をやり真剣に本を読むか検討し始めるセラ嬢。
いや別にそんな悩まなくても気軽に読めば良いんじゃないの?
何も難しいことじゃないだろ。
そう思うが、彼女が思考に耽ることで静かになったのは俺としては良いことではある。
出来ればそのまま静かにしていてく———
「そうだっ!!」
俺が希望を見出すもの束の間。
何を思いついたのか「閃いた」と言わんばかりに突然大声を上げる。
「今度は何ですか?」
俺は眉間に皺を寄せつつ視線だけを彼女の方へと送る。
すると彼女はピシッととある一点を指差す。
「…俺の机がどうかしましたか?」
そこにあるのは俺が仕事によく使う机であった。
困惑したように彼女の顔を見るも察しろとばかりにキラキラとした目で訴えてくる。
さっきまで読書の話をしていたバズなのだが…それに俺の仕事机になどそれこそ仕事の資料くらいしか…
「…ああ。」
そこで俺は彼女の言わんとしていることを察する。
「『魔物の資料』ですか?」
「うむっ!」
そう満足気に頷く彼女。
成程、確かに彼女が興味を示すのも頷ける物だ。
読
いやしかし…
「今更読む必要ありますか?」
彼女は専門は前世で言う遺伝学や遺伝子工学。
生物学にも深く関わる分野である。
むしろ彼女の方が博識なのではないだろうか。
俺が不思議そうにしていると彼女は机へと向かいながら答える。
「確かに私は研究において多くの資料を読み漁っているし、魔物についてもかなりの知識を持っている自負はあるのだ。でもそれはあくまで『一般に普及している資料』であって、ギルド独自に調査している資料は出回っていないのだ。」
確かにその通りだ。
前にも言ったがギルドはいくつかの組織から情報、資料を取り入れている。
だがそれだけでなくギルドが独自に調査を行いその結果をまとめた資料なども保管されている。
そしてそう言ったものは確実性の高い情報となり得ない限りは公開されることはない。
魔物の生態だけでなくその危険性に重きを置いているギルドの発表する情報に誤りがあっては、最悪の場合死傷事故にも繋がってしまうからだ。
「…絶対に外に持ち出さないと言うのであれば構いませんよ。」
「当たり前なのだっ!」
「ああ、あとついでにそこにある資料まとめておいてくれませんか?まだ途中なんです。」
「それはお前の仕事だろ!?」
「家賃」
「…」
◇
文句を言いたいけど言えない、そんな何ともいえない顔をして閲覧ついでに資料をまとめ始めるセラ嬢。
良かった、あそこで文句なんて言われたらギルド支部まで投げ飛ばしてた。
「…ほう、近隣の森にホブゴブリンが居たのか。」
彼女が見ているのは先日の調査でまとめた資料の一部だ。
ロブと名乗るあのホブゴブリンである。
「人間との文化的な強い繋がりがあった、ねぇ。」
もしかしたら人間よりも余程理性的なのではないかと感じられたあの落ち着いた様子にはひどく驚いたことを覚えている。
あの村長よりも余程まとめ役に向いてるんじゃないだろうか。
次からは是非とも彼に報告書や要請書を書いていただきたい。
「やはり私でも知らないような魔物やら生態やらがあるものなのだな…ん?」
スラスラと流すように、しかし確実に目を通していく彼女は同じようにとある一枚の資料を手に取る。
するとその動きをぴたりと止め、じっくりと目を通り始めた。
「どうしました?」
本に目を通しつつその様子を眺めていた俺は不思議に思い声を掛けた。
彼女はこちらをチラリと見ると、その資料を見せるようにして言う。
「いやなに、此処へ来る前に少しばかり興味のあった魔物について書かれていただけなのだ。」
その資料に記されている魔物の名は【大星猩】。
ギルドの持つ資料の中には『指定特異個体』と呼ばれる、それぞれの魔物における特異個体の中でもギルド側が要警戒、あるいは何らかの理由から注目している個体のまとめられたリストが存在する。
彼女の持つそれに書かれた【
王国から見て東部に位置する『
「何故それに興味を?」
そう聞くと、彼女は何処か得意気に語り始めた。
「聖猩は魔物には珍しく武術を扱うという性質を持つ。実の所その理由ははっきりとしておらず、本能だという者も居ればその環境で生き残るために自然と学ぶという者もいるのだ。」
「そして私はどちらかと言えばその後者を支持しているのだが、自然に学ぶ訳ではないというのが私の考えなのだ。そこで目をつけたのが【
資料をヒラヒラとさせ強調する。
「【大聖猩】が教えていると?」
「そう。普通に考えて魔物が自然環境の中で勝手に武術を編み出すのは無理があるのだ。知能的な問題でな。」
「確かに聖猩は賢い魔物であるし、突然変異などで脳が異常発達していた個体などもいたが、武を知り、その有用性を知り、己が物とし、独自に磨くなどあり得ないのだ。」
「だからこそそれらを率いる特異点である【大聖猩】が鍵なのだと思ったのだ。超変異の研究をしていたのだから尚更な。」
「…成程。」
そもそもほとんどの得意個体はその特性がはっきりとしていてもそれを持ち合わせる原因は明らかになっていないことが多い。
もしかすると彼女の言う超変異が関係している可能性もある。
俺は語り終えた彼女にふと浮かんだ疑問を投げ掛ける。
「…そう言えば、結局のところ超変異とはどのようにして起こるのですか?」
「…前も言ったように決定的な条件はわからないのだ。」
だが、と続ける。
「間違いないのは『莫大かつ高密度の魔力』なのだ。ただ、数年間程度の実験で判明したことだからこれは短期間の場合なのだがな。長期間であれば一定以上の密度・濃度を持つ魔力が時間と共に体内に蓄積することで起こる可能性はあるのだ。…まあ、その場合、百年や千年単位のものになると言うのが今の所の予想だから現実的ではないのだ。」
「…つまり条件に見合った魔力に浸っていれば良いと?」
「決定的な条件ではないと言ったのだ。生来の素質、肉体強度、その者の持つ魔力、何なら確率さえ絡むかもしれないのだ。」
そりゃあそんな単純なことな訳もないか。
もしそうならそこら中怪物だらけである。
「特異個体と超変異の関係性は?」
「可能性は全然あると思うぞ。ただ超変異は今の所後天的な例しか確認できていないのだ。生来の特異性を持つ特異個体は遺伝子的異常が見られる個体も多いのだ。全部が全部と言う訳ではない。」
一頻り説明し終えた彼女は最後の一枚を他の資料と共に置く。
どうやら整理も同時に終わったらしい。
「まあ、まだ始まったばかりなのだからゆっくりしていけばいいのだ。」
「それは貴女ではなく運営が決めることです。性急に情報が必要になることだってありますよ。」
「なにぃ?全く…お粗末な仕事で得られる結果など知れているのだ。」
それには同意である。
正確性とスピードを同時かつ高クオリティで維持するなんてそうそうできることではない。研究ともなればなおさらである。
現場のことなど上は分かっていないのだ。
俺は仕事場でもないのに仕事のことかんがえてしまっているという事実に憂鬱になり、再び本に目を遣る。
「あっ…」
そこには閉じられた本が一つ。
そして何処にもしおりは見当たらない。
「ん?どうしたのだ?」
「……何でもありません……はぁ…。」
ままならないものだとため息を吐く。
外を見れば、既に空は紅く染まっていた。
そうして俺の貴重な休日が消費されて行くのだった。
————————————————————
○種族名:
分類:魔種剛獣類亜人属
分布:
危険度:クラス4
詳細:
原種である猿をルーツとする魔物。長い手足を持ち全身は白い体毛に覆われている。細い体に対してその膂力は目を見張るものがあり、彼等が掴んだ木の幹などには彼らのものと思われる手形が幾つも残っている。
●生態
魔物には珍しいことに武術を扱うという性質を持つ。その武術自体も多岐に渡り、基本は徒手空拳であるものの、中には剣や弓を扱う者もいる上かなりの練度を誇る。学者によれば本来ならば独自に武術を学び習得するなどという知能はないはずとのことだが、その環境の過酷さからもあまり調査は進んでいない。食性に関しても同様に詳しくは分かっていない。
○【
種族名:聖猩
分類:魔種剛獣類亜人属
分布:風輪禍山
危険度:クラス6
詳細:
聖猩の特異個体。通常個体との相違点がいくつか見られ、大柄な肉体に驚異的な膂力を誇り、また知能も極めて高い。
生態:
出会った者の話では、通常個体とは違い悪戯に戦闘を仕掛けたりもしないと言う。しかしその技の練度は比べるべくもなく、徒手空拳はもちろん武具全般を自在に操る。
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