探検
足を踏み締める度、草の摩擦音と枝の折れる音がする。辺りは獣の領域とは思えない程に静かだ。
「森を歩くのは久々だな。」
翌日、俺は手続きを済ませて北の森へとやって来ていた。
俺の所属するギルドのある町———ヴィキタスから見て真北に存在する名前も無いこの森は、遣兵達が新人の頃よく通うことになるエリアの一つだ。
生息している魔物達は比較的危険性も低く、詳しい生態まで判明しているものばかりであるため対策もしやすく、知識さえあれば安定して 仕事を熟すことが出来る。
ギルドに所属する遣兵達がよりスムーズに成長するためにとてもお世話になっている場所なのである。
そんな森に行ってきた遣兵から通達されたのが昨日の報告書だ。
新種とは、未知とは即ち大いなる危険を孕んでいる可能性を持つ存在だ。
一般人でさえ恐れるに足らないスライムと侮ることなかれ。どんな存在であれ、種であれ、生物は度重なる進化の末今の姿を手にしている。そしてその進化とは信じられないような奇跡の元起きるものなのだ。その奇跡によって、一体どのような力を手に入れるのか、そんなことは誰にもわからない。
それがたとえ只のスライムであろうとも。
加えて、それが新人御用達のエリアに出現したというのも問題だ。ベテランならともかくルーキーではどのような被害、問題が発生したものかわかったものじゃない。
場合に当人達への被害だけでなく、町や生態系に影響を及ぼす可能性さえあるのだ。
危険性が無くとも珍しいからって持ち帰ったり、売り払ったり、他国へ連れて行ったり、放流したりしたしする阿呆だっている。
そんなことをすれば何が起きるのか目に見えていると言うのに。
『じゃあ素人のお前が調査に行くのはどうなん?』と思う方もいることだろう。
おっしゃる通り俺は生物学に於いては全くの素人だ。いや、いつも資料を読み漁っているし一般人や遣兵に比べれば既存の知識は蓄えられている方だと思う。
だがそれらを活かし新たな情報を引き出すと言うのはギルド職員である俺の本領ではない。
では何故俺が調査に行く許可が下りるのか。それはギルドの優先順位にある。
今回で言えば第一にお金だ。タイミングの悪いことに、ギルドは現在他の調査に資金を割いてしまったがため、あまり羽振りの良い報酬を用意することが出来ない。さらに雇うことに成功してもサポートや守備を固めることもできない。故に安全かつ質の良い調査はできないと判断した。
そして人員の確保。
言った通り調兵とは貴重だ。故に、できればあまり危険なエリアにあってほしくは無い、というのがギルドの考えである。高クラスの調兵にもなれば十分な戦闘能力を有しているのも事実だが、安い報酬では雇うことは難しい。
しかしまあ、これは
では上記二つを踏まえた上で考えられるのは、低い報酬で高クラスの調兵を雇うことだ。
遣兵だって事前活動では無くとも条件付きでお願いすれば受注してくれる者もいるかもしれない。
だがそれはそれで問題が発生する。本ギルドの印象だ。
依頼達成に対する報酬というのは全て報告書として本部に送らなければならない。
その際、高クラスの遣兵を低い報酬で雇ったとなるとまず第一に脅迫を含む不正なんかを疑われるし、万が一情報が外に漏れた場合、過去にその遣兵を高額で雇った者達の反感を買う可能性もある。
その場合、ギルドだけで無くその遣兵自身も面倒なことに巻き込まれてしまう可能性があるのだ。
以上、経済面、安全面、面子などを踏まえた結果、『じゃあ戦えてそこらの遣兵よりも知識があって何より安上がりなギルド職員使えばええやん』というちょっとおかしな結論が出たのだ。
だが正直な所、事務仕事ばかりだからこうした対人ですら無い外での仕事は気分転換には丁度いい。この前のゴブリン集落の調査とは訳が違うのだ。
休みも少ないから外出する事もあまり無いんだよ。
支部長に言ったメリットというのはこれのことである。
そんなことを思い返しつつ、俺は探索を進める。
「それにしても…」
歩いても歩いても同じような景色が続くのを見ていると、成程確かに方向感覚を失うというのも頷ける。
小規模な森とはいえ、人間からすれば広大な自然であることには変わりない。一つの大都市を飲み込むほどには広いと考えればその雄大さが分かるだろうか。
そんな中を人間が一人で歩き回るというのはなかなか骨が折れる上、目的の探索までしなくてはならない。
しかしまぁ…
「もうちょっとぐらい楽しんでもいいよな。」
仕事だが、折角の気分転換の機会である。もうちょっとだけのんびりさせてもらおう。
「〜♪」
スーツを着た男が鼻歌を歌いつつ森を歩いている。たまに口笛も挟んでみる。
客観的に見るとなんともシュールな光景だ。
場違いな鼻歌や口笛は鬱蒼とした森に木霊する。不思議なくらい静かな森で鳴るそれらはいっそう良く響いている。
先程も言ったが森とは獣の領域。正確には人外の領域だ。そんな場所で人間というという恰好の獲物ががいるにも関わらず襲ってこないというのはいささか不自然なようにも思う。
現に如何に初心者向けの森とは言え、初依頼で入った途端向こうから襲われたなんて話はよく聞く。
森の至る所に存在しているはずの彼等はそれくらい獲物の侵入には敏感なのだ。
だというのに先ほどから足音の一つもしやしない。もしかするとこれが新種のスライムの影響なのだろうか——————
「!」
そんな可能性に思い至ろうとした時。
己の背後から音もなく迫る異形の気配を捉える。
「…入ってから14分…第一魔獣発見。」
振り返り、その姿を視界に収める。
それは近しいものを挙げるなら狼。白い毛並みに研ぎ澄まされた爪を持つ四つ足。涎を垂らす口元から除く鋭い牙。血走るその眼に写るのはヒトではなく
森における代表的な魔物、ウェンフェル。
現れた個体は大体高さが1メートルと言った所。この種にしては少し小さめであることから恐らくは若い個体なのだろう。
過去にはボス的な存在として大規模な群れを率いた高さ2メートル超の個体もいた。勿論それは例外だが、目の前の彼はまだ人間でいうところの成人前後といった位だろう。
俺がそんなことを呑気に考えていると、ウェンフェルは静かに身を屈め、四肢に力を込め始めた。
俺が意識を逸らしていたことに気が付いての行動ならば、中々に将来有望な個体ではないか。
「gruaa!」
「おっ、と。」
意識を引き戻すと同時、不意をつくように飛び掛かってくる。
俺は片足をずらし、半身になることでそれを翻す。
彼は着地と同時、人間如きに躱された事に驚いたのか僅かに硬直する。
「一発避けられた程度で動揺していては、死んでしまいますよ。」
言葉なんて通用するはずもないのにそんな挑発を口にする。
ずっと一人でいると独り言やペットに話しかけてしまうようなことが増えてしまうアレである。
俺のその言葉を理解したのか否か、再起動した彼は再び同じように襲いかかってくる。
「Gaa!!」
背後、正面、左右、時には木々を利用して立体的な動きで爪を振るうも俺に掠ることすらない。
森での狩りが向こうの本職であるとはいえ、所詮は獣。騙し合いや駆け引きすらない単調な動きに惑わされる俺ではない。
「…もういいかな。」
そろそろ飽きた…もとい、元の生態系に属している魔物の存在を確認した俺はそこでウェンフェルとの戯れ合いを中断する。
突然立ち止まった警戒するウェンフェルに構わず拳を握り地面に目を向け———
「これでどっかいってくれよ…」
腰かがめ地面を抉る程度に殴りつける。
——————ッ!
地面が僅かに揺れた。
鳥の群れが羽ばたき、周囲の茂みが大きく音を立てる。どうやら対峙していた個体以外にも存在していたらしい。そりゃそうか、お前ら群れで動くもんな。
案の定目の前のウェンフェルも陥没した地面を目にし、一目散に逃げ出していた。
「ふぅ。」
とりあえずこれで疑問だった生物の存在は確認できた。
生態系に異常が出ているのかどうかは現段階では不明だが、今回は調査する必要はないだろう。報告書にでも書いて次の機会にお願いしよう。
あるとしたら例のスライムの影響だが、その存在すらまだ確認できていないからな。
「よし、仕事するか。」
次はようやく本命である。
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○種族名ウェンフェル
分類:魔種剛獣類ウェンフェル属ウェンフェル
分布:温暖な地域、森林
危険度:クラス2(単体)
詳細:森林でよく見られる魔物の一種。原種である狼がルーツであり、魔力を扱う事でより強靭な肉体を手にしている。生得魔術としては瞬間的に加速する者や姿を消す者など何れも狩りに向いたものが多い。
●生態
基本的に群れで行動する。森の中を転々と移動しながら狩りを繰り返しており、特定の拠点は持たない。肉を好む傾向にあり、木の実などは狩りの成果が出なかった時などに食している。個々の知能はそこまで高くはないが、統率する個体によっては非常に強力な集団となり得る。
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