Tの家での話①黒く汚れた家

Tの家の話①黒く汚れた家



 幼稚園の年長になった年、引っ越す事になった。


 中古の一軒家。

 この家が、タイトルになっている「お化け屋敷」である。

 住んでいた町の頭文字を取り、これ以降「Tの家」と表記することにする。


 Tの家では大学1年生までを過ごした。

 小さなエピソードまで挙げると枚挙にいとまが無いほど奇妙な出来事があった家だが、今回は引っ越した直後の印象的な出来事を書かせてもらうことにする。



 Tの家は二階建だった。間取りは4DKで、一階に居間とキッチンと6畳の洋室、トイレや風呂などの水回り。二階には6畳と8畳の和室が一つずつ。

 広くはないが松や竹や他沢山の木が植えられた庭もあり、団地との違いに心が躍ったのを覚えている。



 引越しの数日前、荷物を運び込む前に改めて清掃しようと、その日何か用事があった兄を除いて家族三人でTの家に行った。



 私が庭に夢中になっていると、先に家に入った母が

「ひっ」

と小さく悲鳴をあげたのが聞こえた。

 すぐに父が

「どうした?」

と声をかけて入っていったのだが、その後何も聞こえてこない。


 玄関を覗くと、上がり框を上がってすぐの廊下で、両親が何やらぼそぼそと話し込んでいる。

 少し不安になって、私も靴を脱いで玄関を上がろうとすると、

「脱いじゃダメ!」

と母に大きな声で止められた。


「ちょっと汚れてるから、お掃除終わるまでお靴でいてね。壁にも触らないで、出来ればお庭で遊んでいて」


 そこで初めて家の床を見ると、何やら黒い土と砂のようなものが、辺り一面に落ちていた。

 壁も何だか黒い。電灯がついていないので家全体が暗いのだと思っていたけれど、何というか、暗いではなくて黒いのだ。鉛筆の粉がついた手を擦り付けたような、煤けてムラのある黒が、べったりと壁全体に付いている。



 結局、掃除を手伝うより遊ぶ方が楽しいに決まっているので、私は母の言葉を幸いと庭の探索を続けることにした。



 両親は掃除を始めたようだった。

 私は門から玄関に続く石畳の横にある、とてもささやかな竹林がお気に入りになって、その間を何度も何度もくぐり抜けて遊んだ。ちょうどそこからは開け放した玄関から居間の掃除をしている両親も見えていた。


 そのまま何分経ったのか。ふと気づくと、両親の姿が見えない。


 というか、家の中が見えない。


 玄関のドアは開いている。

 しかし、玄関の中、たたきまでは見えるが、上り框から向こうが真っ黒だった。


 明暗の差で家の中が黒く見えるのかと思ったけれど、そんなはずはないのだ。暗いながらもさっきまで居間も、両親も、見えていたのだ。暗いんじゃなくて、そこに真っ黒な壁があるように、私には感じた。



 何故か、当時の私は見なかったふりをした。玄関そばの竹林を離れて、別の庭木の方に移動して、遊び続けた。

 正直その時の気持ちは覚えていない。


 ただ、明るい昼の光に照らされた玄関のすぐ向こうが、スパッと切り離された様に陰影の無い真っ黒の壁になってしまった、何とも現実味のない光景だけが記憶に焼きついている。



 結局、掃除は1日では終わらなかった。

 この後引越しの日まで何度か、母が掃除に行っていた様だ。




 Tの家から更にマンションに引っ越した後、母があの時の様子を話してくれたことがある。


「壁も床も煙草のヤニみたいなものでベタベタで、その上から更によく分からない黒い汚れがついていて、拭いても拭いても取れなくて苦労した。トイレもお風呂も台所も真っ黒! どうしたらあんなに汚せるのかわからない!」



 Tの家には私の家族が引っ越す直前まで別の家族が住んでいて、細かい内覧ができなかったそうだ。

 それでも壁や水回りは見たし、その時はそんなに汚れているとは感じなかったと言っていた。


 ちなみにその家族には私と同学年の子どもがいて、彼とは小5の時に同じクラスになって結構仲良くなったのだが、多少キレやすいところはあるものの至って普通の子だったと思う。

 彼が引っ越した家も同じ町内にあったので遊びに行ったこともあるが、そちらも普通に綺麗なお家だった。



 両親が内覧に行ってから彼の家族が引っ越すまでに、一体何があったのか。何であんなに汚れてしまったのか。

 そもそも、新築で建てた家を、10年も経たないうちに何故売ってしまったのか。

 しかも引越し先は同じ町内、徒歩5分ほどしか離れていないのだ。


 彼も私も中学受験して学校が別れてしまったので、小学校卒業以降連絡を取っていない。

 聞いてみれば良かったかなと今は思うけれど、何かの傷をえぐってしまうような事にならないか、当時は何だか怖くて聞けなかった。

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