時空超常奇譚5其ノ壱. 起結空話/幽体離脱の男

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚5其ノ壱. 起結空話/幽体離脱の男

起結空話/幽体離脱の男

 日本国内での銀行強盗の成功率はほぼゼロパーセント。失敗して逮捕された場合に懲役5年以上20年以下の懲役刑は免れず、主犯が執行猶予となる事はまずない。

 そんな賢いとは到底思えない銀行強盗を数ヶ月に渡って計画し準備して来た男は、詰めの部分で悩んでいた。銀行ビルの竣工図と監視カメラ位置、警報装置の位置、警備員と銀行関係者の人数と位置、威嚇の為の銃トカレフ-33、逃走用の車両、周辺の詳細地図、警察関係機関の位置、交通渋滞予想図、天気予想図、既に全てが手に入っている。

 更に何よりも大事なのは、この計画を一人で実行する事、決して誰にもこの計画を話さない事だ。そうでなければ必ず足が付いて失敗する。男は単独で進めているので問題はない。計画前半の手順は詳細に出来上がっている。

 後は運次第ではあるのだのが、悩ましいのは後半部分の詰め、即ち逃走ルートが確定出来ないのだ。

 計画前半の現金奪取が首尾良く運んだら、速やかに金を積んで用意した車で逃走する。それは十分にシミュレーション済、ガソリンは満タンで当面ガス欠で捕まる事もない。

 銀行周辺の地図も頭に入っている。直ぐに検問が立つだろうから、それを見越して速攻で用賀ICから東名高速に入って西に走る。地の利のある名古屋IC手前の守山PAで降りて、ホームセンター〇〇〇〇の駐車場に用意した車に乗り換える。これで計画は殆ど成功したも同然だ。

 だが、シナリオ通りになる確率はは天文学的に低い。いや、可能性はない。裏道を走って検問を抜けても、日本中に設置された監視カメラから逃れるのは不可能だ。

 そもそも銀行強盗の成功率が限りなくゼロである理由は、逃走経路が確保出来ないからだ。そこをどうするか、男は最大の問題解決に答えが出せない。

『★急募★人物識別をクリアしたい方募集。僅か1週間で完全なる別人に変身出来ます。費用は無料です』

 NPO法人陥穽かんせい幽体開発センター.世田谷区○○1丁目2-3-405 .

 TEL03-6666-7777

 街のあちらこちらに貼られているそのポスターは意味不明だ。だがそれも、特殊な環境にいる人間にとっては心を揺さぶられる内容になる。


 街でポスターを見掛けた男は、慎重に慎重を期して『陥穽幽体開発センター』なる施設を訪れた。非通知で電話を掛けようかと思ったが、それでもそこから何かを探知される可能性がないとは言えない。男は直接その住所を訪ねた。

 そこは、世田谷区内とはとても思えない人通りのない路地裏の古びたビルの四階で、エレベーターは付いていない。一階は既に廃業した店の錆びたシャッターが降りている。力任せに引き上げると簡単にシャッターが開いた。逃走用の車を隠すのには丁度いい。

 二階、三階にもテナントはいないようだ。階段を上がり扉を開けた四階のフロアも閑散としていて人気ひとけがない。最奥405に「陥穽かんせい幽体開発センター」なる看板が掛かっている。建物自体が余りにも胡散臭く、当然の如くそんな場所に事務所を構える酔狂な経営者などいないだろう。男のような強盗計画犯の寄り付き場所としては打って付けだ。

 男は周囲を見回しながらドアを開けた。中にTVを見ながらソファーに座る白髪の老人がいる。老人の他に人の姿はない。

 部屋の中には黒いソファーとTV、何やら見た事のない機械装置の付いた椅子以外には何もなく、別の部屋と思われる扉が一つあるだけだ。小ざっぱりしている、と言うよりも伽藍として余計なものがないという感じだ。滅多に客が来る事もないのだろう。小汚い廃墟ビルの一室の割には乱雑な感じはしない。


「ポスターを見たのだが……」

「いらっしゃい。直ぐにやりますか?」

 男が言葉を掛けると気づいた老人が気怠そうに答えたが、何を言っているのか要領を得ない。

「いや、取りあえず内容の説明を聞きたいのだが……」

「そうですか。説明と言われても何から話したらいいかな。質問はありますか?」

 質問返しをされた男は、訳がわからないままに聞きたい事を羅列した。

「ここは何の施設なのか。人物識別をクリア出来るというのは本当か。完全なる別人に変身出来るとはどの程度のものなのか。費用が無料というのは本当なのか?」

「色々ありますね。ここは完全なる人体改造を行うNPO法人で、完了すれば人物識別システムをクリアする事が出来ますよ。費用は特別なオプションを追加しなければ無料です」

 説明を聞いても、男には老人の言葉の殆どが理解出来ない。人体改造とは何の事だろう。その空想染みた話を本気で言っているのか。妄想なのか、精神障害者なのか。どちらにしても、そんなものに付き合っている暇はない。

「人体改造は唯の整形ではなく、目鼻口顔や歯並び、指紋や網膜、虹彩に至るまで全てを変える完全整形を施術します。流石にDNAまでは変えられないが、完了後は一般的認証機械での人物識別は不可能。AIでも認識は困難ですよ」

「完全整形……そんな事、本当に出来るのか?」

「いやいや、完全整形それ自体は整形外科手術の延長なので、大して難しいものでありません。本当に難しいのは、この施術の際に極端な激痛をともなう事です。その痛みは1週間以上続き、しかもそれは現代の麻酔技術では解決は出来ません。もし全身麻酔を1週間も続けたら廃人になってしまいますからね」

「じゃあ、どうやって……」

「方法は一つしかありません。そしてその方法を施す事が出来るのは、我が幽体開発センターだけなんですよ」

「方法なんてあるのか?」

「あります。それは、幽体離脱式完全麻酔。患者を幽体離脱させるので、痛みを感じる事はありません」

「待てよ。幽体離脱なんて、そんなの都市伝説だろ?」

「まぁ、どう考えるかは自由です」

 男にとって幽体離脱の信憑性などどうでもいい。そんな事よりも、自らの銀行強盗実行のシナリオを少しでも完璧にする為の方策として、この完全整形による逃走は悩み続けている部分を補完出来るものではないだろうかと思われる。だが、そう言っても幾ら何でも幽体離脱とは……俄かには信じられない。いや、馬鹿げている。

 そう思いながらも、男は取りあえず詳細を聞いてみる事にした。


「その幽体離脱をどうやるんだ?」

 老人は面倒臭そうに話し始めた。

「簡単に言うと、魂を抜くんですよ」

「どうやって?」

 老人は更に面倒臭そうに言った。

「説明するよりも、体験してみますか?」

「体験、そんな事が出来るのか?」

 次々に続く老人のちょっと面白い妄想話に、男は嵌り掛けている。老人は、男を椅子型の機械に座らせた。「ではスタートしますよ」という声とともに、機械は静かに唸りを上げて眩しい光に包まれた。この機械が幽体離脱、即ち身体と魂を分離させるようだ。今のところ身体的痛みも精神的苦痛もない。

 暫くして機械が停止した。身体と魂が分離したようだ。思っていた程の時間は掛からなかった。老人は慣れた手付きで男の身体を別の箱のようなケースに入れ、箱に付いているスイッチを押した。箱から白い煙が漏れて立ち上がっている。

 男ははっとした。それら一部始終を見ているのは誰だ……?

 何と驚く事に、自分の身体が箱に収められる様を自分自身が見ている。きっと、これが幽体離脱という状態なのだろう、男には未だ現実として理解出来ていない。

「身体はドライアイスと電気式冷凍装置で保存しておくから、心配はいりません」

 白い煙はドライアイスらしい。

「オレは今幽体、つまりは幽霊なのか?」

「まぁ幽霊みたいなものですね。ワシには幽体と幽霊の違いが能くわかりませんけど、あなたは今仮死状態の幽体なので常人には見えません」

「アンタには幽霊のオレが見えるのか?」

「ワシには幽体を見る能力があるのですよ」

「このまま外へ行ってもいいのか?」

「好きにして構いませんよ」

 男はドアをすり抜けて外へ行き、空を鳥のように飛び回った後で戻って来た。

「これは凄い。一つ質問なんだが、幽体離脱している間に誰かに身体を乗っ取られる事はないのか?」

「それはないですね。魂は自分の身体以外に入る事は出来ないし、何かに取り憑かれるなんて事もない。注意しなければならないのは、抜けた後の身体をしっかりと保存しておかないと臓器が腐ってしまう事です。そうなると仮死状態ではなく臨終になる。だから確りと冷凍保存するんですよ」

 男は老人の概説と体験に嵌り、歓喜した。探し求めていた以上の夢のような完璧な逃走アイテムがそこにあった。しかも無料で手に入るのだ。

「決めた、これを頼む。三日後に来るから用意しておいてくれ」


 数カ月の準備期間を経て銀行強盗を決行した男は、予定通りに現金を強奪し車で逃走した後に、したり顔で「陥穽幽体開発センター」のあるビルに逃げ込んだ。

 先日と変わらぬ廃墟感を保っている。車で逃走した銀行強盗の犯人がこれ程銀行に近いビルに逃げ込むなどと誰が考えるだろうか。

 男は予定した通り一階の錆びたシャッターを開けて車を隠し、階段を上がりドアを開けた四階フロアの最奥、陥穽幽体開発センターへと一目散に走った。ここまで来れば計画は成功したも同然だ。

 息急き切って飛び込んだ強盗犯の男は、TVを見ながらソファーに座る白髪の老人に向かって叫んだ。流石に銀行強盗直後だけに、男のテンションは異常に高い。

「おい、今直ぐにアレをやってくれ」

「まぁ、そう焦る事はありません。準備は出来ています」

「再確認だが、絶対に機械が故障する事はないだろうな?」

「大丈夫です」

「絶対に死んだりする事もないよな?」

「この機械で死ぬ事はありません。は仮死状態になるだけです」

 男はほんの少しだけ落ち着き、息を整えながら老人を促した。

「早いとこ頼む」

 急かせる男が座った椅子型機械が静かに唸りを上げ、次第に光に包まれていった。

 数日前の試験と同様に、椅子型躯体魂分離機が男の身体と魂を分かつのに大した時間は掛からなかった。老人は慣れた手付きで男の身体を箱に入れ冷凍保存のスイッチを押した。先日と同様、白い煙が立ち上った。

「幽体状態で自由にしていていればいいですよ。1週間以内に驚く程違う身体へ変身する事になりますから」

「予定通りに頼むぜ」

 男はそう言って、幽体のままで外へ飛び出して行った。現状としては幽体離脱しているという事になる。幽霊とも言うが、常人には見えないらしい。

 老人には霊体が見える。このセンターの所長としてこれ以上の適任者はいない。


 幽体の男は心置きなく自由を満喫した。一世一代の銀行強盗のシナリオは完璧に成功し、思いも寄らず都市伝説でしか聞いた事のなかった幽体離脱を経験して空を飛んでいる。

 世界中、どこへでも思った場所に一瞬で行く事が出来た。当初こそ世界中の名所旧跡をまるで旅行のように巡ったが、余りにも簡単に行き来出来るので飽きてしまった。関係のあった身内や知人宅へ行ったり、好みのアイドルの私生活を覗いて興奮したりもしたが、それもあっという間に興味がなくなった。

 今日で4日目、暇が欠伸する程に退屈だ。幽霊が退屈するのも理屈が合わないような気がする。まぁ仮死状態なので何でもありなのだろう。

 

 その時、唐突に男に異変が起きた。

「何だ……」と考えても、それが何かはわからない。全身に経験した事のない違和感が走る。正体不明の感覚が襲って来る。

 嫌な予感がした。幽体が違和感、予感というのも辻褄が合っているとは思えないのだが、首筋に悪寒が走る感覚は決して心地良いものではない。

 男は勇んであのビルに飛んだ。1週間以内と言われた完全整形の完了までにはまだ相当な時間がある筈だ……

 

 ビルが見えた。部屋の中は相変わらず伽藍とした状態で、特に以前と変わったところはない。酒浸りの老人がソファーに座ってた寝している。

「おい、起きろ」

「ん、誰かと思えば……誰だったかな?」

「幽体のこの身体に違和感がある。何がどうなっているんだ?」

「あぁ、あなたでしたか……そうだ。今日、あなたにが来る事になっていました」

「客?」

 幽体の男に客が来る予定などない。更なる謎で、男の思考は混濁したままだ。

「そうだ。あなたに言うのを忘れていましたが、このセンターは臓器移植用ドナーを集める為の策略を開発し実行する施設なんですよ」

「何を言っているのか、さっぱりわからない」

「あなたが理解する必要はありません。あなたの身体は一昨日付けで国のドナー認定が降り、昨日しかるべき機関が引き取りに来ました。今日辺り、バラバラにされているでしょうね。違和感はそのせいですよ」

「何?ふざけるなよ。オレが帰る身体がないじゃないか」

「いえいえ、大丈夫。身体がバラバラになると仮死から臨終になります。そうなると、即日でお客さん、つまり冥界からの魂回収のお迎えが来ますから。それに速攻で人としての意識も記憶も消えてなくなるので、何の心配もありません。因みに言っておきますが、誰かに取り憑いたりこの世に残って幽霊として化けて出るなんてのは、そもそもシステム的に不可能ですよ」

「くそっ、騙しやがっ・」

 反駁はんばくの途中でいきなり男の意識が消滅すると、タイミングを見計ったように冥界お迎え便が到着した。いつもの事ながら時間に正確だ。

「冥界印の回収便です。臨死魂を回収します」

「ご苦労様です」


 冥界に運ばれていく男の魂に向かって、老人が呟いた。

「もう少し冷静に物事を見極めなければ駄目ですよ。NPO法人が犯罪に手を貸すなんて事はあり得ないし、そもそもこの世にタダより高いものはないんだから……」


「NPO法人陥穽かんせい幽体開発センター」

 主要業務:臓器移植用ドナーを集める為の陥穽かんせい(落とし穴)の開発と実行。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時空超常奇譚5其ノ壱. 起結空話/幽体離脱の男 銀河自衛隊《ヒロカワマモル》 @m195603100

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ