第6話

 次の村に大量のモンスターを引き連れたまま入った勇者は、本当に宿屋に入ると宿泊を開始した。


 外でモンスターが宿屋を取り囲んでいる光景を見ていた宿屋のオヤジは怯えたが、勇者が宿泊を断行すると覚悟を決めた表情で部屋へと案内した。


「ワシももう、いつ死んでもいい年寄りだ。最後の最後まで、世界を救う勇者様を信じ、協力しようじゃねぇか」


 宿屋のオヤジは二人の息子と五人の孫がいる老人で、こんな状況で魔王城にほど近い場所に居残ったのも、孫たちのために勇者を手伝いたかったからだ。


 今、世界は昼夜を問わずにどんよりと薄暗く、モンスターが溢れているが……


 魔王が出る前の、明るく、モンスターもいない平和な世界を、物心ついたばかりの孫たちに見せてやりたい……その一心で、こうして最前線地域の宿屋に残ったわけである。


 この宿屋は、本来、どこにでもある宿場町の、値段帯の安い宿でしかなかった。

 老人の親の代から続いた店だから老舗は老舗だけれど、さして大きいわけでもなく、慎ましやかに、どこにでもある宿の一つとして、今まで細々と続いてきた……という感じだ。


 老人が親から宿を継いだのも、長男が家業を継ぐのが当たり前だったし、そこに疑問さえなかったからそうした……という程度の理由だ。


 それがまさか、魔王との戦いにおける最前線で、昼も夜もわからないほど立ち込める濃い瘴気の中、『世界を救う勇者様』に部屋を貸すことになろうとは……


 人生はわからないものだ、と勇者を部屋に案内しながら老人は笑った。


「どうぞ勇者様。おくつろぎくだせぇ」


 勇者は一目で『常人ではない』とわかる顔つきのままうなずき、部屋に入っていく。

 聖女二人もまた、勇者を挟むようにしたまま付き従い……


 ドアで引っかかり……


 横歩きしながら、いっしょの部屋に入って行った。


「……そういや、勇者様の腕が……」


 聖女の腹部にくっついて……いや、腹部を貫いて中に……


 老人はそこまで考えてから、柔らかく笑った。


「……ああ、ワシももう、長くねぇらしい」


 瘴気の濃い最前線で、勇者を助けるために宿の世話をしていた。

 そのせいだろう、頭か、目か、とっくにおかしくなってしまっているようだと老人は理解したのだ。


 だから老人は笑う。


「間に合ってくれてありがとうございます、勇者様。……宿の安全は、残りの寿命全部と引き換えても、ワシが守ります。だからどうか、世界を……息子たちや孫たちの生きていく世界を、よろしくたのんます」


 勇者と聖女が入った扉に、胸に手を当てて礼をする。


 そうして老人は、宿の戸締りを確認するべく、受付へと戻って行った……



「この環境でよく眠れるわよね、こいつ……」


 外でモンスターがうろうろする足音は、二階にあるこの部屋にまで聞こえてくる。

 モンスターはなぜか家屋の内部に侵入したりはしないが、それにしたって落ち着ける状況ではない。

 だが、勇者はまったく気にしたそぶりもなく、部屋に通されるなりいきなりベッドに横たわり、寝息を立ててしまった。


 死んだように静かな寝息なので死んでいるかどうかいちいち不安になり、マリアは勇者の方へ耳をそばだてる。


 ……生きている。


 世界を救う勇者が生きていることに安心して息をつき、マリアは改めて自分の使命を見直した。


 聖女として、勇者の魔王討伐を補助する。


 ……その使命は『勇者にすべてを捧げる』ということをふくむ。


『すべて』だ。


 命はもちろん、人生そのものさえ。


 どの聖女の代に魔王が出て、勇者が来るのかはわからない。

 だから実際に魔王が出てしまった今代の聖女を『運がなかった』と言う声もあった。


 聖女は、魔王さえいなければ、贅沢をして生きていられるのだ。

 だが、魔王が出たならば神殿のシンボルとして説法だけしていればいいということもなく、実際に、勇者を手伝って戦い、勇者にその人生を捧げ、そして……


 そして……


 マリアは、これから先に自分に待ち受ける運命を想って、震えた。


 そして同じ運命が待ち受けているはずの、もう一人の聖女を見る。


 勇者の寝顔越しに見える黒髪の聖女も、マリアを見ていた。


「……なんなのですか」

「ねぇ、アンタは怖くないの?」


 勇者を介さずに会話をできる時間は少ない。

 だからマリアは、仇敵と言ってもいいホズミに対して、素直に問いかけた。


 ホズミの感情の見えない黒い瞳が揺れる。

 この幼く無表情な聖女に初めて見えた『感情』の揺らぎに、マリアはフッと笑った。


「アンタにも心があったのね」

「私をなんだと思っているのですか」

「わかんないわよ。まともに会話もしたことないんだし。……アンタは聖女になりたくてなったの?」

「いえ。普通のことを普通にしていたら、聖女だっただけです」

「うわ」

「なんなのです?」


 ホズミの視線がジトッと湿度を帯びた。


 マリアは自分の気持ちを言語化しようとして、これをホズミに言ってしまうのは、なんだかプライドみたいなものが傷つくように感じて、一瞬黙る。


 だが……


 もう、自分たちに残された時間は、わずかだ。


 だからマリアは、プライドとか、意地とかを深呼吸を一回したあと捨てて、素直にうち明けた。


「天才でうらやましいと思っただけよ」

「お前は聖女になりたくてなったのです?」

「『お前』……まあいいけど」


 明らかに歳下の女の子に『お前』呼ばわりされるのは、マリアの性格的に許されることではなかったのだが……

 一回プライドだの意地だのを捨てて素直な気持ちをうち明けてしまうと、そういったことにこだわるのが馬鹿馬鹿しくなってくる。


 マリアは力の抜けたようなため息をついて、口を開いた。


「あたしはね、自分を馬鹿にしてるヤツが許せなかったし、負けるのも嫌いだった。……いっぱい、いろんなものに負け続けてきたけど、最後にはその全部に勝ってやろうって決めて、がんばって、意地張って……聖女になることができたのよ」


 マリアは幼いころから美しい少女で、それゆえに様々なやっかみを受けてきた。

 特に十歳を過ぎたあたりからすでに現在のスタイルの片鱗が現れていて、同年代の誰よりも大人びた体つきの美しい少女は、同年代よりもむしろ歳上の『聖女候補』たちから、さまざまな誹謗中傷を浴びてきた。


 マリアが何か功績をあげたり、偉い神官に褒められたりすると、『淫売』だの『幼いくせに淫乱』だの、まあ、そういう、『体を使った色仕掛けで不正に評価されてるんだろう』という、根拠のないイヤミだ。


 そういうのが許せなくて、マリアは実力を示し続けた。


 たぶん才能はあった。人よりちょっと上ぐらい。

 けれど圧倒的ではなかったし、歳上にも、同世代にも、そして歳下にも、マリア以上に才能がある者はたくさんいたと思う。


 だからマリアが『色仕掛けで不正に評価を得ている』と言われる時には、決まって『〇〇さんの方が優れているのに、あいつが評価されるのはおかしい』というコメントもくっついてきた。


「聖女を目指してたっていうよりは、あたしを馬鹿にするやつらが許せなかったからがんばってたら、ついた座が聖女だったって感じかしらね。……だから、天才はうらやましいわ」

「でも、お前は聖女の使命に一生懸命のように見えるのです」


 無表情のまま発せられた意外な評価に、マリアはおどろいて、それから、笑う。

 美しく艶然とした赤毛の少女が微笑むと、顔には意外なほどの柔らかさが宿った。


「いろんな人を蹴散らしてきたからね。『やっぱりあいつが聖女なのは間違いだ』なんて言われたらたまらないもの。完璧に『聖女』をこなしてやるわよ」

「……完璧な聖女、なのですか」

「ええ。だから……アンタは、逃げてもいいわよ」

「この状態で?」


 ホズミが視線を下へ落とす。


 勇者の体が微妙に邪魔だが、まあ、見なくても、そこに何があるかはわかる。

 勇者の腕が腹部に突き刺さっているのだ。


「……まあ、最終的にどうなるかはわかんないけど、生きてればそのうちどうにかなることもあるでしょ」

「本当にそうでしょうか……」

「……なるって信じなさい」


 いがみ合っていた仇敵。

 異教の聖女。


 だというのに、めちゃくちゃな勇者に振り回される(物理的に)こと二日、二人の聖女には奇妙な友情が芽生えていた。


 だからマリアは、『自分を馬鹿にしない、歳下の少女』に向ける、普通の優しさを込めて、宣言する。


「『魔王城の封印解除』はあたしがやるから、アンタは勇者様といっしょに魔王を退治して生還しなさい」

「……」

「聖女の命をもって解除しないと、魔王のいる城には入れないからね」


 初代聖女……『マリア教』『ホズミ教』の開祖たる、優れた魔術師たちがほどこした術式が、今、この時代も生きている。


 それは魔王出現と同時に発動し、世界に魔王の出現を知らせ……


 そして、魔王を出現位置に縛り付ける術式だ。


 この術式が解かれると魔王が解放され、好き勝手に移動できるようになる。

 するとあちこちを移動しながら瘴気を振り撒き続け、世界はあっというまに人の生きていけない瘴気溜まりに変貌してしまうだろう。


 だからこそ、この術式を解く手段は少ない。

 うっかりミスで解かれたり、邪悪な野望を持つ者に『鍵』を奪われたりしないよう、『自分の意思で逃げたり応戦したりできて、そもそも多くの衆目に常に監視され、その動向がいちいち注意されるもの』を『鍵』としている。


 すなわち、『聖女』。


 魔王城の封印は、聖女の死をもってしか解かれないのだ。


 ゲーム『Doki Doki Fantasia』においては『まともに後ろをついてくることもできないNPCを待たないと永遠に魔王城に入れない』と文句を言われるクソ仕様である。


 唐突に『Maria』『Hozumi』という選択肢が提示され、プレイヤーがなんもわからずに選択すると、選ばれた方が急に死んで魔王城の封印が解かれ、内部への侵入が可能になる……というギミックだ。


 マリアもホズミもその設定だのキャラクターだのがゲーム中に明かされることはないし、二人ともプレイヤーキャラクターの背後を追従して一定範囲に入った敵モンスターに殴りかかるという程度の行動ルーチンしか組まれていない。

 なのでプレイヤー的には完全に見た目で選ぶ以外になく、その『見た目で選ぶ』も『一人称視点のゲームなのにプレイヤーキャラクターの斜め後ろにずっとついてくる』という行動ルーチンのせいで、がんばって見ようと思うか、ゲーム開始時にチラッと見える以外では確認のしようがないのだが……(パッケージにもいない)


 この世界においてもまた、ラストダンジョンである魔王城に入るのに、二人のどちらかが命を失う必要があるのだった。


「どうせアンタ、『聖女』っていう立場にも、『ホズミ』っていう名前にも、思い入れなんかないんでしょ?」

「……」

「だったらいいじゃない。魔王が倒されて、たとえ『ホズミ』じゃなくなっても、生きていけるわよ、きっと。あたしは……あたしは、『マリア』だから。誰にも文句を言わせない。あたしが『マリア』でよかったって、あたしこそが『マリア』にふさわしかったって、みんなに認めさせてやりたいから……だから、『マリア』としての使命を果たすつもりよ」


 マリアとホズミはそれぞれの宗教の開祖の名前であり、聖女に授けられる洗礼名でもある。


 この二人の少女は『マリア』と『ホズミ』だが、それとは別に、聖女になる前の名前がある。


 しかしマリアは、今さら、『マリア』以外になるつもりはなかった。 

 マリアとして周囲に認めさせた。

 ならば、マリアとして使命を果たして死んでいく──


「……私に押し付けて生き延びようとは思わないのです?」


 ホズミの問いかけを、マリアは鼻で笑った。


「『マリア』はそんなことしないわよ」


 開祖たるマリアとホズミは、どちらが勇者の役に立ち、どちらが勇者により多くの寵愛を受けるかで争っていたという。

 ならば、『マリア』なら、『ホズミ』に手柄をゆずるようなことはしない。

 一つの宗教を立ち上げるほどに狂信的で盲目的な愛の持ち主ならば、その命を捧げて勇者の役に立てることを、むしろ喜ぶはずだ。


 だが……


「こいつは、『マリアにとっての勇者』ではないのです」


 今代の聖女と勇者のあいだには、開祖と勇者のあいだにあったとされるような、関係性がない。


 けれどマリアは、そのことについてもすでに結論を出していた。


「男に興味なんかなかったのよね、あたし」

「……」

「『女に興味がある』って意味じゃないわよ!?」

「……」

「……とにかく、なんだろ……こいつに振り回されてみて……なんかだんだん、こいつのことを好きになってきちゃったっていうか……」

「それはたぶん脳が揺れて正気を失っていると思うのです」

「あたしはね、負けたくないし、馬鹿にされたくない。色仕掛けで今の地位を得たとか、そういうことを言う連中は実力で黙らせてきたのよ。だから……力とか地位とか、そういうものがある男は嫌い。ない男もまあ、好きにはなれないわよね」

「はあ」

「でも、実際に魔王を倒すほどの男だったら、それはもう、惚れたってしょうがないでしょ?」

「……」

「力に媚びてるとか、地位に媚びてるとか、誰かを好きになるたびにそういうことを言われるのはうんざりなの。でも、『聖女が勇者を好きになるなら、仕方ない』ってみんな思う。……だからようするに……」


 マリアはしばらく言葉を探すように押し黙ったあと、ニコッと笑う。


「こいつが本当に魔王を倒せるなら、好きになったって許されるでしょ」

「……許されるから、好きになるのです?」

「不純かしら? でも、好きになっても誰にも文句を言われない相手っていうのは、相手を選ぶ基準になるのよ。……まあ、お子様にはわからないかもしれないけど……」

「その計画には穴があるのです。魔王城の封印を命懸けで解いたら、この勇者が本当に魔王を倒せるかを見届けられないのですよ」

「こんなに『やりそう』なら、大丈夫よ。……ああ、そっか。『こいつなら、やってくれる』って信じられる時点で、あたしは……」


 マリアは黙り込んでしまった。


 ホズミは何かを言ってやろうと考えるけれど……


 言うべき言葉が、見つからない。


 生まれつき才覚に恵まれ、まだ幼いながらも聖女となり、なんだか知らないあいだに聖女としての使命を背負うことになった少女には……

 恋愛も、使命も、聖女という立場の重さも、実感できていなかった。


 でも。


 でも……


(……もし、お前が本気でこの男のことを好きになったなら、やっぱりお前が生き残るべきなのですよ)


 なんにもない、才能に恵まれて聖女になっただけの少女は、密かに決意する。


 自分はこれから先生きていても、きっと、すべてを『なんとなく』こなしていくのだろう。

 だから、マリアのように、『生きている感じ』で生きていくことはできない。


 ……きっと、自分の才覚はこの時のためにあったのだとホズミは思った。


 感情の揺れない、何事にも一生懸命になれず、『楽しい』という気持ちもいまいちわかっていない、あまりにも人間らしからぬ自分……

 それが今まで生きてきて、聖女となり、この時代に魔王が現れた理由を探すならそれは……


(きっと、魔王を倒す『機能』として、私はオオホズミから生み出されたのですね)


 少女は使命を自覚した。


 ……命を捨てなければ開かない魔王城は、もう、すぐそこに迫っている。



「はい、というわけで魔王城にたどりついたわけなんですけども」


「……」

「……」


「ここには封印がかけられていて、唐突に現れた選択肢で選んだ方の『聖女』が死なないと入れない仕様なんですね」


「……」

「……」


「ところがこの先でやるバグ技は聖女二人の生存が絶対条件なので」


「……?」

「……?」


「これから『バグ技といえば!』みたいなこと──ようするに『壁抜け』で封印されたままの魔王城に入っていきたいと思いまーす」


「……!?」

「……!?」


 ……少女は密かに決意し、覚悟していたが。


 この勇者を呼び出した時点で、そんなものは必要なかった。

 なぜならこれは、世界崩壊禁止バグ有りany %RTAなのだから。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

キャラクター紹介

☆勇者 中田将大(ナカタ マサヒロ)

黒髪黒目、血色が悪く目がぎらついている痩せた青年。

この世界のことをゲームだと思っている。

壁も抜けるさ。バグ有りだもの。

火力はちょっとでも多い方がいいさ。RTAだもの。

小難しいことは走り切ってから考える予定。


☆マリア教聖女 マリア

赤髪赤目、スタイル良好の表情がよく変わる少女。

自分以外の聖女候補や対立するホズミ教への対抗心で聖女として活動している。

勇者はヤバいが『やってくれそうな感じ』だけは大いにあるので、この勇者のために命を懸けようと決意した。

武器扱いでシェイクされまくったせいで頭がおかしくなっている可能性も皆無ではない。

だが覚悟は無に還る様子。そう思うとベッドの中でホズミに色々ぶっちゃけたのが恥ずかしくなってきている。


☆ホズミ教聖女 ホズミ

黒髪黒目、お子様体型の無表情少女。

普通に生きていたら聖女になってたので聖女として生きている。

マリアに自分にはない『人間らしさ』みたいなものを感じて、生まれて初めて『この人には生きてほしい』と他者の幸福を心から願った。

しかし死人は出ない様子なのでベッドの中で一人悶々と決意していたのがとても恥ずかしくなってきている。

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