第2話

 中田将大マサヒロは似た名前の野球選手がいるせいか、よく『野球とかやってるの?』と言われるのだが、アウトドアで行うスポーツの一切をやったことがない。


 彼が趣味として行っているのはRTAだ。


 RTA、すなわちリアルタイムアタック。

 特に『バグ有りAny%』と呼ばれるカテゴリを熱心に行っている。


 というのも彼は、バグが好きだった。

『僕はね、バグが好きなんだ』と言うとだいたいの人に首をかしげられるし、自分でもなんでこんなにバグが好きなのかはわからないけれど、バグが……好きだ。


 動画投稿者としての彼は『野生のデバッガー』などと呼ばれるほど物理演算と真剣に向き合っており、地面に埋まる、なんかいきなり死ぬ、空に吹き飛ぶなどの基本バグをあらゆるゲームで即座に探り当ててしまう、履歴書に書けない特技を持っていた。


 ぶっちゃけるとRTAは本当に趣味であり、『こんなバグがありますよ』と動画にして広めるため以上の熱意はなかった。RTAには真剣ではない。バグに真剣なのだ。


 そんな彼は死にかけていた。


 新作の物理演算が面白そうなゲーム(数々のバグを発見してきた彼は、バグが多そうなゲームの気配を察する能力がある)が出るたびにだいたいいつも死にそうになるのだが、今度は本当に死にかけていた。


 まさか買い置きしていたはずの完全栄養食が尽きているとは思わずに、エナドリだけで一週間生きることになってしまったのだ。


 社会不適合的特徴であるのは本人も承知しているのだが、彼はいったんゲームに夢中になるとそれ以外のことをしたくなくなるので、外出はおろか食事やトイレなどにも最低限の労力しか割きたくなくなってしまう。


 その彼がゲームの最中に食料が切れたからといって外出するはずもなく、じゃあウーバーでも頼めばいいかと言えば現金も手持ちになく、クレカは行方不明で、それ以前に口座の中身がなぜかなかった。なんでだろう(答え『面白そうな新作ゲームが多かったから』)。


 そういうわけで彼は死んだ。


 そして死体は光に包まれ……


 光の小さな粒になると、今まさにデバッグしていたゲームの中へと入っていったのだ。


 そのゲームの名は『Doki Doki Fantasia』。


 ゲーム販売サイトの評価において『圧倒的不評』の、彼の価値観からすれば『非常に面白そうなゲーム』なのだった。



「座標重複バグというのはですね、同じ座標に転移などで二人以上のキャラクターがいる状態になると起こるバグで、これをどんどん重ねていくと……」

「「重ねていくと?」」

「キャラが無限分裂して世界が壊れます」

「「ヒェッ」」


 ヤベェヤツを呼んじゃったな、と二人の聖女は同時に思った。


 なんか急に目をギラギラさせながら早口で話し始めたのだが、何を言っているのか半分もわからない。

 わからないのだがとにかくヤバいことだけは伝わってくるので、聖女二人はこのあとどうしようかという気持ちでいっぱいになっていた。


「そ、そういえば、ねぇ、この、腕がお腹にめりこんでるやつ、どうやって治したらいいのよ!?」


 マリアが焦った声で叫ぶ。


 いきなり説明を始められたのですっかり呆気にとられていたが、『他人の腕がお腹にめりこんでいる』という状態はかなり不気味だ。

 まあ特に異物感とかはなく、お腹の中に男の手の感触があるわけでもないのだが、男が腕を伸ばして届く範囲にしか移動できないし、あと、人の手が自分の体に埋まっている状態はめちゃくちゃイヤだ。


 すると男は『いい質問です』とでも言うかのようににっこりと右……マリアのいる方に顔を向けて、答える。


「このバグの解除方法は検証中です」

「つまり?」

「現状、治しようがありません。世界を滅ぼすしかない」

「世界と引き換えにしかあたしは救われないの……?」


 世界か、彼女か。


 急に出現したデカめの選択肢にマリアは黙り込んでしまった。


 するとホズミが沈黙を恐れたように語り始める。


「世界の滅びといえば、私は魔王を倒していただくためにあなたを異世界から召喚したのですが……やっていただけるのですか?」


 勇者教……という呼び名は二つある宗教がどちらも『それはウチの名前だ!』と主張し合って殺し合いに発展しかけたために使われなくなったが(殺し合いを戒律で禁じられているため、戒律を破るのを恐れた)、マリア教もホズミ教も、どちらも勇者伝説を信仰のベースに持つ宗教だ。


 そしてそれぞれがまとめあげた聖典の中には、要約すれば『魔王が出たら勇者を呼べばあとはそいつがなんとかしてくれます。信じよう、勇者』という内容がある。


 つまり勇者本人にやる気を出させる方法とかは書いておらず、『異世界から勇者として召喚されれば、そいつはいきなりすごいやる気で魔王を倒しに行ってくれます』ぐらいの情報しかない。


 ところが相手が思ったより人間なので、ここからこいつが本当に何も見返りを求めずにこの世界のために命懸けで魔王を倒しに行ってくれるのか? という疑問が生じた。

 ……というか、『勇者にやる気を出させる方法』については、教典には『勝手にやる気を出します』とあっても、現実を生きる人間は不安なので、実際にはいくつか検討されてもいるのだ。


 あとこの男の沈黙がむちゃくちゃ怖かったのもあって、ホズミはやる気の有無を問いかけたのだが……


 男はぐりんっ、と勢いよく首をホズミの方に向けて、にっこり笑う。なんだろうその笑顔。怖い。


「もちろんです。プロですから。野生のプロですけど」

「どういうこと……なのです?」

「魔王退治のチャートはすでにできています。まあ、実際に走ってみないとなんとも言えませんが、プレイヤーキャラクターが千五百人になって世界を崩壊させつつ五分で魔王を僕に置き換えて自殺することによりクリアが可能です。理論上」

「すいません、世界を崩壊させるのはかんべんしてほしいのですが……」

「しかしこの世界は脆いので」

「そこをどうにか」

「もしかして、世界を守った方がいい感じですか?」

「そのためにお呼びしたので……」

「なるほど」


 さっきからハイテンションで目をギラギラさせつつ早口でまくしたてるようにするこの男は、口を開くほどヤバさが加速していくのだが……


 ホズミは彼が黙り込んで何かを考えている時間こそ怖かった。


 この男に何かを考えさせてはいけないとホズミの直感が言っている。

 そしてホズミは直感力に優れていた。


「時間をかけてもいいので世界を守りつつ、あと、我々が何かこう……くっついている? 状態もどうにかできれば、最上なのです。最低でも、世界を守っていただけないと……」

「世界を守りつつ魔王を倒すチャートは考えたことがなかったな……」

「世界を滅ぼすならなんのために魔王を倒すのかわからないのです。『世界を守りたい』が魔王を倒す目的なのです」

「そもそもなんで魔王がいると世界が危ないんですか? このゲーム、ちょっと設定を語らなさすぎなんですけど。クリアしても『魔王を倒して世界が平和になった』ってメッセージが出てエンディングもなく操作不能状態になって終わりですし」

「魔王がいると瘴気が発生し、日の光が翳り、世界が暗闇と冷気に包まれるのです。当然ながら作物も育たず、そもそも瘴気が広がると魔力の弱い人からだんだん衰弱して死んでいくのです。だから魔王は生きているだけでダメなのですよ」

「ああ、画面が暗いのってクソゲーあるあるじゃなくて魔王の影響だったんですか……無闇に暗い中で単調なBGMが延々ループするからキツかったんですけど。あと背景アセットもどこかで見たことある感じだし、モンスターと言いながら出てくるのはミリタリー服を着た兵士だし……」

「ちょっと何を言っているのかわからないのです」

「そういえば日本語パッチいつ当てたんだっけな……なぜか会話できてる……」


 ぶつぶつつぶやく勇者が怖い。


 ホズミは恐怖の理由をなんとなく察した。


 この勇者の目。


 ガンギマリでギラギラしているのはそうなのだが、決定的に恐ろしい点はその輝きではなく、『こちらを見ていないところ』だ。


 会話をしているのに言葉が届いていない感じというのか、こちらを見ているのに自分を見ていない感じというのか……


 簡単に言ってしまえば、人として扱われていない。

 それがこの勇者の全身からにじむ。それをホズミには『とても怖い』と感じるのだった。


「……まあいいか」


 勇者はなんらかの納得、あるいは結論を出すことの放棄を決定したらしい。


 また目を見開いたまま口の端を吊り上げるような笑顔を浮かべて、


「では魔王討伐RTA世界守護チャートでいきましょう。しかし座標重複バグはすでに発動してしまっているので世界を崩壊させないバグにかんしては使用可能ということで。よろしいですか?」

「よろしくお願いするのです……」

「ではチャートをまとめますね」


「ちょっと、勝手に話をまとめないでくれる!?」


 世界か、自分か。

 デカすぎる問いかけに混乱していたマリアが会話に復帰したので、ホズミは『邪魔な女が会話に入ってきて面倒くせぇな……』という思いで舌打ちをした。


「舌打ちしなかった!?」

「したのです。なんですか急に……そのままずっと黙っていればよかったのです」

「っていうかちゃっかり自分が勇者様を召喚したことにして話を進めてなかった!? 召喚の儀式に成功したのはあたしよ!?」

「うるせぇのです。状況がわからないのですか? 私はもしかしたら魔王よりもっとヤバいものを呼び出してしまったのですよ……」

「そ、それはそうかもしれないけど! ……いや、呼び出したのはアンタじゃなくてあたしだけどね!?」

「ニセ聖女の分際で何を調子に乗っているのですか? 正しい儀式の手順と力はホズミ教にしか継承されていないのです。思い上がるのもいい加減にしろなのです」

「はああああ!? それ、逆だから! マリア教だけが本当に勇者召喚を行えるんだけど!? 現に勇者様の右手はあたしの方に埋まってるじゃない!」


 これは伝説の勇者の像が右手で聖剣を掲げているポーズであることから、勇者は右手に敵を打ち滅ぼす刃を持つと言われている。

 そしてマリア教は開祖が攻撃力こそ大事だと思い込んでいたので、剣とそれを持つ手こそ勇者に重要だとしており、当代マリアはそれになぞらえて『右手側にいる自分こそが勇者を呼び出したのだ。なぜなら右手は重要だからだ』ということを言い出したのだ。


 一方でホズミ教の解釈はそれとは異なる。


「思慮深さをママのお腹に置き忘れたニセ聖女は哀れと言うよりないのです。勇者様の功績において真に重要なのは『多くの民草を守ったこと』で、そして守りの象徴たる盾を持つ手は左。つまり左手が埋まっている私こそが勇者様を呼び出したに決まっているのです」


 勇者は右手に持った剣を天へ掲げ、左手の盾で胴体を守るというポーズで像になったり絵になったりしている。


 そしてホズミ教は盾こそが重要だと考えているので、左手側により聖性があり、そちらの手が埋まっている自分こそが勇者を召喚したのだという主張になったわけだった。


 両方とも宗教的背景に基づいて自分が召喚した正当性を主張しているのだが、そもそも互いの宗教で重要視されているものが違うので、『ウチの宗教ではこうだから』を主張するばかりだと永遠に相手を納得させることができない。


 マリア教とホズミ教は万事この感じだ。

 マリア教で重要視されているものはホズミ教において軽視されがちで、また逆のことも言える。


 そういった背景から宗教論争においてこの二つの宗教が交わることはなく、勇者の言葉によって直接的な争い……ようするに『見える場所にケガが残ったりして勇者が悲しむような戦い』を禁じられていなければ、とっくにどちらかの宗教が滅びているだろうと言われていた。


 その争いは現代にもこうして続いており、勇者を挟んでツバを飛ばし言い争う二人の口げんかもまた、決着の気配がぜんぜんなかった。


 だから、二人の言い争いを止めたのは……


「チャート作成ができました。たぶんこれでいけるはず。では、用意スタート」


 勇者がいきなり行動を開始する。


 腹部に勇者の手を埋められている二人もまた、引きずられるように動かざるを得ない。


「ちょっと、勇者様!?」

「動くなら事前に言ってほしいのです……」


 マリアの声には責めるような響きが、ホズミの声にはあきらめがにじんでいた。


 勇者マサヒロは二人の言葉を聞かず、早歩きで洞窟を出て行く。


 こうして、勇者とそれにくっついたまま離れられない聖女たちの、魔王退治のための冒険が、なんか唐突に始まった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


キャラクター紹介

☆勇者 中田将大(ナカタ マサヒロ)

黒髪黒目、血色が悪く目がぎらついている痩せた青年。

この世界のことをゲームだと思っている。


☆マリア教聖女 マリア

赤髪赤目、スタイル良好の表情がよく変わる少女。

自分以外の聖女候補や対立するホズミ教への対抗心で聖女として活動している。

勇者とある程度会話して人生で初めて『早まったかも……』と思っている。


☆ホズミ教聖女 ホズミ

黒髪黒目、お子様体型の無表情少女。

普通に生きていたら聖女になってたので聖女として生きている。

世界を守りたい気持ちはそれなりにある。

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