第13話 ダメ人間

 確かに、自分はそこまでメンタルが強い訳ではないのかもしれない。


 現に、あのスキャンダルの話を聞いただけで、神経が過敏になっている。


 元より、アイドルの端くれとして、常に帰り道には気を付けているけど……


 カッ、カッ、カッ……


 気のせいだろうか?


 何だか、足音が迫っている気がする。


 まさか、週刊誌の記者、パパラッチ?


 あるいは……


「……あの、すみません」


「ひうッ!?」


 自分でもびっくりするくらい、情けないというか、乙女な声が出てしまう。


「あ、ご、ごめんなさい。驚かせてしまって」


「へっ?」


 そこにいたのは、記者でも不審者でもなく、か弱そうな女子だった。


「あの、ちょっと道を聞きたくて……」


「……あ、ああ」


 夢叶は呆然としながら頷きつつ、何とかその迷い子に道を教えてあげた。


「すみません、ありがとうございます」


 ペコペコとしながら去って行く女子を見送って、夢叶はため息をこぼす。


「早く帰ろう……」


 その後は、特に異変もなく、自宅マンションに帰宅することが出来た。


 それでも、やはりメンタルは落ち着かない。


 ずっと、感情が波を打っている。


 苦しく、切なく、もどかしい。


 この状態から、脱したい。


 夢叶はスマホの連絡アプリを開く。


 そこにある、彼の名前をタップしようとするけど……


『スキャンダルなんて、勘弁してよね~!』


 ……ふっと、その指を遠ざけてしまう。


 そして、スマホをテーブルに置くと、ベッドに横たわった。


「……情けない」


 もう20歳になる、良い大人のオンナなのに。


 自分で自分のメンタルを整えることも出来ないなんて。


 彼に頼らなければ、自分はやっていけない。


 思えば、あの時、電車で痴漢から助けてもらった時から。


 ずっと、彼の存在に依存しているのかもしれない。


 だとすれば、その状態は……


 ピロン♪


 ビクッと震えてしまう。


 夢叶は戸惑いつつも、ベッドからゆっくりと下りて、テーブルのそばに行く。


 チカ、チカ、とランプが光るスマホを手に取る。


 もし、事務所からの連絡だったら……


『夢叶ちゃん、こんばんは』


 その文面だけで、けれども確かな温もりが伝わって来るようだった。


「……奏太かなたくん」


 彼の名前を噛み締めるように呼ぶ。


 ぽち、ぽちと。


 いつもよりもたどたどしく、返信を打つ。


『こんばんは。どうしたの?』


『いや、今日はいつもよりも連絡が少なかったから、心配になって……』


 胸がキュンと締め付けられる。


『って、ごめん。何ていうか、彼氏でもないのに、そんな余計な心配を……』


『気にしないで、心配してくれて、ありがとう』


 あくまでも、冷静な文面を返すけど。


 胸の奥底は、ずっとキュンキュンしっぱなしだ。


 すぐ目の前に、彼がいなくて良かった。


 もし今そこにいたら、何の迷いもなく抱き付いてしまうだろう。


 それこそ正に、スキャンダル。


『奏太くん、あのね。しばらく、お仕事が忙しくなりそうだから……』


『ああ、そっか』


『だから、当面は連絡もあまり取れないかもしれないけど……落ち着いたら、また……会ってくれる?』


『それは本来、僕がお願いする立場というか、そもそも、お願い出来る立場でもないんだけど……うん、夢叶ちゃんが望むなら』


『何よ、それ。奏太くん、私の下僕なの?』


『げ、げぼっ……ひどいなぁ』


『うふふ』


 はぁ、本当に不思議。


 彼とこうしてやりとりをするだけで、モヤついた気持ちが一気に晴れ上がるようだ。


『じゃあね、私の下僕くん♪』


『ゆ、夢叶ちゃん?』


『おやすみ♡』


『えぇ~……おやすみなさい』


 スマホを置くと、口元がニヤッとしてしまう。


 さらに、自然と足のバタバタが止まらない。


「うきゅ~……」


 思えば、今まで生きて来た中で、こんな風に身悶えする経験など無かった。


 少なくとも、男子を相手に。


 昔、憧れのアイドルを見て、心が揺さぶられることはあったけれども。


「……奏太くん、罪な人」


 そう言いつつも、やはり口元は微笑んだままだった。




      ◇




 僕はすっかり、ダメ人間になってしまったかもしれない。


 いくら可愛い女子でも、人を下僕扱いするなんて、最低だ。


 それに対して、断固抗議するべきなのに……


「……下僕かぁ~」


 朝、半ばうつろな目で歯磨きをシャコシャコとしながら、感慨にふける僕がいた。


「まあ、夢叶ちゃんの下僕になりたい男なんて、この世にゴマンといる訳で……そう考えると、非常に栄誉なことなのかな?」


 ヤバい、推しを肯定したいがために、思考がハチャメチャになりかけている。


 僕も20歳の良い大人のオトコなんだから、しっかりしないと。


 ただでさえ、ドルオタやってキモい、なんて言われかねないのに。


 まあ、ラブッショは全国区で、国民的グループになりつつあるから、許されるかもしれないけど。


「よし、行きますか」


 とりあえず、学生の本分は勉強である。


 朝、1コマ目からというのは少々ツラいけど、仕方がない。


 しっかりと学び、単位を取る。


 その上で、バイトをして、お金を稼ぎ、推しに課金する。


 うん、これこそ、健やかなるドルオタライフだ。


 ていうか、そもそもみんな課金して、ようやく接触している中で、僕だけ無料のホットラインで繋がっているとか……うん、良くないよな。


 ちょっと、自重するか。


 ちょうど、夢叶ちゃんもしばらく忙しくて、連絡が取れないって言っていたし。


 この機会に、僕も以前の純然たるドルオタに戻ろうと思う。


 ドアを開けると、爽やかな青空。


「行って来ます」


 僕は誰にともなくそう言って、階段をくだり、アスファルトに繰り出す。


 大学までは、徒歩20分ほどの距離。


 ちょうど良い朝の運動だ。


 僕は気持ちを前向きにして、歩いて行く――


「お兄さん、ちょっと良いですか~?」


 そんな僕の出鼻をくじくかのように、背後から間延びした声が聞こえた。


「えっ?」


 振り向くとそこには、帽子を目深にかぶった、小柄な人物がいた。


「ど、どちら様ですか?」


 僕が問いかけると、


「……あなた最近、随分と仲がよろしいみたいですねぇ~?」


「はっ……?」


「ラブッショの愛乃あいの夢叶と……イチャラブしちゃってんじゃないの~?」


 この時、僕は頭が真っ白になった。




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