第9話 尊すぎた

 僕のスケジュールは、大学生だから当然ながら、基本的には講義があって。


 その上で、バイトがあったりと。


 ただ、プライベートな遊びの用事は、あまりない。


 全く友達がいない、ボッチってほどじゃないけど。


 プライベートでいつもつるんで遊ぶような男友達はおらず。


 ましてや、彼女なんていないから。


 大学生にとって、講義とバイトはデフォだと考えると。


 僕のスケジュールは空白だらけと言っても過言ではない。


 けれども、その空白が、一瞬で塗りつぶされた。


「あら、こことここも会えるじゃない」


「あの、夢叶ちゃん? ちょっと、予定を詰め込みすぎじゃ……」


「何よ、私と会うのが嫌なの?」


「いや、ていうか……僕はともかく、夢叶ちゃんは忙しいでしょ? 何たって、全国区のトップアイドルなんだから」


「それはそうだけど……時間をやりくりすれば、平気よ」


「そう? でも、僕と会って話をするくらいなら、体を休めた方が良いんじゃないの? 男性不信を克服することも大切かもしれないけど……」


「大丈夫。こうして、奏太くんとお喋りしていると、癒されるから」


「えっ?」


「奏太くんって、癒し系よね。そう言われない?」


「いや、そんなこと……初めて言われたかも」


「ふぅん? じゃあ、私が最初に……いえ、何でもないわ」


 夢叶ちゃんは、そっぽを向く。


 彼女とのやり取りの行き着く先は、いつもそこだ。


 そんな訳で、僕のスマホのカレンダーは空白だらけだったのだけど。


 一瞬にして、夢叶ちゃん色に染まってしまった訳だ。


 彼女に僕の日常が浸食される。


 いや、それは大いに結構というか、光栄なことであって。


 ていうか、身に余りまくる幸運な訳で。


 これ、後でとんでもないしっぺ返しとか来ないよな?


 幸福な分、この後が怖い。


 ジェットコースターの頂点から急降下するがごとく。


 正に絶叫してしまうような、大惨事が訪れないと良いけど……




      ◇




 そして、僕は今日もまた、夢叶ちゃんと会う。


 しかも、今回は前回よりも、ヤバい。


 だって、ここは……


「……カラオケ、ですか」


「うん。仕事の空き時間の時、けっこう利用するんだ」


「それは、発声練習とか?」


「そうそう。あと、1人で静かに過ごしたい時とか、ね」


「へぇ……」


「いま、私のこと、友達がいない可哀想な子だって思った?」


「そ、そんなことは……僕もそんな、友達がいないから」


「ふぅ~ん?……じゃあ、奏太くんの時間を私が……」


「えっ?」


「……何でもないわよ」


 ジロリ、と睨まれる。


 メガネ越しでこの眼力。


 直で食らったら、僕は必ず死ぬだろう。


 それくらい、愛乃夢叶は、絶世の美女なのだ。


 だからこそ、塩対応が許されている。


 一方で、だからこそ、塩されてムカついてしまうと。


 なかなかに、ジレンマを抱えていると思う。


「でも、夢叶ちゃん。1人でカラオケに来るの、やっぱり良くないかも」


「何よ、やっぱり寂しい女だってこと?」


「いや、そうじゃなくて……もし、変な男に襲われたりしたら……大変でしょ?」


「…………」


「あ、ごめん。余計なこと言っちゃって……」


「……心配してくれるの?」


「それは、もちろん……僕は夢叶ちゃんのファンですから」


「…………」


「えっと、何か怒っていらっしゃいます?」


 僕が冷や汗をかきながら問いかけると、夢叶ちゃんは小さく吐息をこぼす。


「私、他人をムカつかせることは得意だけど、自分がムカつくことはそんなにないの」


「そ、そうなんだ」


「でも、奏太くんといると……ちょっと、ムカついちゃう」


「え、えぇ!? ま、前に僕のこと、その……癒し系って言ってくれたのに」


「人というのは、矛盾した生き物だから」


「急に哲学!?」


「奏太くんは確かに癒し系だけど、同時にすごくムカつく系だわ」


「そ、それは……やっぱり、僕がなよっちいから? 自分のこと『僕』って言うのも、キモいかな? でも、それは昔からのことだし……」


 と、僕が勝手に人で悶えていると、


「……ぷッ」


 ふいに、夢叶ちゃんが噴き出す。


「へっ?」


「ごめんなさい……ちょっと、おかしくて」


「ひ、ひどいよ。僕はこんなに動揺しているのに……」


「ええ、そうね。私って、ひどい女。恩人の奏太くんに対して、こんな意地悪なことばかり言っちゃって」


「いや、まあ……」


「で、さっきの話に戻るけど。やっぱり、ヒトカラは危ないって思う?」


「うん、思う……かな」


「そう、だったら……これからは、奏太くんが付き添ってよ」


「えっ?」


「もちろん、タダでとは言わないわ」


 ふいに、夢叶ちゃんは変装用のキャスケットとメガネを外す。


 マイクを握って立ち上がった。


 選曲も何もせずに……


 声を響かせた。


 アカペラだ。


 そうだ、うっかりしていた。


 愛乃夢叶は、ラブッショ屈指の美女であり。


 また、ラブッショ屈指の歌姫。


 繊細かつ、どこまでも響き渡る芯の強さを感じさせる。


 ああ、そうだ。


 僕は彼女のこの声に、歌に、惚れたんだ。


 そして、彼女はマイクを下げる。


「……どう?」


 立ち上がった状態から、僕を見下ろす。


 彼女のキャラ的に、見下していると思われても仕方がないポーズだけど。


 そこには一切の汚れの感情が見受けられない。


 ただ、心の底から、自分の歌に自信を持っているからこその、ゆるぎない眼差し。


 それを向けられて、僕は……


「……好きだ」


「へっ?」


 思わず立ち上がり、


「僕、やっぱり、夢叶ちゃんのことが好きだ」


「へ、へえええぇ!? か、奏太くん……?」


 僕は彼女の手を両手で握り締める。


「良かった、夢叶ちゃんのファンでいて……最高だよ」


 そう伝えると、夢叶ちゃんは目を丸くして、口元が少しムスッとなるけど……


「……バーカ」


「えっ?」


「やっぱり、奏太くんって、すごくムカつくね」


「そ、そんな……もしかして、嫌われた? ていうか、ごめん! 握手会でもないのに触ってしまって……!」


「ええ、そうね。これは立派なセクハラ罪だわ」


「ああ、そんな、僕は何てことを……推しを汚してしまった」


 勢い良く立ち上がった状態から、僕はシナシナとへたれてしまう。


「……本当にバカね、君は」


 夢叶ちゃんも腰を下ろし、そっと僕の頬に触れる。


「夢叶……ちゃん?」


 気付けば、お互いに近しい距離で見つめ合う。


 素顔の、本来の夢叶ちゃんは、やはり死ぬほど美女だ。


「……直視できない尊さ」


「ぷッ、何よ、それ。私も君と同じ人間なんだけど?」


「いや、何かもう、違うと思う……何かごめんなさい」


「ちょっと、しっかりしなさいよ。今の私は……あなたが頼りなんだから」


 夢叶ちゃんは、慈愛に満ちたような笑みを浮かべる。


 けれども、その奥底で、心の揺らぎを感じた。


 圧倒的な美貌に怯えつつも、その瞳から伝わって来る。


 圧倒的な才能を持つがゆえに、不安定な彼女の弱さが。


 途端に、僕は背筋が伸びる。


「……夢叶ちゃん」


「なに?」


「僕は君のいちファンだ」


「……うん」


「そのことをしっかりと肝に銘じて……その上で、君が求めるなら、手助けをしたい」


 まっすぐに彼女の瞳を見つめて、僕はそう伝える。


 彼女の頑なな瞳が弾けて、直後にふっと笑った。


「……好きよ」


「へっ?」


「もちろん、私のファンとして……奏太くんのこと、大切に想うわ」


「お、おう……」


「ちょっと、何よそのマヌケな面は。あまり笑わさないでくれる? 喉の調子がイカれるわ」


「ご、ごめん」


「ふふ」


 当たり前だけど、僕はこのスーパーアイドル様に敵わない。




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