第2話 ひどい人

 朝イチで握手会に参加したから、昼過ぎには帰宅したのだけど……


 それから、ずっとボーっとしていて。


 気付けば、夕方になっていた。


「……分からない」


 友達は、一応いるけど。


 ロクに彼女もいた経験がないから。


 女友達もいないし。


 だから、女心というやつが、分からない。


 まあ、相手はただの女子じゃない、スーパーアイドルさまであって。


 そもそも、僕みたいな凡人には、推しはかれないんだろうけど。


『……ありがとう』


 塩対応で有名なアイドル、愛乃夢叶。


 事実、僕の目の前で、多くのファンたちが静かにぶった切られていた。


 だから、僕も当然、そんな風に撃沈すると思っていた。


 にわかだし。


 けれども……


「……ありがとうって、何で?」


 いや、会いに来てくれたファンにそう言うのは、何らおかしいことじゃないし、むしろ当たり前のことだろう。


 けど、スーパー塩対応な夢叶がそんな風に言ってくれたことが、おかしいのだ。


 いや、おかしいなんて失礼か。


 これはもう……奇跡としか言いようがない。


 普通なら、大いに喜ぶだろう。


 けれども、僕みたいな矮小わいしょうな男は、まずその事実を受け入れることが出来ていなかった。


 完全にキャパオーバーである。


 今までに人生、だいたい身の丈に合わないものは、あきらめて来たのに。


 今回、ちょっとばかし、チャレンジをしたものだから……


「……う~む」


 僕はおもむろにスマホを持つ。


 画面をタップして、メッセアプリを起動する。


 そこに表示されるのは、1人の友人。


 いや、友人と言えるほどではない。


 女子だし。


 そう、僕に女友達なんていない。


 この子は、そう、何ていうか……


「……イチかバチか」


 僕は久しぶりに、彼女に連絡を取る。


 以前、何度か連絡をして以来、途絶えていた関係。


 それをまた、繋ぐことに、僕はためらいを抱くというか、普通に緊張する。


『お久しぶりです。ちょっと、聞きたいことがあるのですが』


 前は、歳が近そうなこともあって、タメ口だったけど。


 やはり、時間が空くと、どうしても敬語になってしまう。


 まあ、本当に久しぶりのメッセだから、気付かずに放置される可能性も十分にある。


 とりあえず、気長に待つとして……


 ピコン♪


「……って、はやっ」


 スマホを確認すると、彼女からすぐに返事が来ていた。


『久しぶり。何か用?』


『あ、えっと……ちょっと、聞きたいことがありまして』


『うん、なに?』


『その……女心についてなんですけど』


 と、言うと、少しばかり返信が滞った。


 あれ、何かまずいことでも聞いたかな?


『……もしかして、彼女でも出来たの?』


『へっ? いやいや、そんなこと訳ないよ。僕なんて、モテないし』


『ふぅ~ん?』


『あの……あゆさん? もしかして、何か怒っていますか?』


『別に怒ってないわよ、天道くん?』


『それなら良いけど……』


『でも、またどうして、いきなりそんなことを聞くの?』


『いや、その……僕、今日アイドルの握手会に行ったんだ』


『……へぇ』


『ラブッショって分かるでしょ? その愛乃夢叶に会いに行って、握手したんだけどさ』


『うん』


『彼女、塩対応で有名でさ。実際、僕の目の前で、みんな撃沈していて。僕もきっと、そうなるだろうなって思ったら……何か、ありがとうって言われたの』


『……まあ、アイドルなら、普通じゃない』


『そうんだけど……あの塩対応で有名な、夢叶が……って思うとさ』


『何よ?』


『何か、ちょっと……僕にだけ、優しいのは……気のせいだよね?』


『……知らないわよ』


『で、ですよね~』


『……まあ、気になるなら……また、会いに行けば?』


『うん……そうだね。ウジウジしているのも、何か男らしくないし』


『あら、良いじゃない。そういう男子、嫌いじゃないわよ』


『ええ、本当に? ぶっちゃけ、あゆさんも夢叶と似ているっていうか……』


『ごめんなさいね、塩対応で』


『いやいや、何ていうか……クールで凛とした感じだからさ』


『そうでもないわよ……私だって、所詮は、か弱い女子だから。天道くん、よく分かっているでしょ?』


『ああ……』


 僕はふと、思い出す。


 彼女、あゆさんとの出会いを。




      ◇




 都会での暮らし、満員電車にも慣れて来た頃合い。


 僕は電車内にて、とある光景を目撃した。


 おっさんが、何か女子と距離が近い。


 心なしか、ハァハァ、と息が荒くて……


「……助けて」


 か細いその声が耳に届いた時。


 女々しいはずの僕は、柄にもなくその手を掴んでいた。


「こっち」


「えっ……?」


 まず、怯えていた彼女の手を引いて、助ける。


 次に、ゲスなおっさんを睨む。


「……ちっ」


 おっさんは、詫びもせず、そそくさと逃げて行く。


「しまった、追わないと……」


 と、僕が勇み足を出そうとした時、背後の彼女にしがみつかれる。


 彼女は涙目になりながら、首を横に振っていた。


 その後、僕らは次の駅で降りて、ベンチにて落ち着いてから話をした。


「大丈夫……な訳ないよね? 温かいココアで、少しは落ち着くかな?」


「……うん、ありがとう……ございます」


「いいよ、敬語なんて。たぶん、同じくらいの歳だよね?」


 僕が言うと、彼女はコクリと頷く。


「それで、本当に被害届は出さなくても良いの?」


「良いの」


 まだかすかに震える彼女だけど、そこだけは確かに否定をした。


 僕は、何かしらの事情があると察し、それ以上は何も言わない。


 ただ、しばらく黙って、彼女のそばにいた。


「じゃあ、僕はそろそろ……気を付けて帰ってね」


 そう言って、ベンチから立とうとした時。


「……あの」


「ん?」


「良ければ、なんだけど……連絡先を教えて」


「えっ?」


「その……お礼とか、したくて」


「そんな、気を遣わなくても良いのに」


 と、遠慮しつつも、僕は何だかんだ、彼女と連絡先を交換した。


「えっと……あゆさん?」


「うん……よろしく、天道くん」


「こちらこそ。とは言っても、所詮は田舎から出て来た、都会知らずの坊ちゃんだけど。だから、あまり頼りないと思うよ?」


「そんなことないわ……さっきのあなた、すごく……いえ、何でもないわ」


 そう言って、あゆさんはキャスケットのつばをつかみ、またメガネのフレームも直す。


 うつむいた顔が、ほんのり赤く染まって見えた。




      ◇




『そういえば、あの時のお礼、まだ出来ていなかったよね?』


『いや、そんなの良いって。僕はたまたま、その場に居合わせただけだから』


『でも、ああいった場面で、助けてくれるなんて……勇気のある行動だと思う。誰しもが出来ることじゃないわ』


『そんな買い被りすぎだよ……』


『……ちなみに、だけどさ。天道くんって……彼女とかいるの?』


『へっ? いや、だから、そんなモテないしいないよ』


『……じゃあ、さ。私が彼女になってあげようか?』


『…………はい?』


『まあ、あなたがお熱なアイドルさまには、遠く及ばないだろうけど……』


『そ、そんなことは……いや、でも……』


 俺はあたふたと、スマホをお手玉してしまう。


『……ごめん、冗談』


『じょ、冗談……』


 ホッとしたような、残念なような。


『でも、もし本当に、彼女が欲しくて、なかなか出来ないようだったら……いつでも連絡して』


『いやいや、そんな都合がいいこと……あゆさん、ぶっちゃけ、素顔はよく見たことないけど、可愛らしいからさ。きっと、モテるだろうし。僕なんかよりも、良い彼氏が出来るよ』


『……ひどい人』


『へっ?』


 それきり、彼女からの連絡は途絶えた。


「……僕、何かやっちゃいましたか?」


 これはもう、本格的に、女心を勉強しないとダメかもしれない。


 モテるとか以前に、女子を傷付けないためにも。




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