第3話 クラッシュ

 あゆさんを怒らせてしまってから、僕は自分なりにネットや書籍を利用し、女心について勉強してみて。


「……うん、さっぱり分からん」


 これは僕がバカなのか、それとも女心の理解というのがあまりにも難解なのか。


 分からない。もしかしたら、その両方なのかもしれない。


 だとすれば……


「……また、行くか」


 近日、また握手会が開催される。


 今回も、僕は1枚だけ、CDを購入。


 1枚だけ、握手券を獲得した。


 もちろん、会いに行くのは……


「……よし、行くぞ」


 と、僕は静かに気合を入れた。




      ◇




 当日、天気は快晴。


 まあ、屋内のイベントだから、あまり関係ないかもしれないけど。


 天気が良い方が、道中も健やかだしね。


 けれども……


「……うぅ、ハラが痛い……かも」


 誠に情けないと思う。


 あれだけ、かっこつけて意気込んでおきながら。


 結局は、このザマである。


 しかも、長い、長いこの列。


 僕、夢叶にたどり着く前に、漏らしちゃうかも。


 なんて、キモい心配事をしていたけど。


 確かに、並んでいる間、ずっと胃がキリキリ、腸がゴロゴロしていて。


 非情に落ち着きがなかったけど。


 さすがに、漏らすという最悪の事態にはならず。


 夢叶との2度目の握手の機会が、巡って来ようとしていた。


「夢叶ちゃん、好きです。結婚して下さい!」


「無理です」


「はい、次の方ぁ~!」


 相変わらずの、塩無双っぷり。


 はぁ、怖い、緊張する。


 けど、ここまで来たらもう、覚悟をして行くしかない。


 いざ、参る!


「次の方、どうぞ~」


 僕は勇み足を踏み出す。


 二度目ましての愛乃夢叶さんと対面する。


 この前は、ロクに何も言えなかったけど。


 今回は……


「あの、夢叶……ちゃん。僕は……」


 その時だった。


「……バーカ」


「……へっ?」


 一瞬、何が起きたかよく分からなかった。


「はい、次の方、どうぞ~」


 僕は白く意識が飛んだまま、とりあえず足だけ動かす。


「お、おい、あいつ何か……大丈夫か?」


 と、周りから心配される始末。


 確かに、今の僕はヤバい。


 体も心もフラフラのグラグラ状態だ。


 非情に覚束ない。


 今回もまた、帰宅までの記憶がなかった。




      ◇




「ぷはぁ~! 労働後のジュースはおいちいねぇ~!」


「こら、こころ。労働だなんて、夢のない言葉は使わないの」


「夢がないって言うか、おっさんぽいよね」


「はぁ~? この超絶プリチーなわたしに対して、何をおっしゃっているのかしらね~?」


 小柄でショートヘアの彼女、甘味かんみ心は頬をひくつかせながら言う。


「ケンカはよしなさい……あら?」


 ロングヘアーをなびかせる彼女、弓月理央ゆづきりおは、そっと歩み寄る。


夢叶ゆめか、大丈夫?」


 テーブルに突っ伏す彼女、愛乃あいの夢叶に声をかけた。


「……ねぇ、理央」


「なに?」


「私って……最低の人間よね」


「えっ?」


「おっ、ゆめっち。とうとう、自覚したかぁ~」


 心が嬉しそうに笑って言う。


「こら、心。だから、そんな言い方しないの」


「でもさ、りおりお~。ゆめっち、めちゃアンチ抱えているじゃん。その内、刺されるんじゃないの?」


「縁起でもないこと言わないでちょうだい……夢叶、本当に大丈夫? 何があったの?」


 理央が問いかけるも、夢叶はロクに返事も出来ない。


「ちょっと、私マネージャーを呼んで来るから」


「……平気、だから」


 夢叶は、スッと立ち上がる。


 セミロングヘアが、さらっと揺れた。


「ちょっと、疲れただけだから」


「そう……でも、何だか目が赤いわよ?」


「えっ……」


「あ、分かった、花粉症っしょ~?」


「違うから……ごめん、ちょっと1人にして」


 そう言って、夢叶は控室から出て行く。


「あ、夢叶ちゃん、おつかれさまで~す」


「どうも」


 すれ違うスタッフたちへのあいさつもそこそこに、トイレに入った。


 カチャリ、と個室のカギを閉める。


「…………はあああああぁ~」


 そして、深いため息を吐く。


「私って、本当にバカ……何で、あんなことを……」


 アイドルとして、余計なことは言わず、いつも平静を保つようにしている。


 それは私生活でも同じこと。


 けれども、彼を前にすると、なぜだか理性の抑えが利かなくて。


 どうしても、感情的になってしまって……


「……バーカなんて、終わっているでしょ」


 仮にもアイドルが、ファンに対して。


 いくら塩対応が認知されているとはいえ、明らかな暴言はNGだろう。


 アイドルとして、終わっている。


 そのことに対して、ショックを受けているのはもちろんだけど……


「……もう、来てくれないかも」


 彼は、思い悩んでいた。


 それでもまた、勇気を出して来てくれた。


 それなのに、私は……


「……自分が嫌い」


 夢叶は、頭を抱えてうなだれる。


 ままならない、自分の現状と感情がもどかしい。


 とても、苦しい。


 胸の内を、さらけ出したい。


 でも、それは出来ない。


 なぜなら、愛乃夢叶は、アイドルだから。


 1人の女として、よりもまず。


「……もう、仕事にだけ集中しよう」


 ポツリと、そう決意した。




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