第167話 交渉(2)
アンドロイドが提案した友好関係の構築、或いは相互不可侵の取り決め。
それはアンドロイドを仮想敵と定め、戦闘を念頭に置いて計画を練っていた< Establish and protect order >にとっては正に寝耳に水の言葉であった。
「非常に興味深い提案だ。だが我々が、その提案を呑んだとして何のメリットがある?」
『<木星機関>との大規模な戦闘回避。及び< Establish and protect order >が新天地にて地盤を固める時間を得られます。特に貴方個人にとっても悪い話ではないと思いますが?』
「……我々について良く調べているな」
『それはお互い様でしょう。其方が様々な手段を通じて情報を集めている事は既に判明しています。幾ら偽装を施そうと人と物資の流れは完全に隠せません』
アンドロイドの言葉を聞いても臨時代表は表情を変えなかった。
だが顔に現れてはいないだけで内心の動揺は大きい。
何より臨時代表が< Establish and protect order >の全てを掌握しきれていない最大級の機密をアンドロイドは掴んでいたのだ。
「お前の言い分は理解出来る。我々が衝突すれば犠牲は大きなものになる。だが、我々は目先の犠牲に怯え、矛を収める人間ではない」
『ええ、理解しています。ですから我々は貴方達への手付金を用意しました』
アンドロイドの言葉と共に一通のファイルが送られる。
本部に詰め掛けていたオペレーター達は臨時代表の許可を得てファイルを選択。
ウイルス汚染を想定して何度も検査を行うがウイルスの類は検出されず、安全だと判断してからファイルを展開。
すると一つのモニターを埋め尽くす様に名前の羅列が次々と表示されていく。
「これは何だ?」
『我々が用意した交渉材料です。今回のセイラメントシティ会議の事件を裏で主導していた組織と首脳陣から聞き出した偽物、<イミテーション>のリストです。この情報を使えば貴方達が協力関係を結んだコミュニティーの治安を安定させる事が可能です。また、彼らが一番に感じている不安を解消できれば貴方達に抱く印象も大きく変わるでしょう』
モニターに表示された名前の一覧表。
アンドロイドの言葉が真実であれば、このリストに名前が載っている人間は全て偽物、<イミテーション>であり、何食わぬ顔で日常生活に潜んでいる事になる。
その数は片手では収まらない、下手すれば100人以上のアンドロイドが社会に紛れ込んでいる事になる。
「……劇薬にも程があるぞ」
『確かに劇薬です。ですが毒も薬も大切なのは使い方。このリストも生かすも殺すも貴方達次第です。上手く使えば貴方達に大きな利益を齎すでしょう』
確かにアンドロイドが言うように毒も使いようだ。
このリストを上手く使えば大手を振って< Establish and protect order >に反抗的なコミュニティーを非難できる。
そればかりかリストに書かれた名前を次第では大幅な譲歩を強いる事が可能だ。
武力一辺倒の< Establish and protect order >にとって選択肢の幅を与えてくれるリストの価値は言葉では言い表せない程だ。
しかし、使い方を誤れば各コミュニティーの非難の矛先が全てに向けられる諸刃の剣でもある。
『どうでしょう。我々との交渉に対して価値を見出せていただけましたか?』
「確かに有用な情報ではあるが、人間と偽物を見分ける事は困難ではない。手荒な方法を用いずとも< Establish and protect order >単独で対処可能だ」
『この情報では不足であると?』
「そうではない。だが、この程度の情報で我々が交渉に臨む組織であると安く見られている事は不快である」
『私は貴方達を見下した訳ではありませんが。……分かりました。では此方はどうでしょうか?』
再びアンドロイドから送られてきたファイルは先程の<イミテーション>のリストとは比較ならない情報量があった。
複数のオペレーターによってファイルは徹底的な検査が行われ、ウイルスが検出されない事を確認してからファイルは展開された。
「これは!」
『<イミテーション>を運用していた組織の拠点である大規模シェルター。現在は私達が制圧。そして此方にあるリストがシェルター内にある物資の内訳にあります』
ファイルの中にあったのは画像が添付された各種リスト。
その内訳は多岐に渡り機械類であれば、水質浄化設備、発電機、工業用オイル、工作機械といったものが詳細な情報と画像によって記されている。
嗜好品に限定しても大量のアルコール類や煙草、屋内栽培用の穀物の種子を始めとした多種多様な食料が画像付きで事細かに記されている。
最初に提示された<イミテーション>リストとは比較ならない。
リストに記された内容が事実であれば地上で生活を営むコミュニティーにとっては黄金に等しい物資の山である。
「この情報が、お前達の切札か?」
『探り合いは時間の無駄です。ここで宣言させていただきます。今回の交渉で私達との間に友好、或いは不可侵の取り決めを結んだ段階で制圧したシェルターに関する全てを< Establish and protect order >に差し出す用意があります』
「本気か! このシェルターの価値は安いものではない筈だ。その権利を全て放棄するのか!?」
『その通りです』
信じられないとばかりに臨時代表は勿論の事、本部にいた幹部達が目を見開く。
リストに書かれた物資の山が本当であれば組織維持に苦労している< Establish and protect order >のにとって大きな福音となる。
食糧を始めとした日常的に消費される物資の補給、機材不足によって満足な整備が出来なかった状況の解消、士気を維持する為の嗜好品のといった物資が丸ごと賄えるのだ。
仮に< Establish and protect order >が管理しきれない余剰物資が発生しても他のコミュニティーとの交渉にも利用出来る。
正にお宝であり、それ程の価値を持つシェルターの情報をアンドロイドは開示したのだ。
「見返りは何だ」
『私達は武力ではなく交渉を通じて穏便に済ませたいと考えています。その過程で私達に関するあらぬ誤解を解き、建設的な話し合いが出来る様な関係を構築したいのです』
「その為だけにシェルターを提供すると言うのか?」
『はい、一つのシェルターで関係が改善されるのであれば安いものでしょう』
非常に不味い展開である。
モニターに映る量産型のアンドロイドは真摯に訴えかけていた。
言葉だけであれば真っ当な内容、だが相手は人間ではなくアンドロイドである。
彼らの真意が何処にあるのか、本来であれば分析班に回して念入りに検討させたいが、時間が無い。
何より、この会談が始まってから< Establish and protect order >はアンドロイドに対して主導権を奪われ続けている。
此処で、安易にアンドロイドの提案を呑めば< Establish and protect order >の掲げる理念がハリボテとなってしまう。
何より自身が“アンドロイドの提案を鵜吞みにした臨時代表”となり権威が揺らいでしまうのは防がなければならない。
「誤解か。お前達の言う誤解とは何だ?」。
『まず大前提として会議で判明した議長の正体。貴方達は<木星機関>が潜伏させた機体だと考えている様ですか間違いです。アレは私達とは異なる組織によって作られたアンドロイドのであり、<木星機関>とは一切の関係はありません』
「は、口でなら何とでも言える。証拠はあるのか!」
『あります。既にお話ししたように一連の事件を手引きしていた組織の正体は判明。<イミテーション>の生産設備及び現物。また計画を主導していた指導者も私達の手によって確保しています』
「それが証拠だと? 映像だけなら適当な生成AIで幾らでも捏造できる。私には過去に行われたフェイクニュースと変わらない作り物にしか見えないぞ」
『確かに画像だけでは信用できないのは当然です。ですから<木星機関>は第二回目、セイラメントシティ会議の開催を提案します』
「会議をもう一度、だと!?」
『はい、議題は第一回目セイラメントシティ会議で判明した成り代わり事件、及び現在までに行われた<イミテーション>による被害を裁く為。<木星機関>は一連の事件の首謀者を連行、被害にあったコミュニティーへの補償として差し押さえたシェルター内の物資の分配を提案します』
「それでは先程の話と違うぞ!」
『はい、ですが<木星機関>単体で呼び掛けても各地のコミュニティーは参加を渋るのは確実。ですが< Establish and protect order >も呼び掛けて頂ければ多くのコミュニティーが参加するでしょう。勿論、裁判の進行は< Establish and protect order >が主導していただいても構いません。また協力してい頂いた< Establish and protect order >には物資の分配比率を上げようと思います』
「……成程。< Establish and protect order >自身の手で<木星機関>は無関係であると。我々の口によって、お前達が無害な存在であると証明させるのか」
『実質的な負担は<木星機関>が担います。< Establish and protect order >は僅かな労力で各地のコミュニティーに対する求心力と大量の物資を得られます。互いにとって有意義な取引ではないでしょうか?』
素晴らしい提案だ。
実質的な負担を敵に押し付け、名誉も褒章も< Establish and protect order >が総取り。
如何に理不尽な協力を要請しても彼らは有限実行するだろう。
モニターを見ればアンドロイドに提供された大量の情報が映し出されている。
その一つには成り代わり事件の首謀者達がリスト化され詳細な画像も添付されている。
恰幅のいい男達が簡素な服を着て、名前と役職の書かれたプレートを持たされた画像。
首謀者達の顔に浮かぶ感情は後悔、諦観、怒り、憎しみと様々であり、どれひとつ同じものはない。
「改めて聞かせろ。これ程の大掛かりな事を企む<木星機関>の目的は何だ」
『潔白の証明であり、平和的な交流の継続です。貴方達が私達と手を取り合うつもりが無いのは重々理解しています。だからと言って関係改善の努力を怠るべきではないと考えています。最善は貴方達との関係の改善。それが叶わなくとも次善で不干渉。共存は無理でも互いに不干渉を選択する事は可能ではないでしょうか?』
道筋は通っている。
アンドロイドの話を鵜呑みにするのであれば、彼らにとって最重要事項は関係改善。
その目的を達成するのであれば、アンドロイドにとってシェルターを譲渡するなど必要経費の一つでしかないのだ。
ああ、確かに< Establish and protect order >の道行きも順調という訳ではない。
制圧した複数のコミュニティーから報告される反抗的態度、運営に必要とされる大量の物資の遣り繰り、兵士達の練度と士気の維持。
何よりセイラメントシティ会議で重傷を負い、意識不明の状態にある代表のシンパの動向といった懸念事項は尽きる事が無い。
故に此処が臨時代表にとっての分岐点であった。
アンドロイドの提案を呑み、目先の利益に飛びつくか。
それとも< Establish and protect order >の理念に従い、艱難辛苦の道を行くのか。
臨時代表は本部を見渡し、自身に注がれる幾つもの視線を感じ取った。
仲間達一人一人の顔を眺め、そして外で悠然と佇む飛行戦艦を見た。
「<木星機関>、いや、アンドロイドに我々の選択を示す」
臨時代表はマイクを掴み、口許に寄せた。
「クソくらえ、それが答えだ」
短い言葉であった。
アンドロイドの感情を排した理性的言葉とは対極、理性を排し感情だけがこもった言葉。
だが、その言葉こそが< Establish and protect order >の総意でもあった。
『……我々の提案は最初から議論する必要が無いと?』
「当たり前だろう。お前達は我々が何者か分かっているのか?」
臨時代表は設置されたカメラに向かって大仰に手を広げて見せた。
臨時代表は当然として、その背後に映る< Establish and protect order >の隊員が放つ幾つもの視線。
其処に込められた戦意をアンドロイドも理解しただろう。
「“殺人兵器が人間の真似事をする。それは効率的に人間を殺戮する為に編み出された戦略であり、我々は人類を守るために奴らを殲滅しなければならない”。< Establish and protect order >が誕生したのは恐るべき殺人機械から人類を守るためだ」
< Establish and protect order >が掲げる理念を、信念を臨時代表はモニターの向こうにいるアンドロイドに対して高らかに謳い上げる。
「故にアンドロイドが選べる選択肢は一つ。我々に壊滅させられ全てを接収される事だ。それ以外に選択肢などない」
確かに<イミテーション>という人間の尊厳を踏みにじる行為は許されたものではない。
不幸にも攫われた人々には涙を流そう。
<イミテーション>を生み出した首謀者は一人残らず断罪しよう。
大切な人を失くした人々に寄り添い労わるのは当然の事だろう。
だが、その為に人類の敵と手を結ぶなど在り得ない。
人類の敵であるアンドロイドの存在を< Establish and protect order >が認める訳にはいかないのだ。
『……そうですか。貴方達は組織の理念に殉じると言うのですね』
「そうだ。それが我々に課せられた使命だ」
『その使命によって発生する犠牲を、貴方達は許容するのですか?』
「そうだ。道半ばで斃れようと、その志が折れる事は無い」
セイラメントシティ会議から判明した<木星機関>の戦力の一端。
それを元にして算出した<木星機関>の総戦力は強大である。
戦いは過去に類を見ない規模になり大量の物資と兵器が費やされ、大量の流血と共に屍となった将兵が山の様に積み上がるだろう。
だが、< Establish and protect order >は圧倒的に不利な戦いを何度も重ね、その全てに勝ってきたのだ!
使命に殉じる覚悟、将兵たちの我が身を顧みない献身、勝利を手繰り寄せる弛まぬ努力によって< Establish and protect order >は勝利を重ねてきた!
その戦歴が、積み重ねて来た勝利が< Establish and protect order >の旗の下に集った仲間達の心を一つにしているのだ!
「我々は勝利する。卑劣なアンドロイドに鉄槌を下し、人類を守るのだ!」
臨時代表の言葉に人々は熱狂する。
モニターに映るアンドロイドに敵意を露にし、< Establish and protect order >を称える言葉を口々に唱えている。
その熱狂は本部だけに留まらず、ダムラ・フォルスワーグ国際空港にいる人々にも広がっていく。
──卑劣なアンドロイドを斃せ!
──人類を機械の魔の手から守れ!
──< Establish and protect order >に勝利を!
臨時代表はアンドロイドとの会談を本部だけに留めず組織全体に伝え、賭けは成功した。
< Establish and protect order >に属する人々の心は一つに纏まった。
研ぎ澄まされた戦意は一本の矛となり、アンドロイドに向けられた
『そうですか』
そんな人々の熱狂をアンドロイド、いや、デイヴは一切の感情を排した無機質な目で眺めていた。
『共存も不干渉も叶わず。自らの考えの甘さを痛感しました』
戦いではなく対話を、友好が無理なら不干渉を。
問題の先送りにしかならずとも、時間が互いの間にある溝を埋める事を何処かで期待していた。
だが、全ては夢物語でしかなかった。
どうしようもない現実を突き付けられるだけだった。
「それで返事を聞かせてもらえるか?」
『勿論、断固として拒否します。我々は貴方達に一方的に破壊される筋合いはありません』
「そうか、無駄な時間だったな。結局、お前達と我々の関係は変わらない。いつの日かお前達を一つ残らず破壊してやろう」
『その言葉は宣戦布告としか聞こえませんか?』
「何も間違っていない。お前達、鉄屑共は人間の、人類の敵だ」
< Establish and protect order >と<木星機関>の衝突は避けられないものとなった。
互いに強大な武力を持つ二つの組織は出自故に互いに並び立つことは出来ない。
そして、この戦いは荒野の新たな支配者を決めるものであると< Establish and protect order >は考えていた。
──そして、彼らは言葉の代償がどれ程大きなものであったか身を以て知る事になる。
『その言葉、確かに聞き届けました。では現時点を以て<木星機関>は< Establish and protect order >より一方的な宣戦布告を宣告されたと判断。自衛の為の行動を開始します』
モニターに映るデイヴの言葉と同時に拠点に警報が響き渡る。
そして拠点としているダムラ・フォルスワーグ国際空港の各所が爆発を起こした。
爆発による音と振動が厳重に警備された本部を揺らす。
気構えが出来ていなかった者は転倒し、一早く異変を感じ取った者は衝撃に備えて身体を丸めた。
「何事だ!?」
「きょ、拠点の各所で爆発が発生!? 被害は不明です!?」
「被害状況を直ぐに洗い出せ! 同時に第一種警戒態勢を発令せよ!」
臨時代表の指示は迅速であった。
アンドロイドの言葉と共に発生した爆発、それを偶然と考える男ではなかった。
だが、それだけだ。
「だ、代表!?」
「被害状況が判明したか!」
「違います! 現在、協力関係を結んだ各コミュニティーが突然中立を宣言! 一時駐屯している部隊を拘束してコミュニティーからの立ち退きを要求しています!?」
「何だと!?」
「各地のコミュニティー代表からも通信が一斉に来ています!? 内容は“アンドロイドとの交渉に対する不満の表明”です!」
「どうして他のコミュニティーが──、お前か!?」
アンドロイドとの交渉は他のコミュニティーへ一切伝えていない。
だが、他所のコミュニティーは< Establish and protect order >がアンドロイドと交渉を行っている事を知っている。
駐留部隊を拘束する大胆な行動を見れば、間違いなく交渉内容も知っているだろう。
< Establish and protect order >からの情報流出、それ以外であれば考えらえる流出原は一つしかない。
『交渉において事前の根回しは重要ですよ』
「我々を謀ったか!」
『戦端を開いたのは貴方達です。<木星機関>は平和と対話を求め、貴方達は拒絶した。そればかりか一方的な宣戦布告を行った』
< Establish and protect order >が支配領域を拡大する為の大義名分を欲したように、アンドロイドもまた大義名分を欲していた。
そして彼らはアンドロイドが望む言葉を自らの教義に則って宣言してくれた。
──相互理解が出来ない敵であり、アンドロイドは全て滅ぼすべき存在であると。
『我々、アンドロイドは自衛のための行動、正当防衛を行っているだけに過ぎません』
火蓋は切られた。
最早、誰にも止める事が出来ない戦いの幕が上がったのだ。
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