第160話 混沌の始まり
日が完全に落ちるまでに残った僅か数時間、荒れ果てた大地を夕焼けが照らす。
その茜色の空にはアンドロイド達が保有する輸送機が数多く飛んでいた。
編隊飛行する輸送機の行先はアンドロイド達の本拠地でありセイラメントシティ会議からの退却でもあった。
その輸送機の中でも特に高い火力と重装甲を併せ持った特別製の一機が他の輸送機に守られるような形で飛行していた。
その機体はアンドロイド達の重要人物であるルナリアの為の機体であり、中には護衛のアンドロイド達とサリアとマリナも乗っていた。
『それでルナお嬢様の容体は?』
『聴覚にダメージが認められましたが、姉さんが盾になったお陰で無事です。敢えて言えば姉さんの服がボロボロになった位です』
『分かりました。ルナお嬢様は勿論ですが貴方達も無事でよかったです』
その機体の中では今回のセイラメントシティ会議において交渉を担当していたマリナが本拠地にいるデイヴと専用回線を用いて通信を行っていた。
そして会議で何が起こったのか、代表であるルナリアの安否についての情報を共有している最中であった。
『はい、ですがこれで良かったのでしょうか?』
『状況は悪い、そう表現するしかありませんが最悪ではありません』
『……確かにそうですね』
マリナもサリアと同じ様に身に纏った服こそボロボロであるが機体の損傷は殆ど無い。
ルナリアもサリアもノヴァの偽物が起こした爆発に巻き込まれたが致命傷を負う事も無く本拠地へ帰る事が出来ている
誰一人殺される事も破壊される事も無く帰る事が出来ている、確かに最悪は免れたと言えるだろう。
『サリアがルナお嬢様の安全を第一にして逃走を選択したのは間違っていません』
『ええ、仮にルナお嬢様が死んでいた場合、姉さんは苛烈な報復を選んでいたでしょう。それ程までに彼女は残されたルナリアを思っていますから』
『ですがそうはならなかった。誰一人欠ける事無く無事に帰る事が出来た事を素直に喜びましょう』
『はい。ですが今後の方針を改めて設定する必要があります』
『同意します。特に従来活動の見直しは急務。ノヴァ様の捜索という基本方針は変えず、偽物への対応を追加する。言葉にすれば短いですがどれ程の準備が必要になるか短くない試算が必要です』
結論から言えばセイラメントシティ会議は存在そのものが破綻してしまった。
形骸化等という甘いものではなく、根本を司る理念すらまやかしであった。
それによって今回の会談に向けた協議や準備は全て無駄になってしまった。
だが一番重要な事実は何処かの組織がノヴァの偽物を仕立て上げた事だ。
それ程までにノヴァの偽物を掴まされた事はアンドロイド達にとっても大きな衝撃であったのだ。
しかしアンドロイド達の目的であるノヴァの捜索は継続され続ける。
だからこそ同じ事が二度と起こらない様に従来の活動、特に偽物への対策を急いで確立する必要があった。
だが活動を見直すだけでは足りない。
今日の出来事を機に変化した情勢についての対策も急いで行う必要があった。
『目下の最大の問題は一つ、議長が偽物になり替わっていた事でしょう。今回の会議は初めての顔合わせとなった議長ですが我々は彼を高度なサイボーグ化を施された人間と認識していました。ですがその認識は間違いであった』
『はい、議長の中身が判明した時の周囲の反応、一番身近にいた筈の秘書も同じ反応をしてたいた事から議長本人はサイボーグ化を一切行っていなかったとみるべきです。これは彼らの与り知らぬ処で議長が本物そっくりのアンドロイドと入れ替わっていたとみるべきでしょう』
ノヴァの偽物が起こした爆発、その威力そのものは実に中途半端であった。
爆薬を全身に巻き付けていた訳ではなく、生命活動に支障が生じない程度に体内に爆薬を仕込まれたせいもあるだろう。
自爆時点で離れたルナリアはサリアが盾となったお陰で致命傷を負う事は無かった。
会議場から出ようと入口に集中していた他のコミュニティーの代表者も離れていた事で怪我も少なく幾人かが骨片や金属片を多少浴びた程度で済んだ。
だが議長は違った。
自爆の直前に偽物が議長に詰め寄った事で正面から爆発の威力を受けてしまった。
その結果として議長の身体は吹き飛ばされ部屋の壁に勢いよく叩きつけられた。
そして議長の安否を確認する為に近寄った秘書が見た物は流れ出る鮮血や剥き出しになった骨や筋肉ではなかった。
剝き出しになった金属フレームと身体から流れ出る黒く濁ったオイル。
爆発によって捲れ上がり露になった議長の中身は人間ではなかった。
それを何の準備も無く目の当たりにした秘書達の衝撃はどれ程の物だったのか。
姿を見た秘書と職員達は誰もが同じように信じられないような目で議長だったモノを見ていた、見る事しか出来なかった。
『映像を見る限りだとアンドロイドではありますが我々とは少し異なる様ですね』
『はい、デイヴや姉さん、アランに五号。我々の様に自意識を獲得した個体ではありません。限りなく議長本人を模倣するように調節された個体です』
『とても厄介な、いえ、我々アンドロイドにとって途轍もなく大きな問題としか言いようがありませんね』
アンドロイドにとって途轍もなく大きな問題、情報共有として一連の映像を見たデイヴが放った言葉は実に的を射ている。
人間だと疑っていなかった筈の隣人が実はアンドロイドであった。
そんな事を突如として知らされた誰もが混乱し、最終的には隣人に対して際限のない恐怖しか感じられなくなるだろう。
そして人の口に戸は立てられない以上、セイラメントシティ会議で発覚した情報は様々な手段をもって拡散されるのは確実だ。
その過程で悪意の下で正確な情報は歪み、脚色され、原型を留めない程に変形する。
汚染された情報が拡散された先にあるのは隣人を疑い、猜疑心と不信感を際限なく膨らませる地獄の様な世界が待っているのは確実だ。
『ええ、全くです。加えて正体が発覚した後の状況悪化も酷いです』
『< Establish and protect order >の代表が意識不明の重体。爆発によって飛散した破片によって頸動脈を損傷、大量出血による意識喪失。3rdの映像を見る限りでは彼の部下による応急処置が間に合っています。しかし意識が回復するのが何時になるかは不明と』
『はい、不幸中の幸いと言っていいでしょう』
< Establish and protect order >の代表は運が悪かったと言う他ない。
爆発から離れており且つ異変が生じた直後は護衛によって代表は確かに守られていた。
だが小さな破片は守りをすり抜けて代表の頸動脈を裂いた。
確率は非常に低かった、それを運悪く引き当ててしまった。
それでも部下達が流れ出る血を抑え、必死になって応急処置を施し一命を取り留めることが出来た。
『そして此処から全てが狂っていきました』
それで話が終われば良かったのだが、──そうはならなかった。
『代表が倒れてから暫くすると部下の一人が突如として言い掛かりを……、いえ、あれは周囲に言い聞かせる為の演説だったのでしょう。今回のセイラメントシティ会議そのものがアンドロイドによって計画的された罠だと。コミュニティーの首脳陣を一堂に集めて抹殺、指導部を失い混乱するコミュニティーを占拠するのが目的だったのだと叫びました。私達の言葉にも耳を貸さなかった事から< Establish and protect order >は最早集団ヒステリーを起こしています』
代表を一時的に失った< Establish and protect order >は暴走を始めた。
議長がアンドロイドになり替わっていた事も彼らの暴走に拍車を掛ける結果となった。
混乱と狂乱が激しく渦巻く、会議場は正に混沌としていた。
異様な雰囲気が集まっていた全ての人々を飲み込んでしまった。
そうなってしまえばアンドロイドであるサリア達の言葉は勿論、アンドロイドの代表であるルナリアの言葉が届く事は無い。
そして命の危険を察したサリアの指揮の元でアンドロイド達は全ての交渉を放棄して急ぎ脱出を行った。
『まさか繰り上がりの臨時代表が彼以上にアンドロイドを敵視しているとは思いませんでした。最早自分達以外は全て敵だと心の底から思っているほどの横暴ぶりです。それでも我々が距離を置けばある程度の鎮静化する筈──』
『残念だが、それは無い』
サリアでもデイヴでもない通信。
それはコミュニティー内でノヴァの身柄を密かに確保する為に潜入していたアランからの通信であった。
『4th、今何処にいるのですか?』
『今も会議が行われたコミュニティーに潜伏している。そしてコミュニティーの現状だが開催前の陽気な雰囲気は吹き飛んでいる』
アランはその任務の特性上表立ってサリア達と協力する訳にはいかない。
それでも正体が判明しないギリギリの協力によってルナリア達は大きな損傷を負う事無く帰還する事が出来た。
そしてルナリア達がコミュニティーを去った後も潜伏を続け情報収集に努めていた。
『ルナお嬢様たちが此処を去ってから< Establish and protect order >が乗り込んで武力制圧を行った。先程、行政施設の占拠を終え、議長を除いた首脳陣が壇上に吊るしあげられている。映像は共有するか?』
『お願いします』
アランからの映像が共有され映し出される。
其処はコミュニティーの中央が上から見渡せる小さな部屋だ。
先程まで戦闘が行われていたのか廃屋となった建物が幾つもある
コミュニティーの中央にある広場には市長を除いたコミュニティーの首脳陣が縄に括られて片膝を着いていた。
そして拘束された首脳陣の前には< Establish and protect order >の臨時代表が立ち声高に演説を行っていた
『この場に集ったコミュニティーの皆様、我々は< Establish and protect order >です。
恐らく此処にいる人々は何故我々がこの様な非道を行うのか怒り、憎んでいるでしょう。
しかし、これには正当な理由と証拠があります。
まず我々の代表であるルーカス・アンダーソンが倒れた原因を作ったのは此処に並べられた卑怯者達のせいです。
それだけでも許せないが、だが我々が一番許せないのはコレだ!
この醜い機械が何かわかるか?
これがお前達を従えていた市長だ、その正体だ!
お前達の市長は人間では無かった、この皮膚の下にあるのは醜い金属と汚らしい油だ!
お前達は人間の振りをした機械に従っていたのだ!
お前達は此処に集った首脳陣を皆殺しするつもりだった!
噓だ、信じられない、出鱈目だ、嘘を吐くな?
ふざけるなよ、それは我々のセリフだ!
お前達は人類を裏切っていた、それが、たった一つの真実だ!』
『これは……不快と言う他ありません』
『私も同じです。これは演説ではなく< Establish and protect order >によるコミュニティーへの一方的な断罪です』
『その通りだ。そして残念な事に彼の演説はまだ終わっていない』
臨時代表による断罪染みた演説は其の熱量を上げていく。
広場に集まっている< Establish and protect order >の兵隊達は臨時代表の一挙手一投足に沸き立ち、声援を送っている。
『我々はアンドロイドに支配されたコミュニティーを解放する。
その為にお前達をこれから一人一人念入りに調べていく、何処に人間モドキが潜んでいるか分からないからだ。
抵抗はするな、抵抗した瞬間にアンドロイドであると判断して即座に射殺する。
これは悪ではない、これは正義である。
人類を破滅させた恐るべき災厄から守る事こそが我々の存在意義だからだ!
そして我々< Establish and protect order >は悪のアンドロイド軍団を許しはしない!
この場に集った代表者達! 我々は再びアンドロイドの魔の手から人間を守る為に協力するべきなのだ!
我々の共通の敵、我々の背後に潜むアンドロイド──」
『これ以上は見るのは無駄でしょう』
デイヴは4thから送られてくる映像の視聴を打ち切った。
映像の記録そのものは行っているがこれ以上視聴する意味が無いとデイヴは判断し、マリナもアランも反対はしなかった。
映像から読み取れるのは憎しみと怒り、恐怖と怯えのみ。
其処に理性が介在する余地はなく狂乱に浮かれる人と怯える人がいるだけだ。
『幸いと言っていいのか分からないがコミュニティーの首脳陣は吊るし上げに留められて生かされている。これは処刑のタイミングを計っているか或いは餌にして反抗組織になり得そうな人間を誘き寄せているのだろう。客観的に見れば狂気に侵されている様に見えるが冷徹な判断能力を喪失していない。敵対組織としては面倒な部類だ』
『4thの言う通りなのでしょう。今後、彼らは占拠したコミュニティーを中心にして周囲に点在するコミュニティーを順次占拠……、彼らの言う解放を行うつもりでいます』
『願望と断片的な情報で作り上げた妄想に過ぎないのに。一体何を根拠にして──』
『市長が人間ではなくアンドロイドだった。彼らにしてみればこれ以上の根拠は必要ないというだけです』
『ですが、こんな八つ当たり──!!』
『八つ当たり、確かに私達にしてみれば事実無根の言い掛かりに過ぎません。ですが彼らの中ではアンドロイドが全て仕組んだという物語が一番納得できる物語なのです』
『人間は信じたいものを信じる悪癖がある。今回はその典型だ。必要以上に深く考える必要はないぞ、3rd』
『ええ、そして近い将来、私達と彼らの衝突は避けられないものとなります』
『軍事組織が集団ヒステリーを起こすなんて笑えません。それどころか狂犬達を躾けていたのが意識不明の代表とは予想外にも程があります。そして結論から言えば私達の活動は全て無駄になりました。ノヴァ様の偽物を掴まされ、これまでのイメージアップ改善が全部、……全部無駄になりました』
『マリナ』
『……本当に、どうして』
これまでに収集された情報を精査と分析を行って導き出された結論。
その未来予想図の中でアンドロイドは絶対的な敵として人々の中に再び刻み込まれる。
今迄行ってきたアンドロイドのイメージアップや活動は全て無駄になる。
そんな未来を叩きつけられたアンドロイド、特にマリナは頭を抱える事しか出来ない。
これから人々の間に紡がれるのはアンドロイド対する憎悪と怒り、先の無い未来が人々に齎す不平不満、抑圧的な支配に対する恐怖と怯え、保身の為の密告と裏切り。
単体であったのなら何とか対処出来たかもしれない。
だが市長がアンドロイドに成り代わっていた事を起点にして爆発した感情とそこから生じた一連の出来事。
燎原の火の如く燃え盛る狂気と狂乱は容赦なく回りを焼き尽くしていく。
火の手を抑える事は最早不可能だろう。
何より様々な感情が複雑に絡み合い、大火となった惨状を抑える術をアンドロイド達は誰も導き出せなかった。
『……すみません、デイヴ。少し感傷的になっていました』
『謝らないで下さい。貴方は何も悪くありません』
『そうよ、マリナは何も悪くないわ』
落ち込んでいたマリナが通信を聞いて振り返ると其処にはサリアがいた。
機体には大きな損傷が無いサリアだがルナリアを抱えて会場から急ぎ逃げ出した際に身に纏っていた服はボロボロになっていた。
『サリア、ルナお嬢様は?』
『寝ています。今日一日だけで色々な事があり過ぎましたから』
『姉さん、替えの服が機内にはあった筈だけど?』
『後で着替えます、それと服が汚れているのはマリナも同じです』
『私も後で着替えますよ』
通信で軽口を交わしながらサリアはマリナの傍に腰かけた。
傍に近付いたサリアを改めて見ればルナリアを爆発から庇ったこともあり全身が煤に塗れ汚れていた。
不謹慎ではあるが普段のサリアを知っているマリナからすれば新鮮な姿でもあった。
少なくとも今は身嗜みに気を使う余裕がサリアにはなく、些事と思える程に優先順位が下がっているのは間違いない。
そんな妹へ励ましの言葉を掛けるので精一杯であったサリアへマリナは何と声を掛けていいのか迷った。
何故なら今回の身柄の引き渡しはルナリアと同じくらいサリアも期待していたのだ。
だが現実は残酷であり、二人の目の前に現れたのはノヴァを騙る偽物であった。
それがどれ程の衝撃なのか姉妹機であっても推測する事しか出来ず、完全に理解する事は不可能だ。
だからマリナが出来た事は静かに姉の傍にいる事だけだった。
そして二人は暫くの間、輸送機の窓から差し込む夕焼けが機内を茜色に染めるのを何も言わずに眺め続けた。
『──諦めましょう』
だからこそ、その言葉を聞いた時にマリナは耳を疑った。
反射的にマリナは横にいるサリアを見たが特に慌てている訳でもなく、酷く混乱している訳でもない。
ひどく疲れた表情を煤に汚れた顔に浮かべていただけだ。
だが通信ログに残っている発信者は間違いなくサリアのものである。
だからこそマリナは信じられなかった。
『姉さん?』
『諦めましょう、ノヴァ様の探索を』
マリナの聞き間違いではなかった。
飛行中の騒がしい輸送機の中マリナはサリアを信じられないモノを見る目で見つめた。
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