第142話 男の叫び

 何の前触れもなく帝都を揺るがした原因不明の振動。

 それは今も収まる事無く揺れ続けており只事ではない事態が起こっていると対峙しているノヴァとエドゥアルドは互いに理解していた。

 しかし帝都の更に入り組んだ地下で対峙している二人には殆ど影響はなく、睨み合いが中断しただけに留まっている。

 エドゥアルドが弱体化した訳でもなく、戦況がノヴァに有利になった訳でもない。

 戦力的にノヴァの不利は変わらず、真面に戦っても万に一つも勝ち目がないのは明らかである。

 ならば逃げるしかないと即座に判断したノヴァは懐から閃光手榴弾を取り出すと安全ピンを外してエドゥアルドに投げつける。


「Hey,エドゥアルド! お前に渡すものがある受け取れ!」


 本来であれば何も言わずにエドゥアルドに投げ込むだけでいい。

 だがノヴァが相手にしているのはエドゥアルドである。

 ならば利用できるものは何でも利用して少しで効果を増すためにノヴァは一芝居を演じる事にした。


 対するエドゥアルドは絶賛ノヴァぶっ殺すモード。

 しかしノヴァに対して一方的に抱いていた情と肉体年齢に引き摺られたエドゥアルドはノヴァに投げつけられた物が閃光手榴弾とは知らずに素直に受け取ってしまった。

 そして受け取った物が何であるかを理解するよりも速く強烈な閃光と音がエドゥアルドの五感を塗り潰した。


「ノ、ノヴァアアアア!?!?」


 特別な調整を施したエドゥアルドの肉体は常人とは比較にならない程に強靱である。

 だからこそ遮る物が無い状態で閃光手榴弾を無防備に食らったエドゥアルドは無傷では済まず、優れた肉体だからこそ苦痛も人一倍にあった。

 閃光手榴弾から視界を守ったノヴァは強烈な光と音で五感を狂わされたエドゥアルドを放置して走り出す。


 エドゥアルドの研究室から脱出する経路は限られている。

 巨大な水槽を備えた広大な研究に入る際に通った分厚い隔壁染みた扉は閉鎖され悠長に開ける時間はノヴァにはない。

 それは研究室にある他の出入り口も同様、エドゥアルドが部屋のセキュリティを握り続けている現状はハッキングでもしない限りは利用する事は不可能。

 よってノヴァは正規の出入口ではなく既に目星を付けていた非常用出口に向けて全力で走り──その行く手を遮る様にエドゥアルドの触手が放たれた。

 ギリギリで気が付いた事でノヴァは咄嗟に身を翻して触手を躱し致命傷を避ける事が出来た。

 だが触手は止まる事なく突き進み非常用出口を破壊、止めとばかりに周辺に積み上げていた資材の山を倒壊させて非常用出口の入口を埋める。


「うそぉおおおお!?」


「逃がさない! お前だけは絶対に!」


「復帰早すぎ! 間近で爆発した筈だろ!?」


「何十年も使い続けて間取りは記憶に焼き付いる! そもそも此処から逃げようとすれば非常用出口しかないのは少し考えれば分かる事だ!」


「そりゃそうだよな! チクショォオオ!」


 ノヴァの逃走計画は意図も簡単にエドゥアルドに見切られてしまった。

 急いで他に使えそうな出入口がないが探すも見つからず、残ったのは最初に通った鋼鉄製の隔壁が下ろされた出入口のみ。

 正に万事休す、最早ノヴァに打つ手なく、事ここに至れば潔く諦めてエドゥアルドに殺されるしかない。

 誰もがそう思えてしまう程にノヴァは追い詰められていた。


「私に殺されなさい! ノヴァアアア!」


「嫌に決まってんだろ! バーカァア!」


 しかし非常用出口を物理的に埋め立てられ、詰みとしか言いようがない状況に追い込められようとノヴァの脚が止まる事は無い。

 鋭利な触手を振り回して追跡をする少年エドゥアルドに対してノヴァは持ち込んでいた爆弾や銃弾に加えて研究室にあった機材を手当たり次第に投げつけながら逃げ続ける。


「あ! その機材は貴重な──」


「喰らえや! オンボロ機材投擲!」


「それは貴重な研究資料──」


「オラ! 弾けて輝け研究資料!」


「止まれぇえええ、ノヴァアアア! 此処にある物がどれ程貴重な物が理解していないのかぁあああ!」


「殺そうとしてくる奴の言う事を聞く訳ねぇだろー! バーカバーカァア!」


 研究室の中央には上位個体であるエイリアンを収めた巨大な水槽が配置されているが他にも多くの機材、装置が部屋の中には設置されている。

 どれもエドゥアルドが長年使い続けて来た道具であり、壊れた物は共食い整備等を繰り返しながら騙し騙し使い続けてきた代物である。

 貴重な研究資料等も帝都で利用可能な保管庫が少ない事から多く収蔵されておりエドゥアルドが積み上げて来た成果である。

 そんな思い入れがある品々がノヴァによって微塵の容赦もなく全力で投石され、爆破され、破壊されていく。


「前提として自分の研究所に招いておいて『お前を殺す』宣言をする方が悪いんだよ! 殺される方は全力で抵抗するに決まっているだろうが!」


「それでも貴方なら此処に在る物がどれ程貴重な物かは理解できるでしょう!! それを投げつける所業が罪とは思わないのですか!」


「罪より命の方が大事だ、馬鹿野郎! それ以前に耐用年数を超過したオンボロ使って正しい計測結果が出る訳ないだろうが! 研究資料も以下同文! 廃棄だ、廃棄だ!」


「だから投げつけるなと言っているだろうがぁああ!」


「だったら此処から俺を逃がせや! そうしたら全部終わるんだよ!」


「嫌だね! お前は此処で殺すと決めたんだ!」


「この頭でっかちがぁああ! こんな薄暗くてジメジメした所で研究するから新人類とか変な事を考えるんだよ!」


「研究者として室温、湿度管理は万全にしている! 菌糸類の繁殖などは今迄1件たりとも起こしていない!」


「そういう意味じゃないんだよ! 日常として過ごす環境が悪すぎるんだよ! だから頭にマジックマッシュルームが生えた様な気持ち悪い思想しか出て来ないんだよ!」


「馬鹿にするな! 私の絶望は本物──」


「過酷過ぎる特定環境下で芽生えた感情なんて不必要なバイアスが掛かっていて当たり前だろうが! 再現性のある環境を一から学び直して来いや!」


「ノヴァアアア!」


「図星を突かれたからってキレてんじゃねぇよぉおおお! 中身詐欺のクソショタジジイイイイイ!」


 死にたくない、殺されたくないノヴァは此処に着て凄まじいしぶとさを発揮してエドゥアルドの研究室の中を全力で逃げ回る。

 隻腕など理由にもならない、火事場馬鹿力で様々な機材を投げ付ける。

 研究資料、試薬、備蓄薬剤などあらゆる物を用いて雑な即席爆弾を製作しては間髪入れずに全力で投擲する。

 ノヴァは手持ちの武器に留まらず、研究室に置かれているありとあらゆるものを利用してエドゥアルドに向って投げて、投げて、投げ続ける。


 機材が宙を飛び、資料が散逸し、触手が飛び交い、爆弾が爆発し、銃弾が飛び交う。

 罵声と共に爆発が起こりエドゥアルドの研究室が破壊されていく。

 その度にエドゥアルドが研究者として長年積み上げ続けた様々な物がガラクタに様変わりしていく。

 帝都における本拠地であり、自分だけの研究所であり、エドゥアルドの人生そのものである世界が崩壊していく。

 その様な惨状を見せ付けられたエドゥアルドには余裕と呼べるものは一欠けらも存在しない。

 今迄被り続けて来た仮面さえ簡単に吹き飛び、一秒でも早くノヴァを止めようと触手を放ち、全力で動き続けた。


「止まれぇえええ! ノヴァああああ!?」


 だが命懸けの鬼ごっこは突如として終わりを告げた。

 触手を放ちながら全力でノヴァを殺そうと走っていたエドゥアルドが突如して呻き声あげながら頭を押さえて蹲ったからだ。


「なんで……、接続が! 此処で、違う、接続深度が、私じゃない、総統! 一体何を考えているんだ!」


 自分を鬼気迫る様子で追い掛けて来たエドゥアルドが蹲ったのは脱兎の如く逃げ続けるノヴァの目にも入った。

 その尋常ではない様子から何かしらの大きな問題が起こっているのは容易に察せされる。


「一体外で何が、これは……反応が次々に消えていく? 一体何が──待ちなさい!」


「待つわけないだろぉ!!」


 だがエドゥアルドがどんなに苦しもうとノヴァには一切関係が無い。

 それどころか千載一遇の機会を逃すまいとノヴァは研究室の出入口に向かって走り出す。

 そしてエドゥアルドが動けない事を利用して隔壁の操作端末をハッキング、出入口を塞いでいる鋼鉄製の隔壁を開放する為に急いで端末の操作を始める。


「ああぁ、頭が、割れる!? これ以上の接続深度は危険だと制限を掛けていた筈なのに総──あのクソ野郎は正気なのか!?」


「苦しそうだなぁ、エドゥアルド! ご自慢のテレパシーが仇になった気持ちはどうだ!」


「黙れ! これは一時的な現象に過ぎない! 私の理想とする運用とはかけ離れている!」


「現実が理想通りに進んでくれたら誰も苦労しないわ! 想定外なんて代物は世界に溢れているもんだ! 予想外、想定外、在り得ない可能性、そいつらに対応できる余裕がない時点で計画は破綻しているんだよ! 殺したジジイと中身が同じなら、実はお前も分かっているだろ!」


「黙れ黙れ駄れ黙れ黙れ駄れぇえええ!!」


 エドゥアルドの胸の内から嘗てない怒りが沸き上がる。

 その怒りに突き動かされた触手の矛先をノヴァに向け放とうとするが一本も動かすことが出来ない。

 その原因はテレパシーを介してエドゥアルドの頭に流れ込んでくる膨大な情報。

 放置すれば頭を沸騰させる程に流れ込む情報を捌くだけでエドゥアルドは精一杯であり、そのせいで満足に身体を動かす事が出来ないでいた。

 そしてノヴァが此処から逃げ出せてしまう可能性が出て来た事でエドゥアルドの理性は瞬く間に焼き切れた。


「──ノヴァァア!! お前に何が分かる、お前に私の何が分かる!!」


 ノヴァが指摘した計画の破綻──そんな事は当の昔に判明している。

 計画に施した修正の回数は数え切れない、それでも計画を放棄せずに突き進んだのは人の醜さを見続けて来たからだ。

 救うに値しない生物であると自分に言い聞かせてきたが故だ。


 そうでなければ、そうでなければ──余りにも報われない。


「死にたくない、殺されたくない、そして一人で死ぬ勇気もない! 優しさを、勇気を容易く食い潰す恐怖を、恐れを感じた事はあるのか! それでもと己を貫ける強さを持つ人間なんていない! それがこの世界だ!! 変わり果て、壊れてしまった世界だ!!」


 呪詛が零れる、内に貯め込み、心の奥底に沈め、狂気の仮面を被った男の内面が零れ落ちていく。

 最早、自分が何を言っているのかエドゥアルド自身にも分からない、分からないからこそ吐き出される言葉は紛れもない男の本心であった。


「お前も何れ私の様になる! 人の醜さに絶望し、自分が呪われた種族の一人である事に耐えられなくなる! お前は私と変わらない、鉄の心を持つ人間じゃない! 醜く悍ましい毛深いサルでしかない!」


 吐き出される言葉は呪いを帯びている。

 血を吐くように紡がれる言葉には真っ黒な言霊が込められている。

 言葉を投げつけられるノヴァは耳を塞いでいても良かった、本来であればそうするべきだった。

 隻腕でハッキングを行っているから、刻一刻を変わる状況に対応出来るように情報を遮断したくなかったから。

 理由は色々あり、だが何れも決定的な理由にはならなかった。


「うるせぇええ!!」


 そして投げつけられた呪詛に返す言葉をノヴァは思い付く事は出来なかった。

 自分が何者であるかを理解しているから、自分が世界にとって異物である事を身をもって知っているからこそノヴァは唯只管に大声で叫ぶ事しか出来なかった。


『操作を受け付けました。これより隔壁を解除します』


 そして二人の叫びにしか聞こえない会話は機械的な音声が響き割った事で中断される。

 外への道を閉ざしていた隔壁の固定装置が重苦しい駆動音を響かせながら次々と解除されていき閉ざされた扉が開き始める。


「救われたいと思う事が罪なのですか──」


 その光景を見た事でエドゥアルドは扉へ近付くノヴァに向けて小さく呟く。

 先程までの鬼気迫った雰囲気は掻き消え呟かれた言葉は本来であれば喧騒の只中に消えていく小さな言葉でしかなかった。

 狂気に堕ちた男の記憶の奥底、最後に残った思い。

 それが何故かノヴァの耳に届いた。

 届いたうえでエドゥアルドに一瞥もくれる事無くノヴァは先に進む事を選び──隔壁の開いた隙間からクリーチャーが我先にも雪崩れ込もうと押しかけて来た。


「うにゃぁあああ!? 雪崩れ込んで来やがった!?」


 隔壁の開いた小さない隙間を埋める様にクリーチャーの手足が差し込まれる。

 後ろ髪を引かれまいとした決意は余りのもホラー染みた光景を前に吹き飛びノヴァは転がる様にして扉から離れた。

 だがノヴァは今更他の出口を探そうとは思わない。

 研究室の出入り口は限られ、通過出来そうな場所は目の前の扉しかないのだ。

 ノヴァが急ぎ懐を探るも持ち込んでいた大量の爆弾も弾丸も既に尽きている。

 そして最後に残ったのはお守り代わり装備していたありふれたコンバットナイフ一本だけである。

 それを理解したノヴァは大きなため息を吐くと共にナイフ一本を構える。

 相手となるのは隔壁の向こう側にいる大量のクリーチャー、もはや勝機は微塵も見つからない圧倒的に不利な戦いが待ち受けている。

 それを理解しているからこそノヴァは自分を鼓舞する為にも勇ましい言葉を吐き出す。


「いいぜ、掛かって来いよ! てめえらなんて怖くもねぇ!」


 ナイフを持つ隻腕が小刻みに震え、構える為に開いた脚は地面に張り付き、冷汗が全身から止めどなく流れる。

 それでも最期に残った体力と気力全てを絞り出す為にもノヴァは気持ちを落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。

 そして暫くしてクリーチャーが通れる程までに隙間は広がり、其処から一番乗りで現れたクリーチャーに向けてノヴァは雄叫びを上げる。


「野郎ぶっ殺してや──」


 しかし、雄叫びを上げたノヴァの眼前で隔壁が突如として爆発、一匹目のクリーチャーは爆発の勢いのまま研究室の奥へバラバラになって吹き飛ばされた。


「今度は何事ぉおお!?」


 爆発は隔壁に詰め掛けていたクリーチャー巻き込んで起こったようであり、研究室の中に次々とバラバラになった死体が飛び込んでくる。

 だが研究室に勢いよく飛ばされたのはバラバラにされて死体となったクリーチャーばかりではなく、僅かに焼け焦げただけの五体満足のクリーチャーもいた。

 それら爆発から生き残ったクリーチャーは呻き声と共に立ち上がり─その直後に隔壁の向こう側から響いた銃撃によって頭部を吹き飛ばされた。


「全部隊突入せよ!」


「Ураааааааа!!!!」


 そして銃撃から間を置かずに研究室に雪崩れ込んだのは何処か見た事がある外骨格を装備した武装集団。

 彼等は爆発から回復して立ち上がろうとするクリーチャーに銃弾が撃ち込み、一匹たりとも見逃したりはせずに物言わず死体に変えていく。

 迷いが一切無い立ち回りと洗練された戦技から正体不明の武装集団の練度は非常に高い。

 それとは別に訳が分からぬと現状を理解しきれていないノヴァは先程までの決意が一体何だったのかと遠い顔になり──その直後に武装集団の中から見知った顔の人物が現れた。


「ボス、ご無事ですか!?」


「えっ、なんでタチアナが、プスコフが此処にいるの!?」


 ノヴァの目の前に歩兵用装備に身を包んで完全武装したタチアナが現れる。 

 そして何処かで見た事がある外骨格がプスコフの物であると理解出来た瞬間にノヴァは大声を出した。

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