第131話 帝都上級憲兵ノヴァ
フルスイングした点滴棒は碌な防御も取れなかったデブの頭を華麗に振り抜いた。
速度と重さが合わさった理想的なノヴァの一撃はデブの意識を即座に刈り取り、肥え太った身体は保護しようとした老人に折り重なるようにして倒れた。
そして老人は老人で潰れたカエルの様な呻き声を上げており、覆い被さったデブを退かす筋力はないのかジタバタと藻掻いていた。
そんな喜劇染みた一幕を経てノヴァは幸運にも大した労力をかける事無く二人を無力化した。
「……よし、身包み剝がそう」
無力化出来た二人を見てノヴァは無意識に呟き、加えて降って湧いた幸運を逃す事無く山賊染みた行動力を発揮した。
下敷きになった老人はノヴァよりも小さいので衣類は使えないので投げ捨てる。
それでも一通り身包みを剥がすと嫌がる老人を医療ポットに入れ無事に拘束。
意識を失ったデブからは拳銃を奪うと殴って叩き起こし銃で脅し自分で脱がせた後に老人と同じように医療ポットに押し込んで拘束をした。
その後にポットに保護液を流し込んでは溺死したくなければ質問に答えろと脅迫を行い知る限りの情報を吐かせた後にノヴァは治療が行われていた部屋から抜け出した。
「サイズは誤魔化せたが……臭いな」
ノヴァが治療を施されていたのは老人が密かに経営する個人病院だったようで薬物はそれなりの物が常備されていた。
それら薬品を使って制服から漂うデブの体臭はある程度消臭出来たつもりでいたがノヴァの予想以上にしぶとく制服にこびり付いていた。
それでも幾らかマシになったと自分に言い聞かせてノヴァは着慣れない帝国警備隊の制服を着用して病院の屋上に出ると外の風景を眺めた。
其処からはメトロで帝都と呼ばれる大型シェルターを一望する事が出来た。
大戦時に作られ多くの人が地下で過ごせるように地下を掘り抜き自己完結型のアーコロジーとして作られたシェルターは巨大であった。
小さな都市が丸ごと収まっていると言っても過言でなく、また住民達が圧迫感を感じない様にドーム状のシェルターを生かし地下でありながら広い空間を確保していた。
それは古いSF映画や小説に登場する地下都市そのものであり、限定されてはいても地上での暮らしを再現しようという熱意に溢れながらも優れた設計の元に建造されている。
「此処が帝都か……、腐った果実と言っていたエドゥアルドの言葉は嘘ではなかったか」
だが幾ら優れた建造物であろうと設計当時の万全の状態が永遠に続く事は無かった。
使えば摩耗し、年月を経て劣化し、僅かな環境の変化が重なり腐食する宿命からは逃れる事が出来なかった。
ドームの天井には地上の天気を模した映像を映し出せるパネルが敷き詰められていたようだが大部分が剥がれ落ち骨組みだけが残っている。
僅かに残ったパネルはシェルターの中央に集められ、其処だけが奇麗な星空を映していた。
その他の地域は薄暗い闇の中、辛うじて電灯らしき光源が規則的に灯っているが中央から離れるにつれて疎らになり暗闇が濃くなっていく。
そして一番ノヴァが気になるのが帝都の空気だ。
地下で生活を営むのであれば空気の適切な管理は欠かせず、そうしなければ空気の出入りが乏しい地下の空気は簡単に淀んでしまう。
空調設備が壊れたのか、設備を動かす電源が不足しているのか帝都の現状をノヴァは知らない。
だが帝都と呼ばれる大型シェルターの空気循環は滞っており埃っぽく淀んでいた。
それは正に帝都と呼ばれる死に掛けのシェルターが放つ腐臭の様だとノヴァは感じた。
「確かにアイツの言う通り此処は帝都と華々しい名を名乗っているが腐りきる一歩、いや三歩手前の世界だ。あながち間違っていないな」
そんなメトロで流れる噂とかけ離れた帝都の現状を見てノヴァは自然と口から乾いた笑いが零れた。
だが何時までも観光気分で帝都を見学出来る立場ではないノヴァは帝都の全体を眺め終えると今度は屋上から見える一つの建物の観察を始めた。
視線の先に在るのは帝都に数ある警備施設の一つであり、治安維持を仕事とする憲兵達が集まる場所である。
出来れば関わりたくない、だが施設の中にはノヴァが帝都に誘拐された時点で身に着けていた装備が押収され保管されていた。
「装備品として押収されているのか武器と端末。武器のリボルバーは隻腕で使えるか? まぁ、あれば回収、一番大事なのは端末だな」
武器は最悪回収できなくてもいいと割り切れるが、普段使いしている端末は絶対に回収しなければならない。
改良を重ねたノヴァの端末はハッキングツールとしても一級品でありノヴァの能力を発揮するには欠かせない道具である。
何より隻腕となり戦闘に大きな支障をもつ現状を鑑みれば戦闘を避ける小細工をする為にも絶対に回収したい代物だ。
「行くしかない。現状で戦闘が不可能なら小細工で乗り切るしかない」
その為にもノヴァは警備施設を屋上から観察を行い、何とか抜け道を探そうとしていた。
使われていない部屋、壊れた扉でも何でもいい、侵入口になりそうな箇所をノヴァは探していた。
だが必死になって突破口を探しているノヴァとは正反対に警備施設に勤める職員達は外からでも分かる程やる気がなかった。
碌な監視もせず暇つぶしなのか施設に設置されたモニターに大勢が集まり、和気あいあいと騒いでいるのが大半。
参加していない職員は真面目に勤務しているかと思えば彼らも本らしき物を読んでいるか寝ているかである。
一目で分かる程に職務態度は最悪であり、施設は殆ど機能していないとしか見えない。
これからノヴァが行う事を考えれば施設に勤める職員が無能であった方が都合は良い。
そう思ってはいても、あの有様で帝都の治安は守れるのかと無関係の人間でありながらノヴァは心配になった。
「……まぁ、運が良かったと思うしかない。取り敢えず武器は拳銃一丁と予備弾倉三つ。隻腕でどれ位殺れるか。いや、戦闘は最後の手段、奪った身分証となるカード二枚でどうにかするしかないか」
武装を確認した後にノヴァは懐から二枚のカードを取り出した。
それは老人とデブから奪った物であり、帝都において命と同じくらい大切な代物な身分証である。
この薄い一枚のカードには市民の階級、立場、資産といった様々な情報が紐づけられている。
さらに物によっては帝都における各種施設のセキュリティパスも兼ねる等何でもアリの万能カードである。
当然市民は与えられたカードを大切に扱い、損失、強奪された場合は即座に帝都行政府に連絡をしなければならない代物である。
実際に老人とデブはカードを返してくれとポッドの中で叫んでいたが、中に保護液を溺死ギリギリまで注入すると命乞いと共に色々と話してくれた。
そのお陰で一先ずノヴァがカードを使う方に困る事は無い。
そして運よくノヴァが持っているデブと老人の立場はかなり高いらしく使い方によっては帝都において大抵の事は可能らしい。
「それじゃデブの振りをして装備を取り返しますか」
結局、腐っても警備施設であるので侵入口になりそうな箇所をノヴァは発見出来なかった。
ならば残された最後の手段をするためにノヴァは奪ったカードを観察した。
カードから肉眼で確認できる情報は名前と階級のみ。
顔認証に用いられるバイタルデータは中央行政府等の高セキュリティ施設のみ採用されて他の場所では与えられたコードを告げるだけで問題ないらしい。
これが事実であれば奪ったカードをノヴァが使用しても直ぐにばれる可能性は低いだろう。
暗証番号も一通り聞き出している事から問題なく使える筈である──、デブが嘘を言っていなければの話だが。
何はともあれ取り敢えず行動方針が決まったノヴァは改めて奪った制服の皴を出来るだけ伸ばす。
そして背筋を伸ばして病院から出ると怯える事無く、堂々とした態度で正面から施設に乗り込んだ。
制服と態度からノヴァはそれらしく見えたようで歩哨に立っていた若い職員が慌てながら帝国式の敬礼を行う。
その姿を横目で見ながらノヴァはタチアナとマリソル中尉に教えてもらった帝国式の略式敬礼を返し警備施設の中へと入り受付に要件を告げた。
「タルス・ボルコフだ。此処に一時保管されている物資の受け取りに来た」
「……カードを確認します、照会できました、コードを入力して下さい。……此方も問題ありません。では保管庫まで案内します」
受付にいたのはこれまた仕事に対する熱意が欠片も無くだらけた中年男性であった。
中に入って来たノヴァを見るなり顔を顰めていたが、それでも制服を見てから少し態度を変えて仕事をすることから最低限の職務意識はあったのだろう。
受付から立ち上がるとノヴァを伴って施設の中を進んで行く。
大勢の職員がモニターに張り付く部屋を通り過ぎ、廊下を進んで行った先にある保管庫と書かれた部屋に入る。
中には多くの戸棚と共に様々な物が置かれており、男はその中にある戸棚から一つのトランクを取り出しノヴァに差し出した。
「これです」
受け取ったノヴァが部屋にあった机の上で施錠されていないトランクを開くと中には回収されたリボルバーと弾丸、そして目的であった端末が入っていた。
「確かに確認した」
目的の物を回収したのであれば此処に用は無い。
手早くノヴァは装備が入ったトランクを持って警備施設を出ようと動き出した。
「……因みにですが、右腕は如何なされたのですか」
だが部屋を出ようとしたところで案内をした男がノヴァにも聞こえる様な声でわざとらしく呟いた。
ノヴァが視線だけ向けると男の顔が醜く歪んでいるのが見えた。
回りくどい言い方をしている事から確証は無い、だが無視できない程度の違和感があるので揺さ振りを掛けたのだろうとノヴァは当たりをつけた。
「名誉の負傷だ。帝都を腐らせるゴミの掃除で失った」
「ゴミの掃除、最近その様な動きがあったとは聞いていませんが……」
男は態とらしく困惑した言葉を口にしているが顔は笑ったままだ。
その態度から察するに男はノヴァを脅そうとしている。
そして見逃してほしければ何かしらの賄賂を寄越せと言いたいのだろう。
だが生憎現状のノヴァは老人とデブから奪った物資以外に賄賂になりそうな持ち物はなかった。
「……君は馬鹿かね」
「は?」
故にノヴァは一計を案じて演技をする、口から心底呆れた様な声を出して男を馬鹿にした。
サリアから教わった一通りの礼儀作法と所作、キャンプ生活で鍛え上げられたコミュニケーションを駆使して存在しない上司に仕える隻腕の男をノヴァは演じる。
「聞こえなかったのかね。私は馬鹿と言った。そもそも君と私の立場は違う。堕落した君とは違い、私に任せられる仕事は重大だ。この言葉の意味が君には分からないのかね」
傲慢且つ尊大に、後ろめたい事等一切ないとノヴァは男に告げる。
君と私では階級が異なり、何より任される仕事は全く異なるものであると。
その私が任された仕事が君程度の末端職員が知れる情報であるとは思い上がりも甚だしいと語気を強めて告げた。
それは男の予想していた反応とは違ったのだろう。
嫌らしい笑みは露と消え、困惑した表情を隠す事も出来ずに男は次に何を言い出せばいいのか選べずに口籠った。
そしてノヴァは男が逡巡した隙を逃す事無く語気を強めながら追撃を畳みかけた。
「これだけ言われても分からないのか。君の名前と階級は?」
「はい?」
「聞こえなかったのかね。私は君の名前と階級を尋ねているのだ。君の上司は部下にどの様な教育を施しているのか──」
「いいえ、そんなつもりでは無かったのです! 出過ぎた事を聞きました!」
先程の態度とは打って変わって男はノヴァに対して最上級の敬礼を行う。
それを見たノヴァ少しだけ語気を弱めながら男に語りかけた。
「分かればいい。それとこの件は内密にしてくれると助かるのだが?」
「はい、私は何も見ていませんし、聞いてもいません」
「よろしい。実に模範的な対応で助かるよ」
追撃の様に放たれた言葉に押し切られた男の態度が急変するのを見たノヴァは悟られない様に内心で大きなため息を吐いた。
実際の所は奪った制服とカードが大きいだろうが、それらに見合った態度を取り続けた事が男の止めになったのだとノヴァは考えた。
そして未だに再会出来ていないサリアの一連の指導にノヴァは感謝しながら警備施設から出て行こうと歩き出した。
だがノヴァは出て行く途中でモニターを囲んでいる男達の大声が聞こえ脚を止めた。
「ところで彼らが今見ているのは?」
「ああ、今代の革命軍が行う最後の攻撃です。薄暗い地下において我々の様な者たちの楽しみの一つですが──」
ノヴァの質問に付き従っていた男が答えた。
革命軍とは現在の帝都に対して反乱を企てた人々が組織した武装勢力の名前である。
放置するには危険な組織であり帝都は彼らをありとあらゆる手段で捕まえて治安を維持して帝都の平和と安全を守っている──、というのが筋書きである。
実際の所は帝都に不満を持つ人間を密告や監視を通して炙り出し革命軍というレッテルを張りつけているだけだ。
そんな人々を帝都のシステムを掌握している行政府が一方的に捕まえて殺すゲームがモニターに写されている映像の正体である。
貧弱な武装の革命軍に対して潤沢な武装を纏った帝都の部隊。
それは一種のリアル鬼ごっこ、ただし捕まれば殺される革命軍に対して圧倒的に不利なゲーム。
それが今や帝都に広く放送され人々のストレス発散を兼ねた残酷なゲームショウとなっているのだ。
そして主催者である帝都から逃れた革命軍は現状一人もおらず、男達の賭けの対象は挑戦が成功するかではなく、新年祭が終わるまでに彼らが何人生き残れるか、何時迄に全滅するかに掛けているのだ。
挑戦者が絶対に勝てないゲームを前にして騒ぐ男達を見てノヴァは小さな声で呟いた。
「……反吐が出る」
「何か言いましたか?」
「いいや、何も」
ノヴァはモニター群がる男達から視線を逸らすと足早に歩き出した。
そして警備施設から出る直前になってもう一度脚を止めると制服のポケットに入っていたタバコを取り出して男に渡した。
元はデブの持ち物だがノヴァには必要ない代物であり処分と賄賂を兼ねた譲渡のつもりであった。
「そうだ、これはお礼だ。受け取ってくれ」
「あ、ありがとうございます!!」
タバコの銘柄に詳しくないノヴァだが男が予想以上に喜んでいる事からそれなり物であったと判断した。
そうして必要な物を回収したノヴァは警備施設から離れると近くにあった無人の建物の中にカードを利用して入る。
どうやらつい最近になって放置されたのか中に積もった埃は少なく、近くのスイッチを押せば問題なく備え付けられた電灯に光が灯った。
一通り部屋を見渡した後にノヴァはトランクの中から装備を回収して身に着ける。
そして端末を部屋に備え付けられていた通信回線に繋いで操作を始めた。
「……気持ち悪い」
端末を操作して帝都のシステムに干渉するノヴァの脳裏に浮かぶのはモニターに映っていた映像だ。
革命軍と大層な名を付けられてはいても実態は一方的に狩られる弱者である。
そんな殺戮を帝都の住人達は見世物として受け入れ楽しんでいる。
その異様な在り方はノヴァにとって只不快であった。
「……こんな場所、燃えてしまえばいいのに」
ノヴァは悪口を零しながら端末の操作に集中する。
元から悪かった気分を更に悪くしながらノヴァは何とか外部に連絡が取れないかと帝都のシステムへの干渉を始めた。
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