帝都動乱

第130話 目覚めてこんにちは

 ──眠い、只管に眠い。


 やるべき事がある筈なのにノヴァの身体は一切言う事を聞かない。

 身体だけに留まらず思考するだけの力も無くなっていく。

 ぬるま湯の様な睡魔が思考能力を奪っていく。

 抗おうとする気力すら奪う暴力的な眠気に晒されたノヴァは暗闇の中を揺蕩っていた。


『……──』


『──……──』


『──……』


 しかし繰り返される睡眠サイクルの中でノヴァの意識が僅かに浮上した瞬間に暗闇から響いてくる音を意識が捕らえた。

 光など届かない闇の中であっても聴覚はどうやら無事に機能している様で外界から聞こえる僅かな音を途切れ途切れに拾っていた。

 ノヴァは何とか目を開こうとするも耐え難い睡魔の前には無力であり、ノヴァは瞑ったままの目を開ける気力すら出す事は出来なかった。

 それでも僅かに聞こえて来る音に耳を澄ませば話し声の様に聞こえた。

 

『……治療は完了で……。麻酔が効……日一日は起き……しょう』


『有難う…………たのお陰…………が悪化しなくて済みま……』


『そ…………の仕事で…………りも彼が例の…………?』


『はい、今の帝…………要な人物で…………』


『貴方の言う事…………実力は疑ってい……んが……』


『ええ、分か…………す。総統に…………伝えておき…………今は新年祭…………』


 だがノヴァが思考が保ったの其処までだった。

 再び意識が遠くなる、暗闇の中にノヴァの意識が沈み始める。

 


『…………──』


『…………、………………』


 聞こえてきた話し声の意味を思考する事はもう出来ない。

 話し声らしき音を右から左へ流していくことしか今のノヴァには許されず、浮上した意識が再び暴力的な睡魔によって暗闇の中に沈んでいく。

 僅かに戻った思考も暗闇の中に融けていきノヴァは再び音も光も届かない暗闇の中に落ちていった。






 ◆






 あれからどれ位経ったのか分からない。

 思考も出来ず、されど酷く心地よい暗闇の中にノヴァの意識は漂っていた。

 それは暖か過ぎず寒すぎない心地よい温もりが齎す原始的な安心感に包まれているような感覚であった。

 だが心地よい暗闇の中にか細い光が差し込んだ。

 それは外界からの刺激であり、時間と共に強くなっていく光はノヴァの意識を絶えず刺激した。

 そして光が強くなると共にノヴァを包んでいた眠気が晴れていき、程なくして意識が呼び起こされた。


 そうして心地よい眠りから覚めたノヴァが目を開くと突如として強い光が差し込んだ。

 その余りの眩しさにノヴァは再び瞼を下ろした、瞼を突き抜ける光を感じながら明りに目が順応するのを待った。

 そして目に痛い程であった光を無事に受け入れると瞼を開き露になった視界は目の前に広がる風景を取り込み始めた。


 光を放っていた物は天井に吊り下げられた電灯であった。

 そして電灯の周囲を眺めると幾つもの剥き出しの配管が行き交う見覚えのない天井が視界一杯に広がっていた。

 身に覚えのない光景を目にしたノヴァは起き抜け直後の朦朧な意識のまま口を開いた。


「ぼぼぼぼ……

(知らない天井だ……)」


 出てきた言葉は創作の世界で何度も使われ続けたお決まりのセリフ──、だが何故かノヴァの耳にセリフは聞こえてこなかった。

 耳に聞こえて来るのは言葉ではなくブクブクといった泡立つ音、水の中に吐き出された空気が奏でる水泡音であった。


「ぼぼ? ぼっ、ぼぼぼ! 

(ぼぼ? えっ、何何!)」


 何が何だが分からない異常事態に遭遇した事で寝ぼけていたノヴァの意識は急速に覚醒する。

 だがそのお陰で今の自分が透明な液体に満たされたポッドの中に浮かんでいる事をノヴァはそれほど間を置かずに理解した。

 熱すぎず冷たすぎない程よい温もりを齎していたのは透明な液体に全身浸かっていたお陰、そして液体の中に全身沈められていながら呼吸が出来るのは口許に付けられたシュノーケルの様な機材を咥えているから。

 それだけでもお腹一杯なのに身体の至る所に電極の様なコードが取り付けられているのだ。

 ノヴァの脳裏には液体が満たされたSF的なポッドに浮かぶ自分の姿とありありと浮かび上がった。

 そしてより詳細に自分の状態を確認しようとノヴァは身体を動かし──、改めて全身を見た瞬間に我慢できずに叫んだ。


「ぼぼぼぼぼぼぼぼ!! 

(全裸じゃねぇかぁぁああ!)」


 ポッドの中に浮かぶノヴァは服を身に纏っていなかった。

 病衣もパンツすらなく文字通りの素っ裸である事を理解した瞬間、ノヴァは沸き上がる羞恥と共にポッドの中で暴れ回った。

 問題なく動く手足で目の前にあるガラスの様に見えるポッドの容器をノヴァは叩き壊そうとした。

 しかし叩きつけた手足に返って来るのは鈍い音だけ、容器が割れる気配は一切なくノヴァは只々無駄に体力を消耗するだけだった。


「おや、もう目が覚めたのかい?」


 だがポッドの中で騒いだお陰か一人の人間がポッド越しにノヴァの前に表れた。

 白衣を着た男性は目元の皴からして恐らく50歳は超えているだろう、そんな人物がポッドの中で暴れているノヴァを興味深く観察しながら話しかけてきた。


「ぼぼぼ、ぼぼぼ、ぼぼぼぼぼおぼぼ! 

(助かった、そこの人、俺を此処から出してくれ!)」


「ふむ、バイタルは正常。怪我の治りも順調だがもう少し中にいた方が良いか。少しばかり元気過ぎるが、まぁ大丈夫だろう」


「ぼぼ、ぼぼぼぼ、ぼぼぼぼぼ! ぼぼぼぼ! 

(おい、おっさん、聞こえているのか! 返事をしろ!)」


「取り敢えず大きな問題は無い、と。……さて定期検査を終えたら視聴に戻るか」


「ぼぼぼぼぼぼぼぼ!!!! 

(返事をしろやクソ爺ぃいい!!!!)」


 呼び掛けに一切の反応を見せない老人に対してノヴァは切れた。

 老人がポッドの傍にある操作画面を注意深く眺めている事からノヴァに付けられている電極からバイタルデータを読み取り操作画面に表示しているように見えた。

 であれば観察の邪魔をしてやるぞとノヴァは怒り共にポッドの中で激しく暴れ回り、上下に飛び跳ねた。

 閉じ込められたストレスを発散するかのような激しい運動は心拍数を筆頭としたノヴァのバイタルデータを勢いよく乱した。

 そして老人の操作端末には乱れに乱れた数値が表示され平然としていた白衣の男の表情が困惑に包まれた。

 老人の余裕のある表情が崩れ、次第に慌てふためいていく姿を見た事でノヴァは妨害が成功した事を確信した。

 それと同時に表示される数値が激しく乱れた事からノヴァが完全に覚醒していると気付かされた男が慌てながらポッドに浮かぶノヴァに話しかけた。


「ちょっと動かないで! 乱れる、数値が乱れるから大人しく! 話を聞くから落ち着いてくれたまえ!」


 男から言質を引き出したノヴァは渋々動きを止めた。

 そして、もし話を聞かない様であれば再び動き回ってやろうとノヴァは顔を顰めながら男に視線を合わせた。


「ああ。完全に覚醒したようだね。おはよう、私は君の治療を任された医者だよ」


「ぼぼぼっぼぼぼ、ぼぼぼっぼっぼ! ぼぼっぼぼぼっぼぼぼ!! 

(エドゥアルドの仲間か、それ以前に此処は何処だ! 正直に答えないとまた暴れ回るぞ!!)」


「何を言いているか分かりませんね~、うそうそ、暴れないで、騒がないで!! 質問内容は、えっと、分かったから!! 僕はあれだ、エドゥアルドの知り合いで此処は帝都だよ! 怪我を負っていた君の治療をエドゥアルドに任せられて帝都でも貴重な医療ポッドを使っている所だ! 肋骨の損傷や右腕の骨も一応繋がってはいるけど激しく動かすとまた壊れるから当分の間はこの中で君には過ごして欲しい! だから動かないで、暴れないで、質問には答えたから安静にしてよ!?」


 暴れ回るノヴァに肝を冷やしたのか白衣を着た老人はノヴァを何とかを鎮めようと色々な事を自分から話した。

 それを聞いたノヴァは知りたかった情報が聞けたので一先ずは老人の言う通りにポッドの中で大人しくした。

 漸く大人しくなったノヴァを見て老人は大きなため息を吐き出した。

 たが老人の耳には今度はノヴァがポッドの容器を指で定期的に叩く音が耳に届いた。


『──── ──── ・-…… …… -・ …… ・──-・(ココカラダセ)』


 音につられて老人が視線を向けるとノヴァとポッド越しに視線が合う。

 何かを伝えようとしている事は老人にも理解できたが、それがモールス信号であると気が付かず何を意味しているのか理解出来ずに老人は悩んだ。

 老人が悩んでいる間もノヴァはポッドを一定のリズムで叩きつけていたが結局老人は意味を理解することが出来なかった。

 それでも老人は勘でノヴァはポッドから出せと言っている様に聞こえた。

 仮に間違っていたとしても老人は先程から勝手気儘に暴れ回るノヴァに対して文句を言うために口を開いた。


「意味は分からないけど君はポッドから出せないよ。君の治療はエドゥアルドから任された大切な仕事だ。もし失敗して彼の機嫌を損なえば今の地位から引き摺り落とされてしまう、それか最悪殺されてしまうだろう。そんなのは御免だ。理解したなら大人しくもう一度眠ってくれ」


 そう不機嫌を隠さずに言い放った老人はポッドの中でノヴァが睨みつけようが気にする事も無く乱れた服装を手で軽く整える。

 そして足早に歩き出しノヴァが止める間もなくポッドが設置されている部屋を出て行った。

 その結果ノヴァは独りポッドに閉じ込められたまま部屋に取り残された。


「ぼぼぼぼ……

(一体どうしよう……)」


 ノヴァは独りになったポッドの中でプカプカと浮かびながら考えた。

 まずノヴァが素直に出してくれと言っても白衣の老人は強い否定と共にポッドから出してくれない事は確定した。

 それ以前に治療と言っていた事から列車での戦闘による負傷を治すためにポッドに入れられたのだろう。

 事実としてエドゥアルドの馬鹿力で蹴られた胸や骨を砕かれた右腕に痛みは無い。

 ポッドの中で暴れ回った際にも痛みが無かったことから嘘ではなく本当に治療されていた。


「ぼぼぼ、ぼぼぼ……

(だけど左腕は失ったままか……)」


 しかしエドゥアルドに斬り落とされた左腕はそのままだった。

 上腕の中程から切り落とされたまま、本来腕があった筈の場所には何もない。

 左腕を動かした感覚があるのに追従する腕は既に失われている。

 それは夢でも幻覚でもない、どうしようもない現実であった。


「ぼぼっぼぼ! 

(落ち込むのは後!)」


 だが何時までも落ち込んでいられないと気持ちを切り替えた。

 今のノヴァにとって時間は非常に貴重なものである。

 あれ程ノヴァに執着していたエドゥアルドが他人に治療を任せたのだ。

 どうしても外せない用事があったのかは知らないがノヴァにとってはまたとない好機である。

 このまま閉じ込められ続けて厄介な人間に引き渡される前に帝都から逃げ出すべきと考えたノヴァの動きは早かった。

 

 ノヴァは改めて自分を閉じ込める治療ポッドを注意深く観察する。

 老人が先に話していた様に帝都においてノヴァが使っているのは貴重な医療器具である。

 であるなら事故や災害、或いは患者の突発的な急変に備えて患者を即座に外に出せるように安全装置の類が予めポッドの中に備え付けられているとノヴァは考えており、それは当たっていた。

 ポッドの前面は透明なガラス構造であったが背面は金属製であり様々な機械がその後ろに設置されているのか左腕で触れると小さく細かい振動が伝わってきた。

 そして背中が当たる部分には患者側が操作できる安全装置として色がかすれた帝国文字で『非常排出装置』と書かれたカバーがあった。

 それを見つけたノヴァはカバーを外し、その下にあったレバーを躊躇い無く引いた。


『非常用レバーの操作を受け付けました。ポッドから保護液を排出、医療従事者はポッドに集まり患者の排出を行ってください』


 ポッドに備え付けられたスピーカーから人工音声によるアナウンスが流れると同時にノヴァを浮かべていた液体が排出され水位を下げていく。

 そしてポッドの各所から装置の固定が外れる駆動音が鳴り響き──。


「コレは何事かね!?!? 一体君は何をした!!」


 慌てふためいた様子の老人がポッドが設置されている部屋に再び現れた。

 そして部屋の中に鳴り響くアナウンスと共に今にも開かれようとしているポッドを見ると急いでノヴァが閉じ込められたポッドに近寄った。


「中止だ、中止だ!!」


 操作端末に表示された文字を見た瞬間に何が起こったか老人は正確に理解した。

 そして血相を変えて端末を操作し急いで進行途中の作業を中止させようと取り掛かり──、だが操作に手を付けるには遅くノヴァの蹴りよって勢いよく開いたガラス張りの容器が男の顔面に強かに打ち付けられた。


「うばぁあ!?!?」


 何が起こったか理解出来ないまま老人は後ろに設置された同じ様な医療ポッドにまで吹き飛ばされた。

 そして衝突の勢いを余すことなく受け止めた鼻から鼻血が蛇口を捻った様に流れ出し地面に小さな血だまりを作った。

 それでも痛みに呻きながらも老人は立ち上がろうとし──、だが自分の脚で立つ前に何者かに髪の毛を掴まれ力尽くで顔を上げさせられた。


「どうも、貴重なお話をありがとう。クソ爺」


 顔を上げさせられた先にあったのはノヴァの顔だ。

 全身がポットの保護液にまみれながらも顔には笑顔が浮かんでいる。

 だがノヴァの笑顔を見た瞬間に老人はその笑顔が威嚇として使われていると察した。


「はは、傷は如何だい、痛くない筈だが……」


「お陰で痛みは無い。それとお前には色々と聞きたい事がある。だがその前に一つ質問に答えろ」


 そう言ってノヴァは凄みを利かせながら男の髪を更に引っ張る。

 掴まれた髪の毛がぶちぶちと切れる音を聞きながら老人は無意識に震えていた。


「服は何処だ」


「はぇえ?」


「耳が遠くなったか爺、もう一度言うが服は何処だ」


「ふ、服は、其処に着せようと思っていた物が」



 一体何を言われるのかと戦々恐々としていた老人は最初ノヴァの言葉に耳を疑った。

 だが再び強い力で髪を掴まれると痛みに呻きながらもノヴァの質問に答え部屋の一角を指さした。

 ノヴァが老人の指さした先に視線を向けると奇麗に畳まれた病衣がポッドの直ぐ傍に置かれていた。

 それを見つけたノヴァは一時的に老人の髪を掴んでいた手を放して畳まれた服へ手を伸ばした。

 その間も警戒を緩める事は無く視線だけは老人に向け続け──。


「ドクター、何処にいるんですか~?」


 しかしノヴァの目の前にいる老人以外の声が部屋の外から聞こえてきた。

 声の正体は鼻血を出し続けている老人の護衛であったがノヴァが知る由はなかった。

 だが声を聞いた瞬間に助けを呼ぼうと口を開いた老人の顔面をノヴァは勢いよく右腕で殴り止めた。


「静かにしろ。もし大声を出せば────」


「探しましたよ。ドクター血相を変えてどうしたん、です、か……」


 ノヴァは男が助けを呼べない様にしたが全ては遅かった。

 ポッドが設置された部屋の扉が開き一人の男が部屋の中に入って来たのだ。

 男は上下ともに揃った制服を着ており体格も大きい、だが運動不足であると一目で分かる程に腹部は大きく突き出している。

 だがその腰には拳銃を携えており、武器を持たないノヴァにとって部屋に入って来た男は一番の脅威であった。


 そんな危機意識に満ちたノヴァとは全く異なり護衛の男は部屋に入って目にした光景に呆気に取られていた。

 全身びしょ濡れの青年と鼻血を出した護衛対象。

 その犯罪的な光景を目にした護衛の男は一時だけ己の職務を忘れて呟いた。


「本番は他所でやれ」


 その言葉を聞いた瞬間ノヴァは先程までの考えを捨て去った。

 火事場の馬鹿力に任せて白衣の老人を立たせると同時に男に向かって全力で蹴り飛ばした。

 気色の悪い悲鳴を上げながら吹き飛ばされる老人、職務を思い出し護衛対象の身の安全を確保しようと動き出したデブ。

 そしてノヴァは傍らにあった点滴棒を肩に担ぎ碌な抵抗も出来ないデブに向けて全力で振り下ろした。

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