第126話 急変

「……繋ぎなさい」


 静まり返った指揮所においてタチアナの声は小さくとも響いた。

 そして命令を受けたマリソル中尉が運び込まれた機材を操作すると共に接続に伴う雑音が指揮所の中に短い間流れ──、繋がった。


『──よぉ、あの気狂い科学者に随分手酷くやられたようだな』


 指揮所に備えられたスピーカーから掠れた男の声が聞こえて来る。

 その声に該当する人物は一人、キャンプに襲撃を仕掛けエドゥアルドによって解放されたサイボーグ部隊を率いていた男の声であった。

 改めて通信を行ってきた相手の正体が分かるとタチアナはマイクに向かい感情を感じさせない冷え切った声を出した。


「何の用、おしゃべりしたいだけなら切らせてもらうわ。貴方に構っている暇は無いの」


『ははは、まぁ、落ち着けよ。俺がお前達に通信を試みたのは帝都からの連絡を伝える為だ。今、帝都からの正式な文章を其方に送る』


「追加でデータが送信されました。ウイルスチェックに問題なし。文章データのようです」


「開きなさい」


 帝都からの連絡、その言葉と共にサイボーグから送られてきたのは一つの文章ファイルが送られてきた。

 サイズはそれほど大きくない、それでもウイルス感染したファイルである可能性も考慮に入れ三重にも及ぶ検査を施した。

 そうした結果送られてきたファイルには何も潜伏していない無害なものであると判断されてからタチアナはデータを受け入れ、ファイルが展開された。

 それは細かな文字が綴られた文章であった。

 データの大きさから考えれば順当な、しかし人が読むには苦痛すら感じる程のページが端末の画面に展開された。

 それをタチアナは顔を顰めながらも読もうと目を落とし──その冒頭からして正気を疑う文章が綴られていたのを見にした瞬間、端末を握る手に無意識に力が入った。


「これは……宣戦布告の通達文ですか」


『喜べ、帝都の連中はお前達を買っている。降伏文章に書かれている様に大人しく従えば悪い様にはしないと言っている』


「どうやら帝都には常識を知らないが愚か者しかいないようですね。それとも其方の首脳陣は総じて耄碌しているのですか? これを降伏文章と言い切る頭の悪さには此方も驚きました」


『そうかもしれないな。だが……死ぬよりはマシだろう』


「その程度の脅迫で降伏文章に判を押すと思っているのですか。やはり帝都には現実と妄想の区別も出来ない愚か者しかいないようですね」


 送られてきたファイルの一行目を見た瞬間、タチアナはこれをキャンプに対する宣戦布告と捉えた。

 しかし文章を送った男はファイルの中にあったのは降伏文章であると語る。

 二人の間にある埋めがたい認識の差、その原因となっているのは底知れない戦力を持つ帝都が主導権を握っているからだ。

 そして降伏文章を拒否した瞬間に帝都は攻撃を始める算段を立てているのだろう。

 それでもタチアナは降伏文章を拒絶した、何より送られてきた降伏文章の実態は奴隷契約としか思えない出鱈目な内容であったのだ。

 武装解除したうえで帝都から進駐してきた部隊が治安を維持するのは序の口。

 現状のキャンプ上層部の更迭にはじまり、行政機能は帝都から送られてきた人員が掌握。

 帝都の命令に絶対服従を強要し住民には抵抗を許さず強制労働を押し付けられるのだ。

 ありとあらゆる権利を剥奪され、自由意思を許されず、どれほど過酷な命令であっても従い続けるしかない。

 それは人生を支配されるに等しい行い、奴隷としか言いようがない立場に墜とされるのだ。


「……そう言えば、ついこの前に似たような文章を見ました。確か共産党でしたね、余りにも非常識な物言いで迫ってきたので少しだけ懲らしめましたが、もしかしてお友達でしたか?」


『共産党か、あれは途中までは使い勝手のいい駒であったが些か大きくなり過ぎた。その内手入れを行う予定であったがお前達のお陰で楽が出来た。その事には感謝しているよ』


「成程。……ではキャンプに襲撃を仕掛けてきたマフィアも其方の息が掛かっていたと?」


『想像に任せる。それと時間稼ぎをするのもいいが返事は早くしてくれ。地上の風は身体に応える』


 タチアナとの会話が時間稼ぎである事を理解していながら男の声に焦りは無かった。

 それは本来であれば傲慢と言うべきなのだろう。

 だがタチアナが指摘したとしても負け犬の遠吠えとしか男は捉えない。

 幾ら時間を稼ごうと結果は既に決まっている、そう暗に言っているのに等しい男の態度は圧倒的な戦力を持つ強者だからこそ許されるのだろう。

 そしてタチアナが見た降伏文章は指揮所に集う首脳陣に回し読みされ、それを見た誰もが激しい嫌悪感と共に口を開いた。


「戦うしかないね。あんな奴らの脚を舐めるのは御免だよ」


「私も同感だ。窮地にあったプスコフを救ったのはボスだ。帝都に尻尾を振るつもりはない」


「俺も村を助けられ、キャンプの立ち上げに際しては便宜を図って貰った。その恩を忘れる

程の恥知らずではない」


「俺達もです──」


「私も──」


 指揮所に集ったのはキャンプの首脳陣だけではない。

 住民達を纏める代表達や工房の責任者、降伏文章は多くの人の目に触れ誰もが拒絶の意思を示した。

 男が送った降伏文章に装った奴隷契約書を検討にも値しないと住民達は判断、受け入れる者は誰一人として現れなかった。


「残念ながら我々の中に帝都に尻尾を振るような者はいません。大人しく尻尾を巻いて去

りなさい」


『帝都の恐ろしさが理解できない様だな、後悔するぞ』


「その耳は飾りですか? それとも錆び付いているのであれば新しい物に交換してはどうですか?」


『交渉は決裂か……、ははは』


 キャンプが降伏を明確に拒絶したと理解していながら男は笑った。

 スピーカーを通して聞こえる乾いた笑い声は誰の耳にも不快であり、だが長くは続かなかった。


『感謝するぞ。これでお前達を合法的に始末出来る』


 そして男の言葉を言い切ると同時に地下が揺れた。

 重苦しい振動と共に地下空間が揺さぶられ、指揮所に持ち込まれた機材が一斉に警報を鳴らし始める。


「報告!」


「監視範囲外からの砲撃と思われます! 防空兵器である多脚戦車1号から3号沈黙!」


「続けて砲撃! 地上施設に命中しています!」


「第3防壁、第7防壁大破! セントリーガンも破壊されました!」


 それは明確な攻撃であった。

 地上を吹き飛ばし、更地に変える攻撃が絶える事無くキャンプに撃ち込まれている。

 通信機越しに男は傲慢さを隠す素振りすら見せる事無くキャンプに語り続けた。


『帝都に逆らった愚か者は粛清する。これが恭順を拒否した者達に下される定めだ』


「時代錯誤も甚だしい暴力による支配、それが帝都のやり方ですか」


『そうだ、だがそのお陰でメトロの平穏は保たれているのだ。突出した存在の芽を事前に刈り取り、時に争わせ、破滅を抑制する。その陰で犠牲が出るのは避けられないがメトロ全体の平穏に比べれば安い物だろう。そうした帝都の水面下の活動が無ければメトロは存続できない、お前達は知らずの内に帝都に助けられているのだ。寧ろ感謝すべきだろう』


 全体の為に小を切り捨てる、全てはメトロが存続するために。

 男が語る帝都の理屈、きれいに着飾った言葉の裏で犠牲になった人々はどれ程の数になるのだろうか。

 何より認めたくなかった、自分達が命を懸けて戦い守った未来がこの様な



『だがお前達が恥じる事は無い。本来であれば秘密裏に処理するのが慣例であったがお前達は違う。大きな利用価値が在り、しかしメトロにとって過去に例が無い程に危険な存在だ。誇るがいい、帝都が重い腰を上げて全力で平定に取り組むことを』


「主語が無駄に大きいですね。メトロではなく帝都にとって危険なのでしょう。帝都一強の体制、それを維持するには我々が邪魔になった、だから潰す。それだけの事をよくもまあ大げさに言い建てますね」


『理解が早くて助かる。それと作業中は何時でも降伏を受け付けるが見せしめとして幾らか殺す必要がある事を伝えておく。さて、何人殺せばお前達は泣いて許しを請うようになるのか、10人か、100人か、それとも其処にいる子供を皆殺しにすればいいのか、楽しみだなぁ。お前達の顔が絶望に染まり泣き叫ぶ──────』


「不快な通信を切りなさい」


 スピーカーから聞こえてきた不快な声は回線が切断された事で聞こえなくなった。

 だが攻撃が止んだ訳ではなく、砲撃による振動は絶えず地下の指揮所を揺らし続けた。

 しかし窮地でありながら指揮所にいるタチアナは酷く落ち着いており、それは元帝国軍将兵達も同じであった。


「地下を急襲された日を思い出しますね。丁度今日の様に絶えない砲撃で地下の地下司令部で埃に塗れていました」


「末期戦を二度も経験はしたくありませんでした」


 苦い物を口に含んだかのような表情でマリソル中尉が呟き、その言葉にタチアナも同意を返した。


「碌な援軍も補給も寄越さず死守を命じる上層部。今だから言える事ですがあの時点で秘密警察によって司令部は制圧されていたのでしょう。そして我々は時間稼ぎの捨て駒として運用された、実に腹立たしいですね」



「在り得そうで笑えませんね。それで大佐はどうなさるおつもりですか? 私としては帝都の連中の顔を全力で殴りに行きたいところですが」


「奇遇ですね、私も同じ考えです。ですが殴りに行く前に準備を整えないといけません。回収した戦車の整備状況はどうなっていますか?」


「あと20分、いや10分欲しいと」


 タチアナの質問にグレゴリーが答える。

 ついさっき帰って来たばかりのキメラ戦車が戦闘で受けた損傷は大きく無視は出来ない。

 問題なく戦闘を行えるように急ぎ整備を行っているが始まったばかりであり時間が必要であった。


「分かりました。敵の分布は?」


「巨人クラスが6、歩兵がエイリアンとクリーチャーの混成で約600、飛行ドローンは70、後続はありません。正面から叩き潰そうと固まって接近しています」


 今も稼働している監視カメラから送られてきた映像には画面を埋め尽くすほどの敵が映し出されていた。

 4mを超える人型の大型個体であるタイタンは其の身の丈に合った大型の砲を構え地響きを立てながら移動している。

 人間を素材にして作り出されたエイリアンの先兵が指揮官クラスに率いられてキャンプに向って前進を続けている。

 その中にはキャンプを襲撃しメトロの地下で戦ったクリーチャーも相当数紛れ込んでおりエイリアンと一体となって進んでいた。

 戦闘用の飛行ドローンも合わさり文字通りの軍隊を形成して迫る集団か醸し出す迫力は画面越しであっても感じられる物であった。


「厄介ですね。エイリアンの基本戦術とはいえ航空支援が欲しい場面です。上空からの爆撃があればある程度間引けるのですが無い物ねだりですね」


「対ミュータント用に整備中であった砲撃陣地が使えます。それで固まった敵集団を吹き飛ばす事も可能です」


「ですが使えるのは一度きりでしょう。一度の砲撃で巨人クラスを仕留められなければ砲撃陣地がカウンターで吹き飛ばされます」


「なら巨人の始末は私がしよう。確か対物狙撃銃があった筈だ、あれで巨人の数を減らす」


「セルゲイ、危険だぞ」


「グレゴリー、危険なのは何処も同じだ。ギリギリまで粘るが俺に構う事無く最後は嬢ちゃん判断で砲撃を開始してくれ」


「妨害を避けるために地下を進むしかないね。案内なら任せてよ」


 敵の規模はキャンプの防衛戦力を遥かに超えている。

 それでもキャンプに集う誰もが己が何をすべきが考え、各々が動き始めていた。

 だがやる気だけでは戦況を変えられない、手持ちの全てを総動員して勝てるかどうかなのだ。

 それでも大戦時の波の如く押し寄せてきた時と比べれば数は少ない。

 その一歩手前といった段階であり犠牲を承知で無理をすれば勝てる芽はあるとタチアナは判断した。

 多くの犠牲が出るだろう、指揮所に集った中の何人が生き残れるのかは分からない。

 それでも、犠牲を承知で戦うしかないのだ。


「戦意は十分、戦況も最悪の一歩手前であると考えましょう。それでは作戦ですが──」


「高所監視部隊からの連絡です!」


「何処から攻撃を受けた!」


「違います! 攻撃でもミュータントではありません、連邦でも帝国の物でもない航空機が編隊を組んで接近しています!」


「何ですかそれは!」


 高所監視部隊、キャンプに現存する建築物において最も高い電波塔は監視塔としても利用され中には肉眼での監視を行う部隊が常駐していた。

 その部隊からの通信が入った時タチアナは無意識に敵の増援が来たと身構えた。

 だが伝わってきた内容はタチアナの予想していた内容とは違った。


 そして事態は更に混迷を極めていく。


 キャンプに迫る航空機の編隊が行動を起こし、しかしそれはキャンプを狙ったものではなかった。

 所属不明の航空機から放たれた攻撃が地上に展開していたエイリアンとクリーチャーの混成軍隊を薙ぎ払っていく。

 地下に轟く振動、それはタチアナが求めていた航空支援に他ならなかった。

 しかし唐突に起こった出来事に理解が追いつかずタチアナは呆気に取られ監視カメラから送られてくる映像を眺めていた。

 それはタチアナだけに限った事ではなく指揮所に集った誰もが同じ様に呆気に取られていた。

 指揮所に備え付けられた大型モニターに映る映像はキャンプに迫るエイリアンが無慈悲に薙ぎ払われていく様子を克明に映し出していた。

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