第91話 初めまして
老人が逃げ込んだ廃墟は緊急時の避難所も兼ねていたのか水に食料、そして暖を取るための薪といった物資が備蓄されていた。
とは言っても備蓄量は多くは無い、避難所で過ごせる時間は一人であれば数日過ごせる程度しかなく複数人であった場合はさらに短くなるだろう。
幸いにもノヴァは持ち込んでいた水と食料を合わせて切り詰めれば二人であっても二日位は持つ程度の量にはなる。
その間に応急処置を施した老人の容体が安定してほしいと考えていた翌日の朝に老人は目を覚ました。
「ん、此処は……」
「貴方が逃げ込んだ廃墟の中です。どこにも移動していないので安心してください。それと此処にあった物資は使わせてもらいました」
即席で作った焚火に薪を投げ込みながらノヴァは目を覚ました老人に答える。
そして独り言であったのかまさか返事が返ってくるとは思っていなかった老人はノヴァの言葉が耳に届いた瞬間に急いで身体を起こし──しかし、わき腹からくる痛みによってその場で蹲ってしまった。
「縫い付けたばかりだ!急に身体を動かすな!」
手当が間に合ったお陰で老人は重症化を免れてはいたが流した血は補充されていない。
突発的な行動で身体に係る負荷は耐えられるものではないと慌てるノヴァの言葉を聞いた老人はミュータントによって切り裂かれた筈のわき腹を慎重に触る。
未だに身体に響くような痛みと熱はあるものの触ってみれば出血を止めるために傷口はしっかりと縫い付けられていた。
そして縫合を包むように古着を裂いて作った包帯が身体にきつく巻かれていたことに老人は漸く気が付いた。
「あまり傷口に触らないで。応急処置に過ぎないので下手に触ると出血をする可能性があるから今は大人しくして」
「……そうか、お前さんは医者なのか?」
「正式な医者ではない、多少の心得があるくらいだ」
ノヴァの言葉に一応納得したのか老人は傷む身体を動かし廃墟の壁にもたれかかった。
そして何かを探すように視線を彼方此方に向け始め、その視線はノヴァの足元で止まった。
「……手当をしてくれて感謝する。それと銃を返してくれないか」
「返した瞬間に撃たないと確約できるか?」
ノヴァは自身の安全を確保するために一時的に老人の持っていた散弾銃や武器になりそうなナイフを治療の際に取り上げている。
特に散弾銃は銃口が二つ平行に並んだ水平二連、折れ式というアンティークな銃ではあるが弾丸は本物であり至近距離で二発撃たれでもしたら間違いなく死ぬ威力がある。
そして当たらなかったとはいえ実際にノヴァは撃たれていた。
老人にとっては正当防衛のつもりであったとしても実際に撃ち殺されていたかもしれないノヴァとしては老人にとって大切な銃であろうと易々と返す事は出来ない。
そのせいでノヴァを見る老人の眼からは警戒心と共に敵意が滲み出ているが武器のない現状では不用意な行動を起こせないのか今は大人しくしている。
「何が望みだ」
「……まぁ此方も無償で助けた訳じゃない、治療費の代わりに色々聞きたいことがあるからそれに答えてくれれば銃は返す」
「……恩人とはいえ言えないこともある」
「貴方の住んでいる場所を知るつもりはありません」
今迄の会話と行動から老人の警戒心を解くのは困難であるとノヴァは判断するしかなかった。
出来れば多少警戒心を解いてもらってから話を始めたかったが、現所優先するべきは友好関係を築く事ではなく情報収集である。
最低限でも現在地と電波塔の場所さえ老人から判明すればいいとノヴァは割り切った。
「一つ目の質問、今いる廃墟になった街の名前は答えられるか?」
ノヴァが今一番知りたいのは現在地だ。
昨日の探索では案内板や標識さえ見つからず現在地の特定が全く出来なかったのだ。
降り積もった雪の下に埋まっているのか、それとも長年外気に晒され続けたせいで風化して朽ち果てたのかは分からない。
だからこそ途方に暮れるしかなかったノヴァにとってこの質問が持つ意味は非常に大きなものであり今後の行動方針を定めるためにも欠かせないものなのだ。
「……『ザヴォルシスク』、そして此処は街の端っこだろう?」
「『ザヴォルシスク』?」
だが老人の口から出てきた聞きなれない言葉に対してはてノヴァの頭の中で大量の疑問符が浮かんだ。
はて、そんな街が連邦にあったのかとノヴァは一人考え込んでみたがありえない話ではないのだ。
ノヴァが知る連邦とは国名ではなく複数の加盟国から構成される一勢力の名称である。
その為文化的に近い国もあれば異文化を持つ国も連邦に加盟しており国名や都市名にも規則性はなく加盟国の文化、歴史が反映された都市名など沢山ある。
具体的に言えば日本をモデルにしたような和名を持つ島国があったりする以上、老人が口にした『ザヴォルシスク』という名前も連邦加盟国の中にある珍しい名前だとノヴァは考えたのだ。
だが幸先はいい、最悪の場合今いる場所を明確に答えられない可能性もノヴァは考慮していたが老人ははっきりと答えることが出来たのだ。
であれば『ザヴォルシスク』という名前を基にして現在地を特定、そして老人に電波塔がある位置を知ることが出来れば長い放浪生活の終わりも見えてくる。
「分かった、それでザヴォルシスクは連邦の何処に位置する街だ、大体の位置を教えてくれ」
ノヴァは地面に大雑把に描いた連邦の地図を老人に見せる。
手書きであり正確とは言えない地図であるが大体の居場所を特定するならこれ位で十分、後は老人が地図上でザヴォルシスクの居場所を答えてもらえばいいだけだ。
だがノヴァが地図を描き終えて老人を見るとその顔には先程まで見せなかった困惑がありありと浮かんでいた。
その様子からノヴァは自分が描いた地図が下手で老人が判別できないと考えた。
ならば一回全部消して新しく描き直そうかとノヴァが考えた直後に老人が口を開いた。
「お前は何を言っている、ザヴォルシスクは連邦の街ではないぞ?」
「……うん?」
老人の言葉に新しく地図を描こうとしていたノヴァの腕が止まった。
突然かつ予想外の反応に長くなった放浪生活で聴覚に異常が出てのではないかとノヴァは最初に考えた。
だが再び見た老人の表情は至って真面目なものであり、それは老人から見たノヴァも同じであった。
互いにの表情を確認したノヴァと老人は共に口を開けない気まずい沈黙に包まれた。
静まり返った廃墟の中で聞こえてくるのは燃える薪が弾ける音だけ。
そこから長くも短くもない時間が過ぎて沈黙に耐え切れなかったノヴァが口を開いた。
「聞き間違えたかもしれません、もう一度言ってもらっていいですか?」
「……ザヴォルシスクは連邦の街ではないぞ」
「……本当ですか、嘘偽りなしに?」
「そうだ」
再び老人に尋ねたノヴァは聞き違いであってほしいと内心で願っていた。
だが老人の口から出てきたのは『ザヴォルシスクが連邦の街ではない』という言葉、ノヴァの祈りは届かなかった。
そして一連の言葉が持つ意味はノヴァの全く想定していないもの、意図的に見ないふりをしていた最悪の可能性が実現してしまった。
だが老人との会話は始まったばかりで回答の途中であるのだ。
「えっと、あの、じゃあ……此処は何処?」
「……『帝国』、俺の爺さんはそう言って──おい、お前!?」
怪訝な目で床に描かれた大雑把な連邦の地形を見ていた老人は会話の途中で身体ごと後ろに倒れたノヴァに驚いた。
もしかして隠れていたミュータントに襲い掛かれたのかと警戒しながら老人は傷む身体を動かして倒れたノヴァに近寄った。
だが老人が見たノヴァにはミュータントに襲われた傷は一切なく、ただ単に白目を剥いて気絶している姿だけが其処にあった。
◆
「それじゃなにか、お前は連邦でエイリアンと戦っていて道連れに奴らの基地に連れ込まれた、そこで潜伏してから脱出してここまで来たと?」
「はい、そうです……」
「法螺話にしても荒唐無稽過ぎる、詐欺師として話しているなら三流以下だ」
「ソウデスネ……」
あれから老人は気絶したノヴァの隙をついて銃を取り返した。
散弾銃には変にいじられた痕跡はなく空砲で引き金を引けば問題なく作動した。
それからナイフといった大切な武器を取り戻した老人はそのまま傷む身体を引きずって廃墟から去ろうと考え──しかし手当をしてもらった恩を返さずに去るのは後味が悪いと少しの間廃墟に留まった。
その後直ぐにノヴァは気絶から回復して起き上がった、老人の言葉で予想外のショックを受けたせいか呆然としていた。
流石に今の状態で放置するのは危険だと長年の人生経験から察してしまった老人はノヴァに話しかけた。
その際に老人は色々と質問をして素性に関する情報を引き出そうと試み──老人の予想に反してノヴァは素直に話し始めた。
だがノヴァが呆然とした表情でスラスラと話し始めたが内容の正誤を老人は判断出来ない、何故ならノヴァが話した内容は老人からすれば信じがたいものばかりであるからだ。
エイリアンに誘拐され、そこで隠れて生き延び、物資を強奪して逃げてきた、止めがエイリアンの基地を吹き飛ばしたとノヴァは語る。
出鱈目かつ酒飲みの妄想話でしか在り得ない内容だ、長く続いた孤独が生み出した妄想かもしれないと老人は考えていた。
だが実際にエイリアンから奪ってきた銃を青年から渡されてしまい、しかも引き金を引いて放たれた光弾が瓦礫を弾き飛ばした。
嘘八百の作り話であれば老人はあきれと共に会話を打ち切っていただろう。
しかし実物の証拠を前にして老人は話した内容が全て噓ではないと考え始めていた。
そして仮に話した内容が全て事実であれば……目の前で死んだような目で体育座りをしている青年は狂人としか言いようがない存在だ。
そうなると老人にとっての問題は目の前の青年をどうするかだ。
放置して廃墟から去るのも選択の一つではある──だが大きなショックを受けて誰が見ても分かるほど落ち込んでいる青年を見捨てる選択を老人は選ばなかった。
──いや軽率に選べない、少なくともどのような人物か見極めなければいけないと考えた。
「お前さん行く当てはあるのか?」
「……ないです、生きていく為の物資はあるので当分は死なないけど」
「そうか、ならワシが住んでいる村に来い。電波塔に関して心当たりはないが知っている奴がいるかもしれん」
「……いいのですか?自分で言うのもなんですが怪しい人物ですよ」
「まぁ怪しいな、だが此処では身元が定かではない人間などごまんといる。一々気にしていたら此処では生きていけん。それに……お前さんは命の恩人だ」
老人は少しだけ顔を綻ばせながらノヴァ言う。
反対に老人の言葉を聞いたノヴァは素直に驚いた。
初見の印象が悪いのもあるが見るからに気難しそうな顔している事から排他的な人物ではないかとノヴァは思っていたのだ。
そうでなかったとしても身元不明の人物を住んでいる場所へ招き入れるとは思ってもいなかった。
また同時にノヴァの脳裏には罠かもしれないという考えが浮かんだ。
具体的にはアジトの中に招き入れて四方八方から襲い掛かり身包みを剝がそうとしている、といった感じである。
「そうですか、では少しだけお世話になります」
「分かった、村に着いたら恩人として紹介しよう」
それでもノヴァは老人の招待を受けることにした。
先程の考えは全て想像でしかなく裏付けがあったものではない、それに老人が本心で言っている可能性もあるのだ。
それに廃墟で情報を一人で集めるのは限界である、老人の語る村で情報収集が出来るのであれば活用しない手はない。
「出発はもう一日待ってくれ、明日には動けるようになっている筈だ。それと移動する際の護衛を頼まれてくれるか」
「お任せください、えーと……」
「名乗りが遅れたな、ワシの名はセルゲイだ」
「私はノヴァです、よろしくお願いします」
ノヴァが差し出した手を老人、セルゲイが握る。
その手は寒さと乾燥で皮膚が荒れていたが握った手からは人間の体温が伝わってきた。
エイリアンでもミュータントでもない、そして長く感じていなかった人の手の温もりにノヴァ自身は気が付かずに目を潤ませていた。
そしてノヴァの考えとは別にセルゲイは村までの道すがらノヴァの本性を見極めるつもりであった。
善人か悪人か、内心を悟られない様にセルゲイの片手は銃を強く握っていた。
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